「KAROSHI」が世界共通語になるほど、深刻な日本の長時間労働問題。
敗戦後の復興から高度経済成長を経て経済大国へ。それを可能にしたのは、日本人の勤勉さであることは間違いないが、時代は大きく変わっている。
心豊かに働くために、「働き方改革」をどう進めればいいのか。日本文学研究者として多彩に活躍するロバート キャンベル氏と神津会長が語り合った。
日本は「特殊」だから仕方ない?
大久保 今日のテーマは「日本人の働き方」ですが、まず、キャンベルさんと日本文学との出会いは、どういうものだったのでしょう?
キャンベル ここで語るほどのことではないのですが、私が大学に入った当時、日本文学は、すでに文学に関心がある学生の選択肢の1つでした。「比較文学」の授業で、世界最古の小説は、11世紀に書かれた『源氏物語』だと知ったんです。ちょうどサイデンステッカーの新訳が出たばかりで、すぐに読んでみました。それで、ちょっと違う扉を開いてみようと。そこから、偶然の出会い、必然の出会いが重なって、今日に至ります。
ロバート キャンベル 日本文学研究者・国文学研究資料館長
神津 なるほど、1つの選択肢だったんですね。日本人の悪いクセですが、欧米に比べて、日本は何事においても「特殊」だと思い込んでいるところがある。だから、キャンベルさんが日本文学を専攻されたことにも、特別な理由があるのではと思ってしまうんです。「日本人の働き方」についても、欧米先進国に比べて労働時間が際立って長く、休暇は少ない。ずいぶん前から「日本人は働きすぎ」だと批判されてきましたが、受け止めの中に逃げがあった。「日本人の働き方ってそういうものだから、仕方ない」と。だから、「KAROSHI」なんて言葉を世界に広めることになってしまったんです。
キャンベル おそらくそこをどう切り替えるかが、「働き方改革」のカギにもなり、壁にもなり得る。私の皮膚感覚としても、日本の働き方や職場の合意形成のプロセスには、普遍性がないと思えることが多々ある。日本の働く人たちの言動には、そのまま翻訳できない「特殊性」も含まれています。しかし、歴史的な背景や組織の論理を紐解いてみると、一つひとつは整合性が取れてはいるとも思うのです。
神津 実は、お会いするにあたって『ロバート キャンベルの小説家神髄—現代作家6人との対話—』を読ませていただいたんですが、そこでこの話に通じるキーワードを見つけたんです。江國香織さんとの対話で、「『世間』と『社会』は違う。『世間』は日本独特の概念」だと。私は、もともと小説を読むのが大好きなんですが、最近は時間が取れなくて…。でも、ここに出てくる小説が無性に読みたくなりましたし、ものの見方という点でも感じるところがありました。
キャンベル 「世間」は日本独自の言葉で、翻訳するのが難しい。「社会」は、多くの人が共通のイメージを持っているし、「社会の一員」という意識もある。それに対して「世間」は人によって捉え方がさまざまです。私は小説を読むとき、「音の風景」に注目します。例えば戦前の銀座が舞台になっている小説では、四丁目の交差点の時計塔が鳴らす時報が築地あたりまで聞こえたことがわかります。それが銀座のコミュニティーであり、銀座で働く人の「世間」だったのではないでしょうか。「『世間』の目を気にする」とか「『世間』様に恥ずかしい」と言われるように、一人ひとりはつねに世間を意識している。「世間」がこうだから、で自分も動く。働き方も世間が変われば一人ひとりが変わるのではないでしょうか?
神津 労働組合は、みずからの問題としてずっと長時間労働の是正に取り組んできたんですが、なかなか進まなかった。ところが今回、政府を挙げて「働き方改革」を進めるという。個々の企業としては、世間の動きに遅れるわけにはいかない。それが一つの推進力にもなっているんですが、そこはすごく日本的ですよね。
耐えて耐えて頑張り続けて
大久保 日本の働き方の現状をどうみていますか?
神津 高度成長時代は、モーレツに働けば、会社も自分も成長できた。今は、そんな時代ではなくなったのに、かつての働き方だけが残ってしまっている。しかも、職場によっては上司と部下が、まるでガラスの壁で隔てられ、本音でぶつかり合えなくなり、ノルマを与えられ、ひたすら黙々とこなすアリ地獄のような風景が広がっている。「KAROSHI」という言葉が生まれて、四半世紀以上が経つのに、いまだに過労死・過労自殺は後を絶たない。どちらも認定されているだけで年間100人前後という状況が続いています。昨年、電通の女性新入社員の過労自殺が明るみになり、長時間労働是正の一つの契機にもなりましたが、「世間」に隠された職場の現実をまず直視することが必要だと思います。
神津 里季生 連合会長
キャンベル 「働く」ことが、単に仕事を与えられ、短期的な目標達成に向けてノルマをこなしていくだけになってしまうと、非常に危ういと思います。耐えて耐えて頑張り続け、心身が壊れてしまいます。その人が立ち直ったとしても、日本では次のステップは用意されていない。
神津 この20年、デフレが続く中で非正規雇用が急増してきましたが、働き方の多様化というより、コストダウンの手段でそうなったという側面が強いですね。
キャンベル 一人ひとりの働き方にはいろんな選択肢があっていい。非正規もその一つですが、しかし弊害も深刻になっています。私は、長年教育現場に身をおいてきましたが、大学教育も、専任ではなく非常勤の教員に頼る割合が増え、若い研究者には、特任研究員や特任教授など任期付きのポストしかないという状況です。ノルマをこなして任期終了では、優秀な人材が、研究への意欲を削がれてしまいますし、将来に不安を抱えながら仕事をしていては、イノベーションも停滞してしまいます。
社会全体のシステムにも目を向けて
大久保 「働き方改革」をどう進めていけばいいのでしょう?
神津 世間は「働き方改革」推進という流れになっていますが、ここできちんとそれを支える法制度や仕組みをつくっていかないと、一過性のブームに終わってしまいかねません。本気で長時間労働を是正するには、時間外労働の上限規制、勤務間インターバル規制などを法制化していく必要があります。また、誰もが安心して多様な働き方を選ぶためには、正規と非正規の格差を解消し、均等待遇を実現していくことが不可欠です。
キャンベル 働き方改革を進めるには、それぞれの職場での取り組みが大事なのですが、最近、それだけでは限界があるのではないかと思うようになりました。例えば、日本では、「仕事」そのものより「会社」の一員であることを重視する意識が強い。だから、長時間労働も厭わない。背景にあるのは、おそらく日本企業独自の新卒一括採用です。それを見据えて、日本の親も子も、進学する学校を選ぶ。グローバル化や高度情報化に対応できる人材を育てようとしても、入試制度が変わらないと教育現場は変わらない。企業の採用システムが変わらないと、入試制度も変わらない。働き方には、雇用システムや教育システムが寄木細工のように緻密に入り組んでいます。だから、社会全体のシステムにまで切り込んでいかないと、掛け声だけでは、変わらないし、変えられない。
最近、アメリカのIT企業で注目されるのが、企業内起業制度です。勤務時間の20%を社員がやりたいテーマに使って企画立案するというもので、実際に画期的なツールが生まれている。日本の働き方改革においては、そういうエンパワーメントの視点も重要だと思います。
「世間」と「社会」をつなぐ存在に
大久保 労働組合の役割とは?
キャンベル 実は「世間」に隠されている問題は他にもあります。子どもの6人に1人が貧困だというのに、当事者は「世間」に知られたくないと声を上げない。職場で働きづらさを感じている性的少数者も、「世間」の目を気にして自分を隠しています。「世間」への意識が、貧困や差別の問題を覆い隠しているんです。人間は自分ひとりで生きていくわけではない。同じ時代を共に生きる人々と、何かを共有し、許容し、共感し合うことでつながっていける。労働組合は、そんなふうに人々をつないでいく存在であってもらいたいと思います。
1990年代以降、グローバリズムの嵐の中で、非正規雇用が増え、上司と部下の関係にも人間性が薄れ、職場に余裕がなくなりました。そういう状況に対して、労働組合はストライキなどで声を上げてきたんでしょうか。
神津 日本の労働組合は、労使が徹底して話し合い、協力して問題を解決し、生産性を上げて配分を高める努力をしてきましたが、この間、労働組合のある職場とない職場での格差が大きく開いてしまった。連合は、労働組合を結成して、労使関係を通じて職場を改善していく取り組みに力を入れてきました。ただ、それは一般にはあまり知られていません。
キャンベル 労働組合には政治的な組織のイメージが強く、何をめざしているのか、どう「実」をとるのかが社会には伝わってきません。私自身の組合との関わりとしては、東日本大震災の被災地に防災林を植林している公益財団「鎮守の森のプロジェクト」に関わっているんですが、人海戦術の植林作業において、労働組合の人たちはフットワークが軽く、動きも自発的でとても頼りになる存在です。
神津 連合は、47都道府県の地方組織である地方連合会を軸に地域における顔の見える連合運動を強化してきました。労働者福祉協議会、ろうきん、全労済と連携したワンストップサービスの窓口を設置し、生活困窮者の支援など貧困問題の解決にも力を入れています。また、私が会長を兼任する労働者福祉協議会では、若者の貧困に焦点を当てて、奨学金問題に積極的に取り組んでいるところです。
キャンベル 奨学金は喫緊の課題です。アメリカでは大きな政治問題になっていますが、日本の奨学金制度も大半がローンで、その重い返済が若者の貧困化を招いている。少子化にもつながっている。最近、優秀な人材を確保するために企業が返済を肩代わりするような制度も出てきていますが、労働組合にもそれを後押しするような取り組みをお願いしたいです。
大久保 たくさんのヒントをありがとうございました。
(進行/大久保暁子 連合労働条件・中小労働対策局長)
ロバート キャンベルRobert Campbell
ニューヨーク市生まれ。カリフォルニア大学バークレー校卒業(B.A. 1981年)。ハーバード大学大学院東アジア言語文化学科博士課程修了、文学博士(M.A. 1984, Ph.D. 1992年)。1985年に九州大学文学部研究生として来日。同学部専任講師、国立国文学研究資料館助教授を経て、2000年東京大学大学院総合文化研究科助教授に就任。2007年同研究科教授。2017年4月から現職。専門は、近世・近代日本文学。テレビ、ラジオ番組のMCやコメンテーター、新聞・雑誌の連載など、さまざまなメディアで活躍中。文部科学省中央教育審議会教育課程部会委員。
著書に『ロバート キャンベルの小説家神髄 ― 現代作家6人との対話 ―』(NHK出版)、『読むことの力 ― 東大駒場連続講義』(講談社)、『漢文小説集』(岩波書店)、『Jブンガク ― 英語で出会い、日本語を味わう名作50 ―』(東京大学出版会)など。
※こちらの対談の別バージョンを7/10発売のAERA(17.7.17 NO.32)で読むことができます。
※こちらの記事は日本労働組合総連合会が企画・編集する「月刊連合 2017年7月号」に掲載された記事をWeb用に編集したものです。「月刊連合」の定期購読や電子書籍での購読についてはこちらをご覧ください。