安倍政権が掲げる「一億総活躍社会」…。
しかし、現実に目を向けると、子どもや若者の貧困が深刻な社会問題となり、現役と高齢者の世代間、正規と非正規の雇用形態間、地方と大都市の地域間の格差が深まっている。
この「生きづらい分断社会」を終わらせるために、今、本当に必要なものは何か。私たちにはどんな選択肢があるのか。気鋭の財政社会学者・井手英策慶應義塾大学教授と神津会長が、語り合った。
日本社会の現状「格差・貧困大国」
川島 「格差」「貧困」「将来不安」、そんな言葉で語られる日本社会の現状をどう見ていますか。
井手 日本はすでに「格差・貧困大国」です。相対的貧困率は先進国で6番目に高く、所得格差を示すジニ係数は9番目に大きい。世帯所得は1996年をピークに、この20年で2割の減。特に中間層の所得低下は深刻で、共働きが増えているのに年収400万円以下世帯が拡大している。意識調査でも「自分の所得は平均以下」「子どもの頃の暮らしより悪くなった」と答える人が増えています。
神津 確かに「一億総中流社会」は過去のものとなりました。高度成長期のように、経済が拡大する中で、一生懸命働けば所得が増え、家庭を持ち、子どもを進学させ、老後に備えていけるという、あたりまえに思えたことが難しくなっている。特に若者、子育て世帯、非正規で働く人たちは、先が見えない不安を抱えています。
井手 少子化、子どもの貧困化が進む日本の現状は、まさにその高度成長を前提とした生活モデルが成り立たなくなっていることを示しています。1960年に「所得倍増計画」を打ち出した池田勇人首相は、「弱者救済」より「自分で働き自分の足で立つ」ことが大事だと考え、働いて収入を得て、その貯蓄で教育費も住宅費も老後資金も賄う「勤労国家」をつくりました。政府は、サービスを提供するのではなく、公共事業で働く機会を与え、減税で家計所得を増やし、貯蓄を奨励する。貯蓄は投資にまわり、経済を成長させるという好循環が機能していました。
神津 戦後日本の成功体験ですね。しかし、オイルショック以降、成長に陰りが見え始め、所得も税収も貯蓄も伸びなくなった。
井手 当時、日本が世界でもトップクラスの貯蓄率を誇っていたのは、社会的なサービスが不十分だったからです。だから、所得が伸びず貯蓄ができなくなると、一気に将来不安が広がります。政府は、高度成長期の好循環を取り戻そうと「国債発行(借金)+減税+公共事業」の景気対策を打ちました。「勤労国家」をフル稼働させ、高度成長期の利益分配メカニズムを維持しようとしたのです。
神津 労働組合もそのころ運動の見直しを迫られました。経済のパイが大きくなれば賃金も上がるという構図が揺らぎ、社会保障やセーフティネットの構築など企業労使だけでは解決できない政策課題への取り組みが求められるようになった。その認識を共有してナショナルセンター連合が生まれたんです。だから、連合は、結成時からメンバーシップの利益だけでなく、すべての働く者の雇用と暮らしを守る政策実現という目的を掲げました。
井手 連合結成は1989年でしたね。ほどなくしてバブル経済が崩壊し、90年代後半には、賃金が下がり、消費が減り、物価が下落し、企業の収益が悪化し、また賃金が下がるというデフレの悪循環に突入していく。実は、ピーク時の所得が維持されていれば、この20年で1500万円の貯蓄ができた計算になるんです。子どもの高校・大学の入在学費用が約900万円、自宅外通学の場合はさらに3〜400万円。なぜ、大学生の2人に1人が奨学金を利用しているのか。なぜ、少子化が進んでいるのか。その理由は簡単です。日本人が貧しくなったからです。家計貯蓄率はマイナスにまで低下し、現役世代は子育てや教育費の重い負担にあえぎ、結婚できない、子どもを持てないというところまで来ています。
中間層を敵に回す「弱者救済」
川島 「格差是正」「貧困対策」を、どう進めればいいのでしょう。
井手 格差是正、貧困解消は最重要の課題ですが、問題はその設計です。
実は「日本は不平等な社会ですか」と聞くと、「はい」と答える人は少なく、「あなたはどの階層に属していますか」という問いには「中の下」と答える人の割合が高い。明らかに中間層が低所得層にシフトし、貧しくなっている自覚はあるのに、「格差是正」や「貧困対策」を支持しない。なぜなら、「中の下」で踏ん張っている自分たちは、「負担する側」になると考えているからです。負担に苦しむくらいなら、格差や貧困を見て見ぬふりをする。それどころか、弱者がさらなる弱者を攻撃して溜飲を下げるという状況も生まれています。
神津 連合は、ずっと格差是正、底上げ・底支えを掲げてきました。しかし、その意図するところが、素直に受け止められない状況があるということでしょうか。
井手 残念ながら、そうです。困っている人を助ける。これは善意以外の何ものでもありません。でも、それを「正義」として説く政治は、人々の支持を得られない。人間は、生存のために互いに助け合ってきたけれども、正義のために助け合ったことはないのです。
「弱者救済」と言った瞬間に、「中の下」も含めた中間層以上を敵に回してしまう。租税抵抗が高まって、ますます増税できなくなる。これが「再分配の罠」です。さらに成長が鈍化して生活を維持できなくなっているのに、政府は財政悪化を理由に社会保障費を抑制し人々の怒りを買う。これが「自己責任の罠」です。限られた財源をめぐって子育て支援と年金・介護のどちらを優先するのか、世代間対立の激化も生じています。中間層が弱者を批判し、人々が政府をののしり、高齢者と若者が鋭く対立する。そんな生きづらい「分断社会」になってしまっている。一方が受益者で、一方が負担者であるという関係が明確になるような政策で本当にいいのか、考えるべき時に来ています。
今、求められる政策「誰もが受益者に」
神津 連合は昨年から「クラシノソコアゲキャンペーン」に取り組み、この秋にはその第2弾をスタートさせました。キャンペーンにあたっては、まず連合の組合員に、「困っている人を助けよう」ではなくて、格差是正や将来不安の払拭は「自分たち自身の問題」だと受け止めてほしいという思いが強くありました。
連合組合員は686万人、うちパートを中心に非正規雇用の組合員も100万人まで増えていますが、それでも労使関係が構築されている職場で働く組合員は、恵まれた層であることは間違いありません。世の中全体のすべての働く人たちに、①暮らし、苦しくなっていませんか?、②仕事、きちんと報われていますか?、③老後や子育て、不安はありませんか?、④いまの政策、働く人が主役ですか?という4つの問いかけをしたんです。
井手 「老後や子育て、不安はありませんか?」。これは、すべての人へのメッセージになっていて素晴らしい。問題は、その不安解消のための具体策です。ここで、奨学金制度の充実や最低賃金引き上げ、保育・介護スタッフの処遇改善だけを掲げていては、すべての人の心には響かない。今、中間層も教育費の高騰に苦しんでいますが、奨学金制度と言われると、それは貧困対策であって自分にはメリットがないと思う。しかし、大学授業料の引き下げを求めるといえば、共感する。社会の分断を解消するには、「所得制限」のない普遍的な政策こそ必要なんです。「クラシノソコアゲ」というとき、底に近い人たちだけを引き上げるのか、全体を引き上げるのか。そこが決定的に重要です。
川島 そういう観点から、政府の政策については、どう評価しますか。
神津 10月11日に第2次補正予算が成立しましたが、2.75兆円の建設国債の追加発行によるカンフル剤的な施策に偏重しています。「未来への投資」というより、将来世代への負担の付け回しになりかねません。
井手 第2次補正予算は、昔ながらの「公共事業による景気対策」ですね。野党は、「人への投資」になっていないと批判しますが、教育は人権です。より良い教育環境は、結果的に将来の成長を生むけれども、成長のために子どもに投資するという発想はやめたほうがいい。経済成長は結果であって、それを目的にしてはいけない。
野党のアベノミクス批判が空回りしてしまうのも、経済成長を目的にしているからです。私なら、「アベノミクスほどの大胆な政策を打ってもなお、日本経済は成長しなかった。ならば、成長を目的にする政治から、人間の生活を保障するための政治に変えなければいけない」と訴えます。
神津 与党も野党も「成長」にこだわるのは、日本が究極の自己責任社会だからですね。
井手 そうです。でも、日本の潜在成長率は1%を割り込んでいます。推計では、東京オリンピック後の5年間で実質成長率は0.5%。その後の5年間はゼロ成長。2030年には人口がピーク時から1割減少します。もはや「成長を語る」政治とは決別すべきです。目的を結果に変えれば、「成長」も「格差是正」もおのずと実現していく。財政を通じて暮らしを底支えし、成長に依存しなくても安心して生きていける社会をつくろう。成長依存でも脱成長でもない新しい世界をつくろう。そんなメッセージを発信することこそ、連合の役割ではないでしょうか。
分断社会を終わらせるアプローチ
神津 まさにおっしゃる通りの問題意識から、連合は2010年に「働くことを軸とする安心社会」という社会ビジョンを提案しました。教育、雇用、家庭、失業、退職に「5つの安心の橋」を架けて、働きたい人は誰でも働ける、働けないときはセーフティネットが敷かれている。そんな安心社会を築いていこうと。
井手 「5つの安心の橋」、いいですよね。僕の考えていることとほとんど同じです。「勤労国家」のイデオロギーが根強く残る中では「働きたい人が働ける」ことと「働けなくても暮らしていける」ことをパッケージ化していくことが重要です。後は財源論ですね。
神津 消費増税は二度にわたって延期されました。社会保障と税の一体改革で苦労してまとめあげた三党合意が、いとも簡単に先送りされる。私自身は、むしろ粛々と実行して、それを教育の無償化など目にみえる形で還元していくべきだと思うのですが…。
井手 私は講演に行くと、いつも「消費税が8%に上がって何かいいことありましたか?」と聞いているんですが、「あった」という人はゼロです。もともと5%のうち4%は借金返済で、1%は貧困対策。だから、中間層の租税抵抗が起きて何度も延期せざるをえない。
神津 ただ、膨大な借金のツケを後世に払わせていいのかとも考えてしまう。
井手 財政赤字の最大の原因は、支出増ではなく税収不足です。なぜ税が取れないかというと、受益がないから。誰もが受益者となる制度設計にすることで、租税抵抗をやわらげていくことこそ、財政再建への近道でもあるんです。
分配政策に関しては、地方と国の役割を切り分ける。地方自治体は、医療、介護、教育、子育て支援など、みんなが必要とするサービスをみんなで負担してすべての人に提供していく。一方、国は、累進課税や貧困対策を通じた再分配機能を強化する。
神津 連合は今、組織拡大にも力を入れていますが、「仲間になろうよ」という呼びかけにおいても、「みんなの利益」という視点は大切ですね。
井手 「何が違うか」ではなく「何が同じか」を考える。日本で、そういう議論ができるのは、おそらく連合以外にないでしょう。「みんなの利益」に転換すると、すべての人が支持してくれる。連合運動も、そこがど真ん中に来ていいはずです。クラシノソコアゲキャンペーン第2弾では、ぜひ誰もが受益者になれる政策パッケージを提起してください。
神津 やるべきことがより明確になりました。
川島 本日はありがとうございました。
神津里季生(こうづ・りきお)
井手英策(いで・えいさく) 慶應義塾大学教授
1972年生まれ。2000年東京大学大学院経済学研究科博士課程を単位取得退学し、日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て、現職。専門は財政社会学、財政金融史。朝日新聞論壇委員。
著書に『経済の時代の終焉』(岩波書店、2015年度大佛次郎論壇賞受賞)、『分断社会を終わらせる』(共著、筑摩書房)、『18歳からの格差論—日本に本当に必要なもの』(東洋経済新報社)など。
※こちらの記事は日本労働組合総連合会が企画・編集する「月刊連合 2016年11月号」に掲載された記事をWeb用に編集したものです。「月刊連合」の定期購読や電子書籍での購読についてはこちらをご覧ください。