連合は「誰もが参加可能な共生社会の実現」に向けて2020東京パラリンピック開催を全力で応援中。パラスポーツへの理解と共感を広げる「ものがたり」を連載でお届けする。
感動を分かち合いたい パラスポーツを支える技術と情熱
パラスポーツを裏方として支える技術がある。義肢・装具・車いすの製造・開発を行うオットーボック社は、1988年のソウル大会以来、無償の修理サービスを提供し、パラリンピックをサポートしてきた。今年3月の平昌冬季大会にも技術者を派遣するとともに、IPC(国際パラリンピック委員会)ワールドワイドパートナーとして、パラスポーツへの理解を広げる活動を積極的に展開している。そのめざすところは何か。オットーボック・ジャパン(株)を訪ねた。
矢野裕一 義肢/モビリティソリューションズ事業部事業部長(右)と佐竹光江さん(左)
生活の質の向上をサポート
─まず、貴社についてご紹介ください。
オットーボック社は、1919年、ドイツのベルリンで創立。現在のハンス・ジョージ・ネーダー社長の祖父にあたるオットー・ボックが、第1次世界大戦で負傷した数多くの退役兵士に義肢を提供するために事業を立ち上げました。現在では、56カ国に販売・サービスの拠点を持ち、145カ国以上に製品を輸出、グループの従業員数は7900名になります。オットーボック・ジャパン(株)は1999年に創立、従業員数35名のうち12名が義肢装具士の免許を持っています。
創業者オットー・ボックは、「手足を失った人々や身体的障がいをもった人々が、その障がいを忘れてしまうほど優れた義肢・装具を研究開発し、これらを実生活上で使用することで、人生に再び意義を感じられるようになるための手助けをすること」というミッションを掲げました。どんなに優れた技術でも、使われなければ意味がありません。常に最新の技術を研究・開発し、それを必要とする人が実生活で使えるようにし、より良い人生をサポートする。この「生活の質の向上(Quality for Life)」というミッションは、グローバル企業となった今も受け継がれており、パラリンピックへのサポートやさまざまなプロジェクトを行っています。
選手村に修理サービスセンターを開設
─パラリンピックへのサポートとは?
1988年のソウル大会から30年にわたり、夏季・冬季を通じて、義肢・装具・車いすの修理サービスを無償で提供してきました。当社だけでなく、他社の製品にも対応しています。
ソウル大会では技術者が4人のとても小さなブースだったんですが、やってみるとかなり需要があることがわかりました。その後修理件数が増加するのに伴い、選手村の中に修理サービスセンターをつくって、世界中のオットーボックの技術者を集めるようになりました。目的は、出場するすべての選手に最高のパフォーマンスを発揮してもらうこと。道具の故障や不調で本来の力が発揮できないということがないよう、修理・メンテナンスに迅速に対応し、選手が競技に集中できる環境を提供しようと24時間対応のサービスにしました。そして、その機会をすべての選手に平等に提供するために無償で行っています。先進国の選手は、道具を調整するメカニックスタッフを帯同していますが、資金不足からそれができない選手も多いからです。
2016年のリオ大会では、修理サービスを提供した選手は1162人、修理件数は2408件。29カ国から派遣された92人のスタッフが対応しました。修理パーツは延べ1万5000、車いすのタイヤだけで約1000本、義足の足部で300足以上を準備しました。どんな修理にも対応できるよう、自社・他社含めあらゆる部品を取り揃え、溶接や縫製などの工作機械(18トン)もドイツから船便で運んで設置しました。また、競技施設にも技術者が常駐し、「壊れたからすぐに直して」というリクエストにも応えました。車いすに聖火リレーのトーチを置く台や入場行進の旗をホールドするパーツをつくってほしいという依頼も受けました。
リオ大会で、修理にかかった時間は延べ1万時間。技術者って、難しい修理であればあるほど、「技術者魂」が燃えるんです。世界中から集まった技術者が「これはこうやって直すんだ、見ておけ」と、互いに教え合う場にもなっていて、会社全体の技術レベルが上がるという成果も出ています。
入場行進で掲げる国旗のポール取り付け(平昌大会)
─まさに駆け込み寺ですね。
はい。何でも修理します。修理が終わると、選手が修理サービスセンターの壁に「サンキュー!」と書いてくれる。スタッフは、毎日それが増えていくのがうれしくて…。待合室では、各国の選手がゲームをしながら修理を待っていて、国際交流の場にもなっている。みんなパラリンピックを楽しんでいることが伝わってきた。パラリンピックへの修理サービスの提供を通して、「技術」への信頼だけでなく、選手と技術者の間に人と人との信頼感、一体感が生まれていると感じました。
今年3月の平昌大会でも、平昌冬季パラリンピック大会組織委員会との正式契約による公式修理サービスプロバイダーとして、選手村に修理サービスセンターを設置しました。義肢装具士、車いす技術者、サポートスタッフと溶接のスペシャリストを加えた34名を派遣し、朝8時から20時まで(二交代制)の緊急サービスに対応しました。私たちが、パラリンピックをサポートしているのは、何よりも、障がいを持った選手が、日々努力を重ね、困難に立ち向かい、最高のパフォーマンスを見せてくれるという、その感動を多くの人と分かち合いたいという思いからなんです。
修理サービスセンターの様子(平昌大会)
修理サービスセンターの壁にメッセージを書くパラリンピアン(ロンドン大会)
「パラリンピックへの情熱」展示会
─パラスポーツへの理解と共感を広げる活動にも力を入れていらっしゃいますね。
「義肢」「装具」「車いす」が、オットーボック・ジャパンの事業の3本柱ですが、義肢の進化はめざましく、コンピューター制御により、転倒の心配がなく、安心安全な生活を取り戻すことのできる義足や、筋肉が収縮する際に生じる微弱な電流(筋電シグナル)を利用してスイッチを作動させ、本人の意思で物を「つかむ、離す」の動作を可能とする「筋電義手」などが開発されています。装具や車いすも機能が飛躍的に向上しています。また、性能や耐久性だけでなく、デザインにもこだわりを持っています。
こうした最先端の道具や機器を見て触って体験してほしいと、「Passion for Paralympics(パラリンピックの情熱を分かち合おう)」と名づけた展示会を世界各地で開催しています。車いすに実際に乗ってみると、芝生や段差のあるところを真っすぐ走るのがいかに大変かわかる。車いすバスケットを体験すると、それがスポーツとして楽しいということがわかる。
また、より多くの方に情熱を感じていただくため、イベントも行っています。
メダリストと一緒にかけっこ
─どのようなイベントですか?
2016年に東京の区立小学校で「パラリンピック金メダリストと一緒にかけっこしよう」という特別授業を実施しました。事前に校長先生と念入りな打ち合わせをしながらプログラムを考え、ハインリッヒ・ポポフ選手(ドイツ)の講演とかけっこ競走の実技を組み合わせました。ポポフ選手は、リオ大会の走り幅跳び、ロンドン大会の陸上100mで金メダルを獲得したオットーボックのアンバサダーです。
講演のタイトルは「立ち止まらない勇気の大切さ」。9歳の時に骨肉腫で左足を切断したポポフ選手は、パラリンピックで活躍する選手を見て、障がいがあっても健常者と同じようにスポーツができることを知り、毎日トレーニングに励んだことなど、自身の体験を子どもたちに熱く語りました。そして、義足を実際に子どもたちに見て、触ってもらってから、校庭へ。ポポフ選手からかけっこの実技指導を受け、最後に一緒に教室で給食を食べて終了しました。わずか半日ですが、パラリンピアンと過ごした時間のインパクトは大きく、子どもたちは驚くほど変わる。本当にやって良かったと思いました。もっと広げたいと昨年も別の学校で実施しましたが、現在の体制では、年に1回開催するのが精一杯というところです。
もう一つ、「メダリストによるランニングクリニック」も好評です。これは、義足ユーザーに競技用の義足を貸し出し、走る喜びと健康で活動的な生活を取り戻してもらおうという3日間のプログラムです。2015年に初めて、ポポフ選手と、日本パラ陸上界の義足選手初のパラリンピックメダリストである山本篤選手を講師に開催しました。講義を受け、競技用義足の使い方を覚えてもらい、体幹トレーニングを行ってから、走る練習に入ります。下肢切断者は、健常者の数倍の体力を消費するので、このトレーニングが大切なんです。最終日には参加者から「走るという感覚に感動した」「走ることができて人生の幅が広がった」などの声を多数いただきました。
昨年は、ポポフ選手の「過去にクリニックをした人たちのフォローアップをしたい」という強い希望で、通常コースとは別にアドバンスコースも企画しました。過去2015年と2016年のランニングクリニック参加者26名のうち18名が参加して、あらためて走る喜びを分かち合いました。プログラムに賛同して、協力してくれる団体・企業も増えています。
ハインリッヒ・ポポフ選手
100m12秒11、走り幅跳び6m77cmの世界記録保持者
2020はマイルストーン
─次はいよいよ東京でパラリンピックが開催されますが…。
パラリンピックへの関心が高まり、当社にもさまざまな団体・企業から「何かコラボレーションできないか」という問い合わせが増えています。ただ、オットーボックは創業以来、障がいがある方たちと共に歩んできた会社です。2020東京大会は、その道のりの一つの通過点でしかありません。だから、「2020東京パラリンピックまでの活動ですか? それ以降の活動のビジョンをお持ちでしょうか?」とおたずねしています。
日本の障害者手帳の取得者は約800万人、その半数は身体障がいです。おそらくみなさんが思っている以上に多くの人が義肢や装具や車いすを必要としている。何らかの道具のサポートを必要とすることは、特別なことではなく、誰にでも起こりうること。一つの個性だと言ってもいい。だから、私たち一人ひとりが、互いにそれぞれの個性を尊重し、理解し合い、誰もが豊かで充実した生活を送ることのできる共生社会、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と受容)の実現に向けて、2020東京大会をマイルストーンにしながら、連携の輪を広げていきたい。そして何より、パラスポーツはスポーツとして楽しい。そのことを多くの人に伝えるために、これからも最大限のサポートを続けていきたいと思っています。
※この記事は、連合が企画・編集する「月刊連合4月号」の記事をWEB用に再編集したものです