開催まで3年! 2020東京パラリンピックを全力応援!!

2017年10月11日

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連合は、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピック大会に対し、「誰もが参加可能な共生社会の実現に向けて協力体制を構築する」という方針をうち立てている。協力の一環として東京都の障がい者スポーツ応援サイト「TEAM BEYOND」への登録(団体・個人)を呼びかけている。
そこで今回は、障がい者スポーツの魅力に迫った。

応援がモチベーションを高めてくれる
連合組合員にリオパラリンピックのメダリストがいることをご存知だろうか。パラ陸上の短距離で活躍する、多川知希選手だ。
これは、会いに行くしかない!「アスリートのひみつ」を知りたいという2人の小学生と一緒に多川選手の職場を訪ねると、メダルを携え、笑顔で迎えてくれた。

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 リオデジャネイロパラリンピック公式ジャージで記念撮影

工夫次第で何でもできる
─僕たちは今、小学校5年生です。小学生の頃、障がいがあって困ったことはありますか?

生まれつき右手が短いという障がいがありますが、実はあまり困った経験はないんです。普通の小学校に通いましたが、逆上がりも水泳もできたし、ピアノもリコーダーも得意。工夫次第で何でもできるし、できないことは助けてもらえばいい。
僕は、「健常者と同じように何でも自分でやらなきゃ」とは思っていないんです。できることは限界までやる。でも、できないことは、できないと言って助けてもらう。だから、「困った」ことはなかった。両親や先生、友だちをはじめ、まわりの環境にも恵まれたんだと思います。
「障がいがなかったら」とは、あまり考えたことはないんですが、強いて言えば、どれくらいのタイムで走れたんだろうとは思います。右手が短いことで体の筋力のバランスが変わり、走力にも影響すると言われているからです。

活躍できる世界がある
─陸上競技を始めたのはいつですか?

中学の部活動からです。小学校時代の友だちが陸上部に入るというので、一緒がいいと思って。走るのは好きだったし、球技のように道具を使うものより、同じ土俵で競い合えるという思いもありました。やり投げやリレーなどの種目に出場していましたが、中高時代は、パラスポーツの世界をまったく知りませんでした。普段の生活で、障がいを意識することがあまりなかったから、「障がい者の」という言葉がつく団体や活動には関心がなかったというか、心のどこかで避ける気持ちがあったのかもしれません。
大学に進学して、陸上競技を続ける気はまったくなかったんですが、家族がパラ陸上の存在を教えてくれたんです。「家でゴロゴロしてるなら、1度出てみれば」と言われて、大会に出てみたら、100mで大会新記録を出したんです。自分が活躍できる世界があると知ってうれしかったし、走ることが楽しかった。当然、選手はみんな障がいを持っていますが、そのことを積極的に捉えて自分の世界を広げていました。全国大会や海外での大会にも呼んでもらえるようになって、僕も世界が変わりました。
障がいがあっても、健常者と同じようにできるし、特別扱いされたくないと思っている方はたくさんいると思うんです。でも、だからといって障がい者の団体やその活動を遠ざけてほしくない。パラスポーツの世界で活躍することで、そうした垣根を取り払っていくこともできるのではと思うようになりました。

─仕事をしながら、練習したり、大会に出るのは、大変ではないですか?

大学在学中に出場した北京パラ大会では、思うような結果が残せず、次こそはという思いがあり、一般企業に就職して競技と両立する道を選びました。
仕事は、8時40分から17時20分までで、残業になることもあります。仕事が忙しくてプロの選手がうらやましく思えることもありますが、やはり仕事も競技も頑張って、「この道を選んで良かった」と胸を張れるようになりたい。
海外の大会に出場する時は休暇をもらいます。職場には負担をかけますが、みんな応援してくれています。

チームの団結力でメダル獲得
─リオのパラリンピックで銅メダルを獲った時の気持ちは?

パラリンピックでのメダルは初めてで、しかもリレーという種目で獲れた。リレーは、陸上競技の中で唯一の団体種目です。4人の走者が切磋琢磨した中で、走順や走り方、バトンパスについて研究を重ねて臨む、団結力が問われる競技です。見ているほうも興奮しますが、走るほうもすごく楽しい。そこで結果が出せたことは本当にうれしかったですね。

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右:2016リオデジャネイロパラリンピック銅メダル
左:2017ロンドン世界パラ陸上銅メダル
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─僕はバスケットボールをやっていますが、速く走れるコツがあったら教えてください。

自分の走りを客観的に見て、イメージ通り走れているかを分析することかな。そうすると、まだできていないところがわかる。そこをイメージに近づけていく努力をすることが大事だと思います。

─僕はソフトボールのピッチャーをやっていて、試合の時、よく緊張してしまいます。そんな時はどうしたらいいですか?

緊張するのは、それだけ競技に真剣に向き合っているからだと思います。昨日までできなかったことが、今日いきなり試合でできることはあまりない。「試合」って、試し合うと書くでしょう。今までやってきたことを信じて力を出し切ればいい。「勝たなきゃ」とか「負けたらどうしよう」と思うから緊張する。

─陸上競技をやってきて、うれしいことや楽しいことは?

みなさんの応援がいちばんうれしいですね。こうして世界に挑戦できていることが、今まで自分を支えてくれた人たちへの恩返しにもなっているし、いろんな人と知り合う機会も増えて世界が広がりました。

楽しさを伝える努力を
─東京パラリンピックでの目標は?

リレーでも個人種目でも、メダルを狙います。そのために今、フォームの改造や筋力アップという根本のところをトレーニングしています。あと3年ですが、パラスポーツに対するメディアの注目度はまだまだ低い。「取材しなきゃ」って思わせるようなパフォーマンスを出していかなければと思っています。

─東京パラリンピックを成功させるために大事なことは何ですか?

北京、ロンドン、リオと3つのパラリンピックを経験しましたが、ロンドン大会は、観客の応援が素晴らしかったですね。平日の昼間なのに観客席がほとんど埋まっていて、身を乗り出して競技を楽しんでくれる。選手にとって、これほど励みになることはありません。
だから、東京でも、選手と観客が一体になれるような大会をめざしたい。動員で席を埋めるのではなく、たくさんの人にパラスポーツに興味を持ってもらい、競技を見たいと思ってもらいたい。そのためには、僕たちアスリートも、あらゆる機会を通じてパラスポーツの楽しさを伝える努力をしたいと思います。
東京大会は、選手村施設や競技場などのハード面では世界に誇れるものになるでしょう。課題は、障がい者に対する人々の意識やパラスポーツに対する関心というソフト面です。ロンドンでは、競技場内だけでなく、そこに向かう途上でもさりげないサポートを何度も目にしました。この3年で、そういうソフト面での対応に取り組めるかどうかが、成功のカギになると思います。
障がいを持っていても暮らしやすい環境をつくっていく。まわりの意識を変えていく。それがパラスポーツアスリートとしての自分の使命なのかもしれない。最近、そんなふうに思っています。

─3年後、かならず応援に行きます。ありがとうございました。

インタビューを終えて

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右:ケンシロウくん
左:マサキくん

【マサキくん】
多川選手に話を聞いて学んだことは、障がいを持っていても自分でできることは自分でやること!走り方は普段練習したことをそのままやること!それが本番で力を発揮できる方法だということです。僕はソフトボールでピッチャーをしています。
本番で実力を発揮するために一生懸命練習してがんばります。

【ケンシロウくん】
僕が多川選手に教えてもらったのは、自分にないことを考えるより、自分にあることを探すこと。もう一つは、「○○だからできない…」とマイナスに考えないで「こうすればできる、やってみよう!」とプラスに考えて挑戦することがとても大切だということです。僕はバスケットボールをやっています。試合中、シュートが入らないかもと不安になると本当に入りません。お話を聞いた後、「入る!」と信じたら、気持ちが軽くなってシュートがしやすくなりました。

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多川知希 たがわ・ともき

電力総連・東京電力労働組合

1986年生まれ。生まれつき右前腕部が短い障がいがある。早稲田大学在学中の2008年に北京パラリンピックに出場。同大学院を修了し、2010年東京電力に入社。陸上クラブAC・KITAに所属し、2012年ロンドンパラリンピックでは100mで5位、4×100mリレーで4位入賞。2016年リオパラでは4×100mリレーで銅メダル獲得。今年7月のロンドン世界パラ陸上にも出場し、4×100mリレーで銅メダル。