”労働組合による未来づくり” トップリーダー座談会(前編)

2022年2月7日

2年にわたるコロナ禍で、日本社会の脆弱性や課題が浮き彫りになっている。2022年は、様々な課題の解決に向けて動き出す年になる。その起動力として、労働組合や連合の役割は重要性を増している。さらに今後は時代に合わせて、新しい運動スタイルの構築も求められている。

連合は、「れんごうの日」の取り組みとして、毎月テーマを決めて連合本部・構成組織・地方連合会が一体となったオール連合型運動を展開している。1月のテーマは「労働組合とは」。本誌でも特別企画として、連合会長、会長代行、事務局長による「新春座談会」を行った。労働組合とは何か。未来づくりに向けてどのように運動を進めるのか。今期、重視すべき課題は何か。注目の新体制トップリーダーが語り合った。

トップリーダーの原点と労働組合の役割

山根木 まず、労働運動に関わったきっかけや経歴、1月の「れんごうの日」のテーマである「労働組合とは」について考えをお聞かせください。

芳野 私は単組の専従書記から組合活動をスタートしました。きっかけは、新入社員紹介の社内報です。自己紹介欄に「3歳の頃からバレエをやっていました」と書いたら、当時の委員長の目に留まりスカウトされたんです。「ひとつのことを長くやってきた人はこの仕事に向いている」と。専従書記になってから2、3年が経ち、女性組合員から相談があった時、執行部が「それは女性の中で解決して」と取り合わなかったことがありました。私が「おかしくないですか」と抗議したら、「だったら、君が執行部になって解決すればいい」と言われて、「じゃあやります!」と…。初の女性執行委員になってからは、女性たちが「すぐ傷んで困るよね」と言っていた制服のリボンとベルトの貸与や育児休業制度の導入などに取り組みました。女性たちもすごく喜んでくれて、組合を応援してくれるようになりました。日常の中に組合が解決できる課題が多くある。それを知ったことが、私の労働運動の原点です。その後、次々と問題が持ち込まれるようになって、社員食堂のスープの肉団子が3個から2個になった、卵サンドが3切れから2切れになった、これは実質の値上げではないかという声にも対応しました。新入組合員研修で「労働組合とはお世話役係」だと教えられましたが、その通りだと実感する日々でした。

松浦 世話役は大事ですね。そこから労働組合への信頼感が生まれますから。
私は、大学卒業後、繊維関係の営業職に就きました。職場委員を引き受けたら、次は「組合の専従をやれ」と言われて、賃金・処遇制度の担当になったんです。戦前からの歴史ある会社なので処遇制度には学歴主義的要素が強く残っていて、工場勤務から営業職になった先輩たちは、私よりずっと仕事ができるのに、私のほうが早く昇進する。専従役員をやるならこの問題を解決しようと思い、7年かけて学歴格差を縮小させました。自分にも働く人のためにできることがある。そう思えたことが、私の労働運動の原点です。そのタイミングで産別に来ないかと声をかけられました。業界として公正労働基準を確立する必要があると感じていたので、お受けして今に至ります。
労働組合とは何か。ひとりではできないことをやるために労働組合がある。労働組合がみんなの問題を解決できるのは、「言うべきことを言い、いざという時は実力行使ができる」という労働基本権があるから。労使の信頼関係はもちろん重要ですが、何でも会社の言う通りの組合では、存在意義はない。そう思っています。

川本 私は、北海道で生まれ育ち、町役場に就職しました。その日のうちに新規採用オルグを受け、労金や共済などの書類にハンコを捺し、夜は国労の組合事務所に呼ばれて「労働組合とは何か」という講義を受けました。当時、行政改革の柱として国鉄の民営化が打ち出されていた時代です。そんな町で、そんな時代に組合員になったので、いきなり社会運動に身を投じることになりました。子どもの頃から切符を切る鉄道員に憧れていたこともあり、「町の足を守り、働く人を守れ!」と国鉄分割民営化反対運動に奔走し、隣接する幌延町の高レベル放射性廃棄物貯蔵施設の誘致反対運動にも参加しました。
職場では、青年部の一員として活動をスタート。ワンマンな町長の下で賃金・処遇が体系化されていなかったことから、先輩たちが組合を結成したのですが、発展途上の組織で新しいことには何でも挑戦しようという勢いがありました。青年部として、お茶汲みや係長以上の肘付イス、朝礼などの見直しを提案し、実現しました。さらに10市町村13単組青年部の会議体を結成し、私はその事務局長、議長を経て、自治労北海道本部の青年部幹事、道民運動部長、組織部長、企画総務部長、財政局長、書記長になり、2011年に自治労本部に来ました。
労働組合は職場が原点です。職場の問題にしっかり取り組んでいる組合は、組織率も高い。労働組合とは何かと聞かれたら、「働く人に寄り添う組織」と答えています。

清水 私も青年部活動が原点です。教員になったのは大量採用の時代で、初めて赴任した千葉県佐倉市の中学校は、55人の教職員のうち31人が30歳未満の青年部員でした。宿直室でしつこく組合加入を勧められ、入るならきちんと労働組合を理解しようと勉強しました。わかってくると口も挟みたくなります。あれこれ物申していたら、青年部の代表をやることになり、2泊3日の合宿で学校教育改革について熱く語り合ったりしました。そんな取り組みが伝わって、千葉県教組の青年部執行委員になり、次に印旛支部の書記長になりました。支部には、11市町村153校の分会がありましたが、夏季休業中の学校閉庁日の日数が市町村で違っていた。そこで校長会や教育長と話をして、支部管内は「学校閉庁日5日」に統一しました。県教組の書記長の時は、選挙で推薦した知事が財政難を理由に賃金カットをするというので、県庁で座り込みを行い、削減額を圧縮することができました。いずれも組合員に喜ばれました。
労働組合とは何かと聞かれたら、「仲間づくりと学習」ですね。例えば、法改正があった時、通知文を見ただけでは学べないけれど、労働組合なら、その内容も職場での活かし方も学べるし、仲間づくりもできる。それがいちばんの魅力です。

職場から始まったジェンダー平等の取り組み

山根木 若き日の姿が目に浮かびます。芳野会長は、就任後「連合運動すべてにジェンダー平等の視点を」と訴えてきて、先日、その「ジェンダー平等」で流行語大賞トップテンを受賞しました。社会的認知も広がってきました。

芳野 国連の第4回世界女性会議(北京会議)で「ジェンダー平等」や「ジェンダーの主流化」が提起されたのは、30年近く前のことです。それがオリンピック・パラリンピックをめぐる発言以降、国内で理解が進んだ。歴史的にはジェンダー平等に尽力されてきた先人のみなさまがいたからこそなのですが、このように広く認知され、改めて注目されたことは感慨深いです。
私は、職場で男女賃金格差の実態把握と要因分析などに取り組んできましたが、労働組合のジェンダー平等の取り組みをもっと知ってもらえるようにしたいですね。

川本 昔、町役場の始業は9時でしたが、女性職員は8時に来て、お湯を沸かして、ゴミを捨て、灰皿をきれいにしていた。一人ひとりの湯飲みと好みを覚えて、1日3回、お茶やコーヒーを淹れる。「なぜ女性だけ?」と聞いたら、管理職が「女性に入れてもらうほうがおいしいから」と平気で答えるような時代でした。組合も問題にしていなかったのですが、青年部が「おかしい」と訴えて廃止することができました。結婚退職慣行も課題でした。1980年代でも自治労の女性組合員比率は4割弱ありましたが、当時は、結婚したら女性が辞めるのが暗黙の了解。だから、女性は臨時職でしか採らない自治体や、男女別の賃金表を持つ自治体がたくさんありました。自治労では、まず結婚しても働き続けるところから始めて、産休や育休を取ろうというチャレンジを続け、今では、結婚、妊娠・出産、育児を理由に辞める女性はほぼいなくなりました。

松浦 私の出身企業には結婚退職時に退職金を増額する規定がありました。一見、女性優遇に見えるけれども、女性に早期退職を促す制度はおかしいと考えて、労使交渉で見直しを求めたんです。なぜこんな制度があるのかと聞くと、会社側は「職制の課長・部長は、女性は若いほうがいいという意見が多い」と答えた。「男女を問わず、経験を積んだ人に貢献してもらうことが大事でしょう」と説得し、見直しを勝ちとりました。男女平等の法制化が加速する一方、職場では固定的な性別役割分業意識が残っていて、そのズレが非常に際立った時代でしたね。総合職・一般職などのコース別管理が、学歴格差と同様に男女格差につながっていることも認識していました。だから、各コースをどこでオーバーラップさせるか、転換の仕組みをどう整備するかという取り組みも重ねてきました。

清水 日教組も女性組合員比率が5割を超えているので、早くから女性参画やワーク・ライフ・バランスに取り組んできました。労働条件は基本的に男女平等ですが、やはり性別役割分業意識が根強くあって、女性参画を進めるためにも、誰もが参加しやすい組合活動にしなければと考えてきました。

山根木 私も単組の委員長時代に、世帯主に付く家族手当などの属人給を廃止して基準賃金に付け替えました。相対的に男性の賃金水準が下がり、女性が上がりました。女性組合員から「気分的にすっきりした」という言葉をもらいました。

芳野 みなさん、きちんと取り組まれてきてますね。「連合運動すべてにジェンダー平等の視点を」も、ぜひ一緒に取り組んでいただきたいと思います。

➝座談会の後編はこちらから

※この記事は、連合が企画・編集する「月刊連合1・2月合併号」をWEB用に再編集したものです。

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