連合は、「竹島(たけしま)は、日本固有の領土である」として、竹島領土問題について、連合島根、連合中国ブロック連絡会と連携して取り組んでいます。
竹島とは、島根県・隠岐諸島の北西約158kmの日本海上に位置する群島です。
男島(おじま)、女島(めじま)という2つの島と、沖の島(おきのしま)、五徳島(ごとくじま)、平島(ひらじま)、南西岩(なんせいいわ)、錐岩(きりいわ)など数十の岩礁で構成され、島根県隠岐の島町に属しています。
その総面積は0.21平方kmと、東京ドーム(46,755平方m)の約5倍。海面から断崖絶壁がそびえ立つ、急峻な火山島です。
この竹島は一度として、日本以外どこの国の領土にもなっていない、日本固有の領土です。
竹島の位置
竹島
※2017年4月1日、国土地理院が地名表記を更新。竹島の地元・隠岐の島町の申請により、地元で古くから漁師たちが使っていた名称に変更。
そのほか、岩、湾、海岸も地元で古くから漁師たちが使っていた名称で記載。
竹島では、江戸時代初期には既に日本人によるアシカ猟やアワビ漁、ワカメ漁が行われていました。しかし、1900年代初頭に入るとアシカ猟が過当競争の状況になり、アシカの絶滅を心配した隠岐の中井養三郎氏が竹島のアシカ猟を許可制とするため、竹島を日本の領土とするよう日本政府に願い出ました。
これを受けて日本政府は、日本以外どこの国も領有権を主張していないことを確認した上で1905年1月28日、閣議決定で「竹島」と命名するとともに竹島を「隠岐島司ノ所管」と定めました。また、この閣議決定と内務大臣訓令にもとづき、1905年2月22日の島根県告示で竹島を「本県所属隠岐島司ノ所管」と定めました。この事実にもとづき、2月22日は島根県条例で「竹島の日」と定められています。
しかし、サンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月18日、韓国は周辺国との間に海洋境界線(李承晩ライン)を国際法に反して一方的に設定。竹島をその内側に取り込みました。以降、韓国は今日に至るまで竹島の不法占拠・実効支配を続けています。
そのため、今日でも竹島を自由に訪問できない、竹島周辺で自由に漁業操業できない、竹島周辺で海洋資源調査を自由に行うことができないなど、日本の主権が侵害されています。これが「竹島領土問題」です。
連合は、2011年10月4日の第10回定期大会で、竹島領土問題に対して連合全体で取り組むことを確認。毎年9月の「平和行動in根室」の中で、竹島領土問題についてのアピールを行っています。また、連合島根、連合中国ブロック連絡会主催による「竹島の領土権確立を求める集いin松江」を開催しています。
(1)マッカーサーライン(1946年)
第二次世界大戦後の日本占領統治下、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は1945年9月27日以降、日本漁船の操業区域を制限する、いわゆる「マッカーサーライン」を順次設定していました。1946年6月22日には、「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する件(SCAPIN第1033号)」を指令。この中で「日本の船舶及び船員は竹島から12海里以内に近づいてはならず、又この島との一切の接触は許されない」と制限しました(その後、制限水域は12海里から3海里に縮小)。
なお、「この指令中のいかなる規定も,ポツダム宣言の第8項に述べられている諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない」と明記されており、日本の領土を決めたものでも竹島を韓国の領土と決めたものでもありませんでした。
そのため、このマッカーサーラインは1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効に先立つ1952年4月25日に廃止されました。
マッカーサーライン(1946年6月22日)
(※竹島がラインの外側に置かれている)
(2)サンフランシスコ平和条約(1951年調印、1952年発効)
1951年9月8日、日本は「サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)」に署名(1952年4月28日発効)。日本は主権を回復するとともに、この条約の第2条a項にもとづき、済州島、巨文島、鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原および請求権を放棄しました。
しかし、日本が放棄した領土に竹島は含まれていません。
なお、サンフランシスコ平和条約の起草段階で、韓国は日本が放棄する領土に竹島を加えるようアメリカに要求しましたが、アメリカはこれを拒否。理由は「竹島に関しては、朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にある。竹島がかつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは考えられない」でした。
サンフランシスコ平和条約(1951年9月8日調印、1952年4月28日発効)
(3)李承晩ライン(1952年)
サンフランシスコ平和条約発効直前の1952年1月18日、韓国は日本海上に海洋境界線(李承晩ライン)を国際法に反して一方的に設定。ライン内の漁業管轄権を主張するとともに、竹島をライン内に取り込みました。
日本は1952年1月28日と1952年4月25日、韓国に対して抗議しています。また、アメリカも1952年2月12日、韓国に対して李承晩ラインを認めることができないと通告していますが、韓国はこれを無視しています。
そのような中、日本の海上保安庁の巡視船が1953年7月12日と1954年8月23日には銃撃、1954年11月21日には砲撃される事件も起こりました。
この李承晩ラインは日韓基本条約と日韓漁業協定が締結された1965年6月22日以降、無効・廃止となりました。
李承晩ライン(1952年1月18日)
(※竹島がラインの内側に置かれている)
【参考】マッカーサーラインと李承晩ラインの位置関係
2022年は、李承晩ラインの設定(1952年)から70年となります。現在、韓国は竹島に灯台やヘリポートなどを建設し、警備隊員を常駐させるなど不法占拠・実効支配を続けています。
この間、日本は外交交渉を通じた平和的な問題解決をめざすとともに、国際司法裁判所(ICJ)への付託を3度(1954年、1962年、2012年)にわたって韓国に対して提案していますが、韓国はいずれも拒否しています(※)。
※国際司法裁判所(ICJ)は、国際紛争の両当事者が提訴に合意しなければ審理開始できないため。