エッセイ・イラスト

「治る、のではなく」こころにホットタイム【8】

(月刊連合2020年11月号転載)

皆さま、こんにちは。もの想う秋、今回はメンタルヘルス不調が「治る」ということについて考えたいと思います。「治りますか?」「元に戻りますか?」と聞かれることがよくあります。私は「治る」という言葉をあまり使いません。悲観的な意味ではなく、です。

胃潰瘍で薬をのみ、潰瘍がなくなれば、「治った」と言えますね。一方、治るというより病気と上手に付き合う、と言う方が適切な病気もあります。糖尿病は治るというより上手に血糖コントロールをしていく病気です。メンタルヘルスの領域でも、統合失調症や双極性障害など、薬を適切に服用しながら上手に付き合っていく必要があります。

それではうつ病でうつ状態が回復し、パニック症でパニック発作が起こらなくなったら、どうでしょうか。これを「治った」と言うこともできるでしょう。でもメンタルヘルス不調では、病気になる前の状態に「戻って」も仕方がないと、私は思っています。もう少し説明しましょう。

メンタルヘルス不調では「発症契機」と呼ばれる、病気が発症するきっかけがあることが珍しくありません。職場でのストレスがきっかけでうつ病を発症するのはその例です。仕事ができないほどの状態になっても、いったん休職して薬をきちんと服用し、うつ状態から回復することも可能です。しかし、それだけでは、また似たような負荷がかかった時には再発する可能性が高いでしょう。でも、違う経過をとる人もいます。モデルケースDさんを見てみましょう。

Dさんは就職して10年目の女性です。人間関係が得意でないという自覚がありましたが、これまでは特に問題なく働いていました。しかし数か月前に異動となった部署では、上司とそりが合わず、毎日辛い思いをするようになりました。食欲が落ち、眠れなくなり、憂うつで何にも興味がわかず、会社にも行けなくなりました。うつ病と診断され、休職と薬の治療で次第に回復しましたが、会社に行く元気は出ません。こんな自分は何をやってもだめという気持ちが抜けない中、それでも何とかしたいと思い、心理療法を希望しました。

心理療法では、うつ病になった状況を振り返り、環境の問題に加えて人間関係の苦手さが大きなストレスになっていたこと、さらには、そもそも親との関係に信頼感を持てず、何事にも自信を持てないできたこと、うつ病でさらに自信を無くしたこと等に気づいていきました。自分を振り返りつつ復職準備を経て、復職しました。そして、むしろ病気になる前より、前向きに生きられるようになっていきました。

Dさんはうつ病になって辛い思いをしましたが、そこから立ち上がるプロセスで自分をゆっくりと振り返り、心理的な成長を進めていきました。メンタルヘルス不調は、それまでのやり方では無理があると教えてくれるサインとも言えます。せっかくのサイン、「元に戻る・治る」のではなく、その先を行くお手伝いをしたいと思っています。

矢吹弘子 やぶき・ひろこ
矢吹女性心身クリニック院長
東邦大学医学部卒業。東邦大学心療内科、東海大学精神科国内留学を経て、米国メニンガークリニック留学。総合病院医長を経て1999年心理療法室開設。2009年人間総合科学大学教授、2010年同大学院教授、2016年矢吹女性心身クリニック開設、2017年東邦大学心療内科客員講師。日本心身医学会専門医・同指導医、日本精神神経学会専門医、日本精神分析学会認定精神療法医、日本医師会認定産業医。
主な著書:『内的対象喪失-見えない悲しみをみつめて-』(新興医学出版社2019)、『心身症臨床のまなざし』(同2014)など。

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