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「沖縄・辺野古」清水事務局長のFree Walk【15】

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6月22日に沖縄に入った。那覇空港に到着後、UAゼンセン加盟のイオンで、追悼式で着用する黒の「かりゆし」と緑の「かりゆし」の2着を購入し、夕刻には玉城デニー知事と意見交換を行った。
23日の「慰霊の日」の午前中には、糸満市の摩文仁丘(まぶにのおか)にある平和祈念公園で行われた「令和6年度沖縄全戦没者追悼式」に労働組合を代表して参列した。沖縄戦終結50周年の1995年に完成した「平和の礎(いしじ)」には、沖縄戦で犠牲となった沖縄県民と国内外すべての人々の名前が刻まれている。前日から、当日朝早くから、追悼式の前後にも、多くの遺族や平和を祈る人々が礎の前で黙祷を捧げていた。追悼式では、「平和の詩」の朗読に心打たれた。沖縄県立宮古高校3年の仲間友佑さんの「これから」だ。

~誰かが始めた争いで
~大切な人は突然 誰かが始めた争いで 夏の初めにいなくなった
~誰かが始めた争いが そのすべてを奪い去る
~今日まで人々は 恒久の平和を祈り続けた 小さな島で起きた 
~あまりに大きすぎる悲しみを 手を繋ぐように 受け継いできた
~それでも世界はまだ繰り返している 七十九年の祈りでさえも 
~まだ足りないというのなら それでも変わらないというのなら 
~もっともっとこれからも 僕らが祈りを繋ぎ続けよう

左上:激戦地となった嘉数高台。嘉数高台公園の展望台からは普天間飛行場が一望できる。
右上:名護市・大浦湾の対岸(瀬嵩の浜)ら望む辺野古新基地の建設現場
下:道の駅「かでな」から見える海まで続く広大な嘉手納飛行場。手前の道路に挟まれた部分は「黙認耕作地」

午後には、連合は太平洋戦争敗戦から79年の「2024平和オキナワ集会」を那覇市で開催した。オープニングで沖縄市山里青年会による「エイサー」演舞が披露された。エイサーは沖縄県と鹿児島県奄美群島でお盆の時期に踊られる伝統芸能だ。沖縄の踊りと言えば、両手を頭上に挙げ、手首を回しながら左右に振る「カチャーシー」がお馴染みだが、エイサーの力強い太鼓の響きが心地良かった。沖縄国際大学の前泊博盛さんの基調講演「再考・日米地位協定~〝標的の島〟からの警告:米軍、軍拡、憲法、自衛隊~」は、資料豊富で聴きごたえのあるものだった。連合沖縄の仲宗根会長から連合広島の大野会長へのピースリレーも行われ、連合の平和4行動が繋がれた。

上:「チビチリガマから世界へ平和の祈りを」の石碑と説明するピースガイド
下:読谷村のチビチリガマの入口

24日には、ピースフィールドワークに参加した。Aコースは、辺野古→嘉手納飛行場→チビチリガマ→嘉数高台・普天間飛行場を回った。ABCの3コース、全部で12台のバスには、連合沖縄と連合大分からのピースガイドが同乗して、1日丁寧に、楽しく案内をいただき、感謝で一杯だ。

米軍は、1945(昭和20)年3月26日に慶良間諸島へ上陸し、4月1日には沖縄本島へ上陸した。2か月にわたる、恐ろしく凄惨な沖縄の地上戦によって、20万人余りの尊い命が失われた。そして、今もなお、日本の国土面積のわずか0.6%に過ぎない沖縄に、在軍米軍基地・施設の約70%が集中し、米軍基地に関する事件・事故が後を絶たない。このことをしっかりと捉えたい。私の90歳になる母は、沖縄戦の始まる前の3月10日、東京大空襲の中、生き延びた。私は命を繋いでもらった。改めて、核兵器の廃絶と世界の恒久平和の実現、在日米軍基地の整理・縮小、日米地位協定の抜本的見直し、北方領土の早期返還など、連合の平和運動に取り組んでいくことを誓った。

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