Season2 第6回は、第19回連合定期大会で副会長に選出された小林美奈子日教組書記次長にインタビュー。三重県で小学校教員として楽しい学校をめざして実践。三重県教職員組合(三教組)では、支部での教育研究活動や女性部運動を担い、2016年三教組の専従役員に。女性部長(中央執行委員)、書記次長、中央執行副委員長を経て、2022年日教組の書記次長、2025年10月に連合副会長に就任。「人生はタイミングとバランス」という言葉を胸に、気負うことなく課題に向き合い新たなステージを切り拓いてきた、その素顔に迫ります。

小林 美奈子(こばやし みなこ)連合副会長・日教組書記次長
民間企業勤務を経て、1991年三重県の臨時的任用教員(小学校)、1995年新規採用教員(小学校)となる。三重県教職員組合桑名員弁支部(当時の員弁支部)の女性部長等を経て、2016年三重県教職員組合女性部長兼中央執行委員、2018年同女性部長兼書記次長、2020年同中央執行副委員長。2022年日本教職員組合書記次長に就任し、2025年10月より連合副会長。
なんて面白い仕事なんだろう!
—労働運動を始めたきっかけは?
三重県北部の朝日町で生まれ育ち、地元の大学の教育学部に進学しました。教員養成課程でしたが、教育実習に行けば行くほど「自分には向いていないかもしれない」と思うようになり、教員免許は取得したものの、教員採用試験は受験せず、民間企業に就職しました。
会社の仕事に慣れた頃、高校教員の父から「同僚のつれあいが産休に入るのに代替補助教員が見つからなくて困っている。あなたには教員免許があるから、やってみないか」と…。そんな経緯で会社を辞め小学校の臨時的任用教員になったのですが、やってみたら「なんて面白い仕事なんだろう!」と心を動かされました。そのまま「臨時・非常勤」で働くことにし、4年目に採用試験に合格して「新規採用」となりました。
教職員組合はオープン・ショップ制ですが、三重県教職員組合(三教組)の加入率は当時も100%に近く、「入るのがあたりまえ」。私も、ごく自然に組合員になりましたが、職場では「組合があって本当に良かった」と思える経験をしました。
まだ「臨時・非常勤」の時、研究公開授業の授業者決めの場面で、管理職に「臨採の人には負担が大きいからやらなくていいよ」と言われたんです。「配慮」だったのかもしれませんが、ショックでした。教壇に立つとき、子どもたちにとっては、正規でも臨採でもおなじ教員なのに、腕を磨く機会が普通にもらえないんだなと。そんな私の気持ちを汲んでくれたのが組合の分会役員はじめ仲間たちでした。
その後も組合には助けられました。新規採用された後、同じ教員の夫と結婚し、娘と双子の息子が生まれました。夫の両親の助けがありましたが、それでも時間が足りません。日々の教材づくりやとりわけ研究公開授業の時は、幼い子どもたちを寝かしつけてから指導案などの作成にとりかかり、気づいたら朝になっていたことも。仕事の手は抜かないと頑張っていたつもりでしたが、同僚には負担をかけていたんでしょう。「だから、主婦と仕事するのはイヤなんだ」と言われ、打ちのめされてしまいました。でも、その時も分会の仲間が「頑張りたいという気持ちと実は大変という事情。私たちのこれまでのやり方を見直す必要もあると思っているよ」と声をかけてくれました。職場の一人ひとりを大切にして気持ちを寄せる。それぞれの立場を理解し、問題解決のためにもう1度みんなで仕切り直そうと呼びかける。それができるのが労働組合なんだと理解しました。
子どもたちに楽しい思い出を
—教員の仕事の面白さとは?
先日、教え子の結婚式に招かれたんですが、小学校時代の思い出を聞いたら、みんなでよく外で遊んだなあと…。教室だけでなく、田んぼに入って土に触れたり、野菜や花などの植物やフナやメダカなどの生き物を育てたりして自然やいのちを感じるといった体験が人として大切な感性・感覚をつくるんじゃないかなと思っています。それをみんなで共有できる空間が特に小学校だと思うんですね。1年生に大縄跳びを教えてあげよう、地域の田畑や商店に行って働く姿を見せてもらおう、お話聞かせてもらおう、そんな時間を大切にしてきました。学校行事も大好きで、遠足、運動会、キャンプ、修学旅行、合唱発表会、学習発表会には全力投球しました。(現在では、行事のあり方もずいぶん変わったようですが)
授業で力を入れたのは、「生活綴り方」と呼ばれる「作文」です。日教組は、結成以来、教員が現場での実践を持ち寄り、教育方法や教材を研究する教育研究活動を行ってきていますが、支部の教研活動に「生活綴り方」があったんです。クラス内に認め合える関係性が築かれてくると、子どもたちが「作文」の中で心の内を打ち明けてくれる。それで子どもたちどうしがつながったり、私とつながったりする。そんな経験がたまりませんでした。 高学年の特別活動では、テーマを決めて賛成グループと反対グループにわかれて議論するディベート大会。相手の意見を聴いているうちにグループを移動する子も出てきたりして、相手の意見を聴くことの大切さを学び合いました。
「わが子・教え子を再び戦場に送るな」
—単組や支部での活動は?
女性部の運動に参画するようになりました。女性部には、みずから行動し、社会を変えようという強い決意でジェンダー平等に取り組んできた歴史があります。
三教組の教育研究集会での「男女の自立と共生をめざす教育」分科会(1977年「婦人と教育」でスタートした分科会)において、「性別は男女に二分できるものじゃない、性のあり方はグラデーション」という意見が出され、その認識を大切にするため、三教組女性部は2009年の分科会から、男女にカギカッコをつけました。振り返れば、世の中のジェンダー平等・多様性尊重を先取りする発想で、柔軟ではば広い視野に立つ女性部運動に、多くの学びを得ました。
大切にしてきたことの一つに「母女(ははじょ)運動」があります。1954年、「わが子・教え子を再び戦場に送るな」という強い決意のもと「母と女性教職員の会」が結成され、この平和を求める草の根運動は、全国各地で展開されてきました。三教組では母女運動の意義を継承しつつ、名称を「みえ 子どもの未来を語る会」に変更し、保護者・地域の方々と教職員が語りあっています。中央においては毎年、「母女全国集会」を開催しています。
2011年には支部の女性部長に就任。女性組合員から、ハラスメントや産休・育休などに関する相談を受ける立場になり、問題解決のために行政や学校との協議に奔走しました。
組合運動をしている実感が持てるように
—2016年に三教組の女性部長・中央執行委員(専従)に…。
現場を離れても、現場の声は大切にしたいと、各支部の女性部長と相談して育休から復帰する組合員との懇親会を開催しました。すると、「自分にどんな権利があるのかわからない」という声が多数あがって、制度・権利の学習会や経験者の話を聴く会を毎年、各支部で開催しました。
特に男性の育休推進と育児短時間勤務制度の周知に取り組みました。当時、この権利を行使しているのは支部に1人いるかいないか。育短の人には大事な仕事は頼めない、男性の育休については、なぜ男性のあなたが…という雰囲気があって、利用をためらう人も少なくありませんでした。そこで各支部長に声をかけて、権利を行使しやすい職場づくりを進めてもらうとともに、行政と一緒に対応策を考えてもらいました。現場の声を聞いて、それを要求にして、職場改善を進めていく。現場と組合と行政が自分の中でつながって、組合運動をしている実感が持てるようになりました。

県教委との“全体交渉”の様子
—三教組でほかに取り組まれた活動は?
「日朝友好三重県民会議」の取り組みです。近鉄阿倉川駅近くに、在日コリアンの子どもたちが通う四日市朝鮮初中級学校があります。法令上、各種学校という位置づけですが、教育権を保障する観点から自治体が助成金を出していました。また、2009年に民主党政権が導入した就学支援金制度(高校授業料無償化)は、外国人学校もその対象として検討されていました。ところが、自民党が政権に復帰すると、日朝関係の悪化を理由に朝鮮学校を除外すべきとの主張が強まり、2013年に省令改正が行われます。これに対し、全国各地の朝鮮学校の生徒・卒業生が「朝鮮学校だけを除外するのは差別であり、教育を受ける権利の侵害である」と提訴。三教組は「日朝友好三重県民会議」に参加し、裁判闘争を支援するとともに地域での交流活動に取り組みました。
裁判は、2021年に国の勝訴が確定してしまいましたが、自治体への要請や地域交流は続けています。元三教組役員で、当時の県民会議顧問の方は、毎年、自分の田んぼを提供してモチ米を栽培し、田植え、稲刈り、もちつき大会を開催。各支部においては、学校活動資金としてもらうためにオモニたちの手作りキムチの販売も行っていますが、これがまた美味しくて…。でも、キムチの販売にあたって「朝鮮学校への支援をお願いします」と呼びかけていたら、その顧問に「共にここでくらす人たちに“支援”なんて失礼な言葉を使うのは間違っている。共にくらす、共に生きるための運動なんだから」と。そういうことも組合運動から学びました。朝鮮学校とは、公開授業、授業交流も行ってきています。
また、三重県北部に立地する中小企業には、南米から来た日系人労働者がたくさん働いていました。その子どもたちは、学校でも家庭でも大変な思いをしていることが伺えましたが、互いに助け合っていて、東南アジア出身の子どもたちが増えてきた時には、学校で孤立しないよう気にかけて、日本人の教員やクラスの子どもたちとの結び目になってくれました。教育の場において、国籍・ルーツは関係ないですし、子どもたちの教育の権利を奪ったり阻害したりするようなことがあってはならないと心に刻みました。
今ここでしかできないことを
—2022年に日教組本部へ
単身で上京し、真っ先に駆け付けたのが文科省前の「金曜行動」でした。朝鮮学校の制度除外に抗議し、2013年から毎週金曜日の午後に行われている集会ですが、今年度から始まった「高校授業料無償化拡充」も朝鮮学校は対象外。子どもたちの教育の権利を奪うことは間違っていると、国はもとより多くの人々と考えたいと思っています。
日教組では、書記次長として総務・財政など内局を担当。部落解放中央共闘会議の事務局長も務めています。議長は北野眞一連合副会長(情報労連委員長)。三教組時代、部落差別が生んだ冤罪・狭山事件のことを学びましたが、会議に参加して石川一雄さんやそのご家族と直接話をする機会を得て、自分たちの中にも差別が内在化されていることに気づかされました。石川さんは「再審の扉」が開かれないまま昨年3月に亡くなられましたが、差別や冤罪によって人生が奪われるようなことがあってはならない、二度と起こしてはいけないと運動を続けたいと思っています。
日教組本部では、「ここでしかできないことを見つけて、みんなで共に頑張っていこう」と新年度をスタートしています。日教組運動の基盤となる取り組みはもとより、連合副会長としての役割もまさに今ここでしかできないこと。連合会長をはじめ構成組織のリーダーと直接お会いでき、豊富な経験や運動への熱意を間近で感じられて、おおいに刺激を受けています。
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2024年7月 教育インターナショナルアジア太平洋地域(EIAP)女性会議
フルマラソンにエントリー
—趣味や休日のリフレッシュ方法は?
双子の息子たちが少年野球チームに入っていた時は、そのお世話や応援がいちばんの楽しみでしたが、卒業したらぽっかり胸に穴が空いてしまって…。そんな時、若い同僚から、ナガシマスパーランドがスタート地点のハーフマラソン(桑名リバーサイドマラソン)に出てみないかと声をかけられたんです。長距離を走ったことなんてなかったのに思いのほか楽しくて、一生に一度はフルマラソンを走ってみたいと思い、次は東京マラソンに出てみたいと欲望が膨らんで(笑)。結果、東京マラソンは3回出場、3回目の2024年はアムネスティのチャリティランナーを務めました。
三重で初のフルマラソン大会として2022年から始まったみえ松阪マラソンがおすすめです。30キロ地点を過ぎてトンネルに入るんですが、イルミネーションとともに松阪市内の幼稚園、小学校、中学校の子どもたちの応援映像が映し出され、トンネル内に頑張れ!の声援がこだまする。泣けますよ。参加者に提供される松阪牛も絶品。走ることというより、エントリーするのが楽しいんです。

—座右の銘は?
座右の銘といいますか、自分の中の合言葉は、「人生はタイミングとバランス」。迷ったときには、この言葉を思い起こしてこれまでなんとかやってきました。
—お気に入りのスポットは?
季節の花を楽しめる植物公園や山や海、渓谷にぷらっと出かけるのが好きです。
—癒される存在は?
実家に残してきた愛犬のこまめちゃん。豆柴だったのに食欲旺盛で大きな体(普通サイズの柴犬サイズ)になってしまいました。さらにいつの間にか私より年を重ねてしまいましたので、どうか元気で毎日過ごしてほしいと日々祈っています。

—おすすめの本は?
好きな作家は、『52ヘルツのクジラたち』の町田その子さん、『流浪の月』の凪良ゆうさん、『小鳥とリムジン』の小川糸さん。最近のいち押しは『地域調査のはじめ方〈テーマ編〉』(坂本優紀・田中雅大編、ナカニシヤ出版、2026年)です。若手の研究者が調査に関わる自分の思いや考えを素直に書き綴っていて面白い。実は娘のつれあいが執筆者の1人なんです。
—連合副会長としてこだわってやっていきたいことは?
私のこれまでを振り返ってみると、ジェンダー平等実現に向けた運動や、外国人差別や部落差別解消に向けた運動などの「人権」を中心に取り組んできたのだと思います。日教組の「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンがありますが、戦争が最大の人権侵害であるがゆえに強く強く掲げ続けているのです。戦後、時間が経過する中で「古くさい」と言われることもありましたが、国際情勢が緊迫する中で、若い世代にも切実なスローガンとして受けとめられていると感じます。今、自分たちのおかれた状況を正しく理解し、「NO WAR」の声を上げていきたいと思っています。

(構成:落合けい)
