JR上野駅の公園口の改札を出ると上野恩賜公園が広がる。1873(明治6)年の太政官布・達によって、芝・浅草・深川・飛鳥山とともに、日本で初めての公園に指定され、昨年、開園150周年を迎えた。江戸時代は、東叡山寛永寺の境内地で、明治維新後に官有地となり、1924(大正13)年に宮内庁を経て当時の東京市に下賜され、「恩賜」の名称が付けられている。
公園口を出て、まず目に飛び込んでくるのは上野動物園だ。予定より1年以上早く9月29日に急遽、中国に帰国することになった「リーリー(オス)」と「シンシン(メス)」を一目見ようと、多くの家族連れが手に手を取って入場門へ急いで行く。ジャイアントパンダが初めて日本にやって来たのは、1972(昭和47)年の10月で、9月の日中共同声明による日中国交正常化を記念してのことだ。私は中学1年生だったが、「カンカン(オス)」と「ランラン(メス)」が懐かしく、パンダの愛らしい姿とその人気は、今も変わらない。「リーリー」と「シンシン」は、2011(平成23)年の2月に来日し、2017年に「シャンシャン(オス)」の、2021(令和3)年に「シャオシャオ(オス)」と「レイレイ(メス)」の双子の親となった。人間の57歳に相当する19歳となり、高血圧の治療のため故郷の中国への帰国が決まった。1959(昭和34)年生まれで、後期高齢者に仲間入りし、同じく高血圧などの成人病を患う私としては、妙な親近感を覚える。
動物園を正面に見て少し進むと、右側に国立西洋美術館がある。建物の前庭に、「近代彫刻の父」と称される19世紀を代表するフランスの彫刻家オーギュスト・ロダンの『地獄の門』と『考える人』のブロンズ像がある。『地獄の門』は、世界に7体鋳造されているが、その一つだ。中世のイタリアの詩人ダンテの地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部からなる『神曲』に着想を得て制作されたという。地獄篇では、地獄への入口の門として「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」の銘文が刻まれている。人間の持つ邪悪や裏切りが作り出す荒廃した世界を象徴しているのではないか、紛争の絶えない現世を神はどう審判するのか、私たち人類に自ら解決する知恵はまだあるのだろうか、そんなことを考えさせられた。『考える人』は、世界に20体余り設置されているが、日本には上野のほか、京都・静岡・名古屋などにある。思索にふける人物を描写した像として知られるが、地獄に堕ちた人々を見つめているとの説もある。
西洋美術館の傍らを抜けて進むと、東京国立博物館がある。平安時代の初め、806年に唐から帰国した空海(弘法大師)が活動の拠点として真言密教の出発点となった京都北郊の紅葉の名所である高雄の神護寺は、今年創建1200年を迎えた。空海生誕1250年と合わせた記念として、創建1200年記念・特別展「神護寺―空海と真言密教のはじまり」が催された。
歴史教科書で必ず掲載されていた国宝『伝源頼朝像』、空海が唐から持つ帰って使っていた国宝『金銅密教法具・三点』、平安初期彫刻の最高傑作と言われる国宝『薬師如来立像』など、様々な芸術作品に接して心癒されるものがあった。「弘法は筆を選ばず」のことわざがあるように、空海は書の名人で、書聖と称される4世紀の中国の書家、王羲之の『蘭亭序』とも比較されるほどだ。空海が天台宗の開祖で、比叡山延暦寺を建てた最澄に送った手紙が3通あり、総称して『風信帖』と呼ばれる国宝がある。今回の特別展でも間近に見ることができたことは良き思い出となった。神護寺の楼門(国宝)に安置され、参道を上って来た参拝者を迎える一対の『二天王立像(持国天・増長天)』も力強くて良い。圧巻だったのは、約230年ぶりの修復を終えた国宝『両界曼荼羅(高雄曼荼羅)』で、密教での仏と世界観を壮大に描くものとして、しばし足を止めて見入った。
迷走して、長く日本列島に居座った台風も過ぎて、秋の一日、素晴らしい美術館・博物館めぐりができたことに感謝する。