(月刊連合2021年10月号転載)
皆さま、こんにちは。先行きが不透明な時代が続いています。こうすれば必ずうまくいく、ということがわかればどんなに良いでしょうか。でもそんなことは滅多にありません。
しかし精神療法の現場で患者さんとお会いしていると、大事な場面で周囲の人、特に親がこうすればうまくいくと信じ(良かれと思って)、親の意向で物事を進めてきた話を聞くことが珍しくありません。「こうするのが本人のためだ」と決めつけてしまうのです。典型的な話は進路、本人が進む学校や職業です。小学校選択はほぼ親の意向でしょうが、中学ではどうでしょうか。年齢が上がってくる高校や大学の選択では本人の意思が主体になるはずですが、職業選択に至っても親の強い意向で選択がされていることがあります。モデルケースで見てみましょう。
Fさんは自分で自分の進路を選んだことがないと言います。子どものころから親や周囲の顔色を見て期待に応えるように過ごし、中学高校大学、すべて親が勧める所に入りました。親は本人も納得して選んだと思っていましたが、Fさんは親の意向に逆らえず、嫌とは言えなかったということです。就職も親が強く勧める企業に入社しました。特に希望を持って入った職場ではありませんでしたが、入った以上は頑張ろうとしていました。しかし、入社後しばらくして人間関係がこじれてくると、仕事中に動悸や息切れ、めまいなどの不安発作が出現するようになり、会社に行けなくなってしまいました。
Fさんが会社に行けなくなった直接のきっかけは会社の人間関係の問題ですが、Fさんの背景に、自分で大事なことを選択してこなかったということがあります。子どもは親とは別の存在です。「嫌なら嫌と言えば良いではないか」と思うかもしれませんが、「これがお前にとって良いこと」と決めつけられ押し付けられることが続くと、子どもは自分の気持ちや考えを大事にすることができなくなります。極端な場合は自分が何を望んでいるのかすら、わからなくなってしまうのです。そして、自分が納得していないものを頑張るのは容易なことではありません。自分の選択ではないという違和感が、心身症状につながっていくこともあります。
因みに、良かれと思ったのに独りよがりだった、ということは職場内のメンタルヘルス支援でも起こり得ます。うつ病で休職中にはそっとしておくのが良い、と聞いて職場から連絡をしなかったら、職場から見捨てられたと思う人がいます。逆に、親切な上司が積極的に連絡をしていたら、連絡が負担でゆっくり休めない、という人もいます。感じ方は状況によっても違いますし、性格によっても違う、つまり人それぞれです。このケースにはどうしたら良いだろうと考えなければなりません。どうするのが良いか、あるいはどうしてほしいか、本人や、状況を知っている産業医に相談する必要があるかもしれません。
「良かれと思って」。本人はどうでしょう? ちょっと立ち止まってみませんか。
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矢吹弘子 やぶき・ひろこ
矢吹女性心身クリニック院長
東邦大学医学部卒業。東邦大学心療内科、東海大学精神科国内留学を経て、米国メニンガークリニック留学。総合病院医長を経て1999年心理療法室開設。2009年人間総合科学大学教授、2010年同大学院教授、2016年矢吹女性心身クリニック開設、2017年東邦大学心療内科客員講師。日本心身医学会専門医・同指導医、日本精神神経学会専門医、日本精神分析学会認定精神療法医、日本医師会認定産業医。
主な著書:『内的対象喪失-見えない悲しみをみつめて-』(新興医学出版社2019)、『心身症臨床のまなざし』(同2014)など。