(月刊連合2020年7月号転載)
皆さま、こんにちは。新型コロナウイルスの問題は、ウイルスの存在を前提とした生活をするという、長期的な態勢になってきました。今回、「まさかこんなことになるとは」という言葉をよく耳にしました。当たり前にあるはずと思っていた多くのことが失われました。一時的に失われてまた回復しつつあるものと、既に失われて戻らないものがあります。喪失の最たる事態は感染によって命を落とすことです。そこには、大事な人を寄り添うこともかなわないまま亡くされた方々がいます。さらに、感染拡大防止のための外出自粛・営業自粛によって事業を失う、職を失う、という大きな喪失がおこっています。
今回、幸いにして命も職も失われなくても、至る所に喪失があります。スポーツ大会・イベント、人生をかけるほどのエネルギーを投入してきたものの中止。子どもたちは、通常の学校生活が失われました。数え上げればきりがありません。
新型コロナウイルス問題がもたらした喪失は、人生を揺るがすような喪失から、「いつものことができなくなった」というような心の中の喪失まで、幅広く存在します。この喪失に関して、知っておいていただきたいことがあります。
ひとつは、大きな喪失はうつ病発症のきっかけとして珍しくないということです。大事な人を失って悲しみにくれることは、当然の、正常なことなのですが、一日中、毎日憂うつで何にも興味がわかない、不眠や食欲不振が持続する、自分など価値が無いと思って死ぬことばかり考えるなど…、それはうつ病の可能性があります。躊躇せず精神科を受診しましょう。
もうひとつは、大事な人を失った時に限らず、喪失を悲しむこと自体は正常な、健康なことであるということです。きちんと悲しむことができないと、どこかに歪みが出る可能性があります。人はあまりに喪失が大きいと悲しみを体験できないことがあります。少し時間がたってからでも、ゆっくりと悲しめれば良いのですが、喪失などあたかも無いかのように、かえってハイテンションになることもあります。感染の危険など無いかのように以前と同じやり方で仕事に邁進したり、攻撃的になるという形で、失っていることを見ないようにしていることもあります。気持ちに気がつかないまま、ストレスが身体に影響することもあります。心理社会的要因が発症や経過に影響する身体の病気を心身症と言います。本態性高血圧や糖尿病もそのひとつです。
大きな喪失であれ、小さな喪失であれ、喪失は悲しんで良いのです。周りの人は、喪失を悲しんでいる人に「悲しむな」と言わないようにしましょう。励ますつもりで「もっと大変な人がいる」などと言うのは逆効果です。誰もが喪失を体験している時は、人の喪失を聴くのは難しいことです。自分の喪失が刺激されるからです。でも、喪失を打ち明けられたら、できればそっと話を聴きましょう。そばに誰かがいることは、きっと力になるはずです。一歩を踏み出すのはそれからです。
矢吹弘子 やぶき・ひろこ
矢吹女性心身クリニック院長
東邦大学医学部卒業。東邦大学心療内科、東海大学精神科国内留学を経て、米国メニンガークリニック留学。総合病院医長を経て1999年心理療法室開設。2009年人間総合科学大学教授、2010年同大学院教授、2016年矢吹女性心身クリニック開設、2017年東邦大学心療内科客員講師。日本心身医学会専門医・同指導医、日本精神神経学会専門医、日本精神分析学会認定精神療法医、日本医師会認定産業医。
主な著書:『内的対象喪失-見えない悲しみをみつめて-』(新興医学出版社2019)、『心身症臨床のまなざし』(同2014)など。