シリーズ第12回は、2023年7月、JEC連合会長に就任した堀谷俊志連合副会長にインタビュー。長年活動してきた「三菱レイヨン労働組合」(UAゼンセン)の委員長として「企業組織再編」に直面し、新会社に統合された3社の労働組合の組織統合に尽力。2018年に発足した「三菱ケミカル労働組合」の委員長として、連合の構成組織であるJEC連合への一括加盟を決断。今も「現場が大好き」と、日夜、全国の加盟組織を飛び回るリーダーの素顔に迫ります。
堀谷 俊志(ほりたに しゅんじ) 連合副会長・JEC連合会長
1984年三菱レイヨン株式会社大竹事業所(広島県大竹市)入社。1988年三菱レイヨン労働組合大竹支部執行委員、1998年同支部書記長、2006年同支部委員長を経て、2016年三菱レイヨン労働組合中央執行委員長。2017年4月、三菱レイヨン・三菱樹脂・三菱化学が統合し三菱ケミカル社発足。2018年4月、3社の労働組合を統合して発足した三菱ケミカル労働組合の中央執行委員長に就任。2019年10月、三菱ケミカル労働組合がJEC連合に加盟。2023年7月JEC連合会長、10月連合副会長に就任。
新時代にふさわしい
産業政策の確立に向けてフル回転
最初は労働組合に抵抗感も
―労働運動を始めたきっかけは?
1984年、高校を卒業して広島県大竹市にある「三菱レイヨン」に入社しました。
生まれは山口県周南市で、地元には複合化学コンビナートがあり、そこで働きたくて化学科に進学しましたが、私が就職する年は地元で就職したいと思っていた企業からの求人が1件もありませんでした。それで、就職指導の先生に「近いし、良い会社だぞ」と勧められたのが、三菱レイヨンでした。独身寮に入り、新生活をスタートさせました。
最初はアクリル繊維を製造する工場に配属され、一通り工程を覚えた後、そこにコンピュータを導入して省力化を進める生産技術の担当になりました。本社の情報システムなどでプログラミングや機械制御の研修も受けながら、工場合理化に向けたソフトを制作していましたが、労使協議の場に出ると、「会社から人員削減の提案」という複雑な思いで会社業務をしていました。
入社して4年が経った頃、部長室に呼ばれました。そこには強面の人も数人(当時の大竹支部の委員長、書記長だったらしい)いて、「労働組合の役員をやってくれ」と。当時は「はい」か「YES」の時代で断るなんてできませんから、1988年10月に非専従の支部執行委員になることに。それが労働運動に足を踏み入れたきっかけでした。
—青年部活動は?
青年婦人部はありましたが、当時はあまり良いイメージはありませんでした。なんとなくですが労働組合に対する抵抗感のようなものがあったのだと思います。
支部執行委員になって青婦部担当だと言われた時は「なんでオレが?」と思いました。青婦部のメンバーも「なんでアイツが?」と思ったんでしょう。当時の青婦部の中心メンバーが青婦部を辞めると言い出し、私は「どうぞどうぞ!」みたいな態度でいたのですが、書記長にこっぴどく叱られました。自身の未熟さを反省し、毎晩ビールを持って寮の部屋を訪ね、関係修復に努めました。
青婦部の主な活動は、スポーツ大会や夏祭りなどのイベント運営です。当時、会社がお金を出し、企画運営は組合が担うという役割分担があって、私はそのイベントの責任者で、青婦部は実行委員。大竹市は人口3万人ほどの臨海工業都市ですが、24時間操業の三菱レイヨンのプラントは市のシンボルでもあり、地域交流イベントをあれこれ企画して盛況でした。また、組合は、地方議会に複数の組織内議員を擁立していたので、選挙にもよく駆り出されました。
組合員がいる現場から離れたくない
—専従になられたのは?
1992年に専従の支部執行委員になり労働条件や労働政策を担当、2000年に支部書記長。2期4年務めた後、支部委員長にという話があったのですが、当時私は36歳。委員長は務まらないと固辞したんです。すると、一度退任していた先輩達が「おまえは組合に必要な人材だ」と再登板して繋いでくれました。嬉しかったですね。それで40歳になった2006年に晴れて支部委員長に就任しました。
少しでも時間ができたら現場に出て組合員に話を聞き、社員食堂でいつも一人でご飯を食べている組合員がいたらその人の職場を確認し、しら~っと職場に出向いて声をかけたりしていました。組合員がいる現場が大好きでした。
—支部委員長を10年務めて本部へ…。
三菱レイヨン労働組合の本部は、当時新大阪のビルの一室にあって、何度も本部役員にという誘いを受けましたが、私は現場から離れたくなくて受け流していました。
ところが2015年秋、三菱レイヨンと三菱化学、三菱樹脂の3社を経営統合して新会社「三菱ケミカル」を発足させるという話が新聞に出ました。その対応に当たるために、2016年秋に中央執行委員長として大阪へ単身赴任することとなりました。
最大のミッションは、3社の労働組合を統合して、新たに「三菱ケミカル労働組合」をつくること。2017年4月に新会社「三菱ケミカル」が発足し、その1年後の2018年4月に組合員数1万2000人の「三菱ケミカル労働組合」を立ち上げました。これで広島に帰れると思ったら、新労組の初代中央執行委員長に就任することになり、今度は東京へ。
ナショナルセンター連合への加盟を
—新組合の委員長として苦労されたことは?
3つの労働組合はそれぞれ創立70年を超える歴史を持ち、考え方も文化も、そして上部団体も違う。過半数を占める三菱化学労組は産別未加盟、三菱樹脂労組は連合を離脱した化学総連、三菱レイヨン労組はUAゼンセン。私はUAゼンセンの中央執行委員でした。
統合に向けては、月2回のペースで会合を開催。産別加盟は一本化すべきとの認識で一致しましたが、まずは「三菱ケミカル労働組合」の発足を優先させました。そうこうしているうちに、会社は日本化成と日本合成化学を吸収合併。JEC連合に加盟していたこの2社の労働組合も三菱ケミカル労働組合に合流しました。
1つの組織になった上で、2019年1月、「産別一本化」だけをテーマに全支部長・中執の合宿会議を行いました。最初に参加者が1人ずつ産別に加盟すべきか? すべきでないか? 加盟するならどこに加盟すべきかを意見表明。そして、「その意見を通したいなら、違う意見の人を説得してください」と、直ちに休憩を宣言。それを何度も繰り返し、みんなで徹底的に議論してもらいました。午後から開始したこの議論、夜の酒が入るとけんか腰の勢いで言い合い、まともに寝ることもできず翌日の昼まで続けられるというなかで、徐々に意見も収斂されていきました。
私の中では、1人でも反対者がいたら結論は先送りすると決めていました。結論を出す時間になって、私は全員にこう呼びかけました。
「三菱ケミカルは業界最大規模の総合化学メーカー。その労働組合は、やはりナショナルセンター連合に加盟しなければいけない。そうなると、UAゼンセンかJEC連合の選択になるが、三菱ケミカル労働組合は総合化学会社の労働組合であり、新たに産別を決めるというなかでは『日本化学エネルギー産業労働組合連合会』であるJEC連合に加盟したい」。
参加者全員が納得してくれて、全会一致でJEC連合加盟を決定しました。
将来の雇用も守りたい
—三菱ケミカルの人事制度については?
人事制度は、3社が統合する前に統合前の賃金水準をスライドして新制度に移行させたので、それほど問題にはなりませんでした。
大変だったのは、経営統合後に実施された「職務主義型(日本版ジョブ型)」の導入です。発端は、労働組合からの定年延長要求。これに対し、会社から「従来の『職能主義型』(個人の能力等に焦点を当て等級や報酬を決定)では定年延長への対応が難しい。職務の価値に焦点を当て等級や報酬を決定していく『職務主義型』を導入したい」との提案がありました。
担当する仕事で給料が決まり、人事異動や転勤は公募制、家族手当や住宅手当などの属人的な手当は廃止して個人が選択できるカフェテリアプランにする。
給料は年功で上がり続けるのではなく、何歳であっても上がる人もいれば下がる人もいますが、60歳を過ぎてもチャレンジ次第で昇格も当然あり。若い人も年功で抑えられていたものがチャレンジ次第で大幅に昇給。全体の総労務費も大幅に増額となることが確認できたので、長い目で見れば働く側に不利益はないと判断しました。
組合員には戸惑いもありましたが、私が新制度移行を決断したもう一つの理由として一般職と総合職の垣根をなくすことで、一般職の皆さんにも総合職が担っていた仕事にチャレンジしやすくなると判断したからです。当時、IT化によって銀行窓口業務がなくなっているというニュースが流れていました。当社においても人の仕事が機械やAIに置き換わっていくことは想像できましたので、職能コース等の目に見えない壁を壊しチャレンジを促す制度にし、人にしかできない業務へ今のうちにシフトしていただくことで将来の雇用も守りたいと考え、労使で協議を重ねて2020年に新制度を導入しました。
—そしてJEC連合へ。
組織拡大や産業政策対応など課題は山積しています。
組織拡大については、この一年で6000人強の増加となりました。会長就任直後から組織拡大こそがすべての基盤であることを役職員に徹底してきましたが、みんなが理解し努力していただいた結果だと思います。産別の予算は定額の会費に人数をかけたものですから、収入を増やすには組織拡大しかありません。一方で、職員の賃上げも必要ですし、いろんな経費も物価高の影響を受け支出は増える一方ですからね。
産業政策については、正式名称に「エネルギー」という言葉が入っている唯一の構成組織であるのに、エネルギーに関する考え方が確立できていません。いま、その議論も行っているところです。また、JEC連合は業種別の部会単位で産業政策活動を行っていますが、その実現のために行う政治活動に対して関心が乏しいというのが実態です。政治活動の強化にも取り組んでいるところです。
こういった課題への対応として、私もできる限り部会や地方連絡会の会合に参加し、自分の言葉で一人でも多くの組合員と意見交換したいと思い全国を飛び回っています。
シーカヤック歴は20年以上
—ご趣味は?
広島時代は、連休になると大竹支部執行部の仲間とカヌーを抱えてキャンプへ。安全に遊べる瀬戸内海でのシーカヤックですが、楽しすぎて帰りたくない。帰る予定日の朝起きて集まり缶ビールを開け、「もう1泊するぞ!」という“決断式(今日も帰らないという・・・・)”をいつもやっていました。
もう1つは、高校時代から大好きなシンガーソングライター・浜田省吾さんのライブです。毎年、ファンクラブ会員限定の全国ツアーを開催してくれているので、チケットが取れた会場へ。『もう一つの土曜日』とか『悲しみは雪のように』とか、何度聞いても胸がジーンとします。
—尊敬している人は?
非専従時代の職場の上司には本当にお世話になりました。新米社会人の私に、仕事だけでなく人として大事なことを教えてくれました。また、大竹支部の先輩たちにも感謝しかありません。
—座右の銘は?
「荒馬の轡(くつわ)は前から」。困難なことほど、正面から堂々と当たったほうがいいということわざですが、組織統合を経験する中で、正面からぶつかるしかないと身をもって学びました。
—これなら誰にも負けないことは?
性格的に楽観的なことかな。物事を難しく考えないのであまり落ち込んだりしません。
—休日の過ごし方は?
単身赴任9年目。たまの休みは家の掃除とアイロン掛けに勤しんでいます。アイロン掛けは得意でメチャ速いですよ。
—ご自分を動物に例えると…
みんなに「マグロ」(回遊魚)と言われています。じっとしていられない性分で、常にどこかで誰かと会っています。
—連合副会長に就任されての印象は?
連合では労働法制委員会に参加しています。労働政策審議会などでの審議にあたって、担当局のみなさんが、たいへんきめ細かい対応をされていることを知って、ワークルールをつくることの重要性を改めて認識しました。
連合三役会議などで産別トップのみなさんと話をする機会も増えて、有意義な時間になっています。連合は「すべての働く人のために」を掲げています。私も、連合副会長として、その視点を大切にしていきたいと思っています。