過労死等に関する労災補償の申請件数は2022年度、前年度比387件増の3486件と2年ぶりに増加に転じ、認定件数も103件増の904件となった。企業が働き方改革を推し進めてもなお、心身の不調に苦しむ働き手が減らないのはなぜか。数多くの過労死訴訟に関わってきた川人博弁護士と、連合の漆原肇労働法制局長が、過労死を防ぐために労働組合や企業が何をすべきかを話し合った。
川人 博 弁護士
東京大学経済学部を卒業。1978年東京弁護士会に弁護士登録。文京総合法律事務所を経て、1995年川人法律事務所創立。
1988年から「過労死110番」の活動に参加し、現在、過労死弁護団全国連絡会議代表幹事。厚生労働省・過労死等防止対策推進協議会委員。
漆原 肇 労働法制局 局長
増える精神疾患 テレワークで労働時間の把握も難しく
漆原(敬称略、以下同じ): 厚生労働省の調査では、週60時間以上働く雇用者の割合は近年、減少傾向にありますが、労災申請と認定の件数はいずれも増えています。この状況をどのように分析しますか。
川人: 2014年に過労死等防止対策推進法が、2019年からは働き方改革関連法が施行され、企業は本格的に長時間労働の抑制に取り組むようになりました。11月の過労死等防止啓発月間には全国で啓発活動が行われ、学校でも啓発授業が定着しつつあります。過労死等防止対策白書などを通じて国民への情報発信も進み、過労死予防に対する社会の認識は高まったと感じています。
他方、過労やストレスのため病気になる人、亡くなる人の数は、明確に減ったとは言えません。精神障害に関する労災申請件数も増え、これにともない認定件数も増えています。長時間労働についても、コロナ禍を機にテレワークが普及して職場外での労働時間が把握しづらくなった面もあり、厳密な分析が必要です。
漆原: 連合が、いわゆる「つながらない権利」などについて調査を行い、その中でテレワークをしている人に労働時間の変化について聞いたところ、就業時間外に業務連絡を受ける人の割合は、コロナ禍前に比べて増加していました。企業によっては、みなし労働時間を超えて働く労働者もいると思います。統計上、60時間を超えて働く人の割合が減っていたとしても、実態を正確に反映していないことも懸念されます。
過労死等防止対策推進法では、過労死等を防止することの重要性について国民の関心と理解を深めるため、毎年11月を「過労死等防止啓発月間」と定めています。連合でも、長時間労働の是正や「過労死等ゼロ」の実現をめざして、11月の過労死等防止啓発月間にあわせて、周知・啓発の取り組みを行っています。
労働の孤立化がストレスを増大 業務量の適正化も必要
川人: 我々が受けた相談の中には、自宅でのPC作業中に倒れて亡くなったという事案もあります。しかし在宅勤務中の死亡の場合、労基署や勤め先が、会社のサーバーにアクセスしていた時間をすべて労働時間と認定することに、難色を示すケースがあります。企業は労働者に任せっぱなしにせずに労務管理の意識を強め、IT化の中で労働時間を削減するためにはどうすべきか、具体的に議論すべきです。
テレワークに伴い「労働の孤立化」に絡む相談も増えています。メールではちょっとした質問をしづらいため仕事にミスが生じ、それに対して厳しい叱責のメールが届く、深夜届いたメールを放置できず対応を迫られる…といったストレスの積み重ねで、メンタルヘルスを損なってしまうのです。たとえ加害者に悪意がなくとも、デジタル上では小さな行き違いや、誤解を生む表現を是正するのが難しく、人を傷つける結果になってしまいます。
漆原: 業務内容などによっては、1人で仕事をする方がはかどるケースもありますが、多くの業務は完結するまでにコミュニケーションが重要です。コロナ禍が一段落し、一定数の働き手が再びオフィスに戻ってきたのも、もちろん業務命令もありますが「集まって仕事をする方がコミュニケーションは楽」という思いもあるのかもしれません。
また、たとえ業務時間を週60時間以内に抑えても、増員や効率化がなされず業務量も減らなければ、仕事を終わらせるためにサービス残業を強いられたり、持ち帰り業務が増えたりと、どこかにしわ寄せが生じることもあります。上司が過剰なノルマなどを部下に課したり、仕事が残っているのに時間内に終わらせるよう圧力を掛けたりすることが、ハラスメントにつながる恐れもあります。企業は労働時間の抑制だけでなく、仕事を見直し、業務量を効率化・適正化することにも、あわせて取り組まなければいけないと思います。
川人: そのためには経営者に代わって従業員の健康に配慮する立場の人、つまり管理職の役割が非常に重要です。メンタル不調の場合、重症化する前にさまざまな予兆が生じるので、管理職は一定の医学的知識を身につけ、こうした予兆にも目を配るべきです。部下の異変に気付くには、管理職自身に精神的な余裕も必要です。
私の経験では、過労死が発生した職場の上司の大半は、業績などを優先する傾向が他人より強く、部下の健康への配慮が不十分でした。管理職が、部下の心身の健康をサポートすることも重要な責務の一つだと認識するようになれば、過労死予防は大きく前進するはずです。
そのためには労働組合も、経営層に管理職の役割を正しく伝えていく必要があります。管理職に近づいた組合員に、労務管理の下地となる研修を実施することも有効でしょう。
組合の「声かけ」で異変を察知 家族との関係構築が新たな課題に
漆原: 役員が組合員への定期的な声掛けなどを心掛けている労働組合では、ちょっとした会話を通じて「普段より元気がなさそうだ」とか「服装が乱れている」など異変を察知し、メンタル不調の発見につながることもあります。また、組合員を対象にハラスメント研修を実施している組合もあります。しかし、感づけない不調もあるのが悩ましいところです。
さらに今は組合員の個人情報について、メールアドレスなど最低限の連絡先だけを提供してもらう組合も多くなっています。賛否はありますが社内運動会のような家族参加のイベントも減り、例えば組合役員がメンタルヘルス不調で休職してしまった組合員の家庭を訪ねても、家族とは初対面というケースが珍しくありません。家族は本人の変化に気が付いている場合もあり、イベントなどを通じて組合役員の顔を知ってもらっていれば、様子の変化などを聞けたかもしれません。しかし現状では、難しい場合が多いと思います。
川人: 家族との関係性が薄い場合、本人の様子を根掘り葉掘り聞くより「組合に言いたいことはないですか」と問いかける方が「うちの娘は毎日深夜に帰宅する。何とかしてください」といった要望を引き出せるのでは。人事権などを握る会社側に不満を訴えるのはためらわれても、利害関係のない組合関係者になら言いやすいでしょうし、「組合なら、経営側に改善を働きかけてくれる」という期待もあるでしょう。個人情報については、組合加入時に本人の同意を取り、家族と連絡が取れる状態は確保しておくことが望ましいですね。
過労死やメンタル不調、組合の調査が実態解明に役立つ
漆原: 先生が過去に関わった訴訟で、労働組合はどんな役割を果たしていましたか。
川人: 約30年前、印刷会社の工場内で社員が亡くなりました。当時この会社の労働組合は特例的に、長労働時間を容認する協定を結んでいたのです。委員長はこのことを深く反省して熱心に調査に取り組み、労災認定訴訟を起こす際には「僕の退職金を訴訟費用に充ててください」とまで言いました。この時の委員長の真剣な表情は、今も記憶に残っています。
あるバス会社では、路線バスの運転手が乗務後、社内で死亡しました。この時は労働組合がバスのルートに看板を置き、目撃情報を求めたのです。すると乗客から「運転手さんはふらふらしながら、必死に運転していた」といった情報が寄せられ、業務と死亡の因果関係が明らかになり労災が認められました。
漆原: 労働組合には、長時間労働の撲滅や勤務間インターバル、休暇の取得促進など働き方の改革や、ハラスメント対策に積極的に取り組んでいるところもたくさんあります。職場でメンタルヘルス不調などの事例があったときに、本人の要因だけでなく職場に共通する要因を洗い出して、企業とともに改善していくことも、労働組合の役割です。
一方で、取り組みが不十分な労働組合もあるので、連合として参考になる事例を紹介するなどして、行動を促していきます。また毎年の過労死等防止啓発月間のキャンペーンや、ホームページなどでの周知・広報を通じて、過労死防止に対する「職場の意識を変える一つのきっかけ」を作っていきたいと考えています。最後に、労働組合への要望を聞かせてください。
川人: 厳しい労使交渉の中では、労組が譲歩を迫られる場面もあるでしょう。しかし印刷会社で起きた過労死のように、交渉の結果が組合員に想定以上の負荷をもたらすこともあります。それを肝に銘じて、組合員の命を守ることに努めて頂ければと思います。
また組合員の心身の健康に問題が生じた時、労働組合が社内調査や組合員へのアンケートを通じて実態を明らかにすることは、労災認定の大きな材料になり得ます。日々の啓発活動も、時間はかかりますが組合員の意識は確実に変化するので、気長に取り組み続けていただきたいです。
(執筆者:有馬知子)