2023年の最低賃金(最賃)の協議では、賃金水準の低い県が相次いで大幅な引き上げを実現し、地域格差の縮小につながった。各都道府県で開かれた最賃の協議では、労働側代表がさまざまな駆け引きや苦労の末、賃上げを勝ち取った。上げ幅が大きかった島根、青森両県で、交渉に当たった担当者に話を聞いた。
労使が平素から交流、賃上げへの共通理解をつくる ~連合島根~
以前の記事で説明したように、最賃は中央の審議会が提示した「目安額」を踏まえて、各都道府県で地方最低賃金審議会(地賃)が開かれ、地元労使と公益代表が金額を決める。島根県は前年比47円増の904円と、佐賀県と並んで全国最大の上げ幅を達成した。
労働者側委員として地賃に参加した景山誠・連合島根事務局長は、平素から経営側との信頼関係を築いてきたことが、賃上げに大きな効果を発揮したと指摘する。同県の労使は毎年、春季生活闘争(春闘)の時期に情報交換の場を設けているほか、景山氏と経営者側の代表も、労働局の審議会などで毎週のように顔を合わせ、賃上げや人手不足などについて意見を交わしてきた。
「労使が関係を構築する中で、地賃が始まる前から『物価がこれほどの上昇局面にある今、ある程度の賃上げは必要だ』という認識を共有できました」
ちなみに労使はコロナ禍でもタッグを組み、雇用不安が高まる中で「徹底して雇用を守り、維持するため最大限努力する」との共同声明を発表した。これによって、連合島根が経営者からの求めに応じて、労働局に申し入れをするといった協力関係も実現している。
深夜に及んだ最賃協議 最後は1円の攻防
地賃の協議が始まると、景山さんらは学識者ら公益委員に、労働者の県外流出に関するデータを提示。製造現場で働く外国人労働者は、1円でも高い時給を求めて他県へ移る傾向が強いとして「外国人労働者への依存度が高い島根で人材を確保するには、最賃引き上げが不可欠」と主張した。
地域によっては、公益委員が経営側に「これ以上賃上げしたら企業が倒産してしまう」と泣きつかれ、労働側に「雇用の受け皿がなくなると困るので、折れてくれ」と求めることもあるという。景山さんらは、当時の求人時給がすでに最賃を上回っているとのデータも示し、最賃が引き上げられても、経営側には応じる余力があることを証明した。
「データを使って、公益委員の労働者に対する理解と共感を引き出すことが狙いでした」
一方、経営側は賃上げに一定の理解を示したものの、原材料費などの高騰に苦しむ中小企業への配慮もあり、大幅引き上げには強く反発した。地賃の協議は深夜に及び、最終局面は1円単位での緊迫した駆け引きに。
「最後は『このままでは労働者の生活が立ち行かない』と情に訴えつつ、『労働組合も、各職場で組合員の労働生産性を高めるよう努めます』と約束し、経営側の理解を求めました」
ただ景山さんら労働側も、結果に満足はしていない。「905円にできれば、最低時給を切りのいい910円に設定する企業も増えたはず」と悔しさをにじませた。
他県との「競争」を通じ、賃上げの地合いを「共創」 ~連合青森~
青森県の改定前の最低賃金は、秋田や長崎と並んで全国で最も低い853円だった。しかし地賃で前年比45円増の898円という大きな引き上げを実現し、最下位から脱却した。青森の交渉に先んじて、秋田県が44円の引き上げを達成したことが大きなプラスになったと、連合青森の赤間義典部長は振り返る。
「正直に言って今年は『(目安額の)39円での攻防かな』と思っていたので、秋田の結果には驚きました。同時に大幅引き上げも可能だという、相場観の形成につながりました」
この結果、賃金水準が低い「Cランク」に分類された13県に、45円、47円といった大幅引き上げを達成する地域が相次いだ。
赤間さんによると、交渉における労働側の強みは、地方連合会という「横のつながり」があることだという。「経営側は個別に企業を経営しており一つにまとまりづらいですが、労働者は連帯することで力が強まります。他県と直接のやり取りはなくとも、連合本部を通じて得られる各県の情報に、駆け引きのヒントがたくさんあります」。
今回の地賃で、赤間さんら労働側は青森県と島根県を比べ「GDPも人口も島根を上回るのに最賃の額が下回っているのは、経済実態を反映していない」と主張した。秋田県が44円を達成すると同県とも比較し、同水準かそれ以上の賃上げを求めた。「あの県に近づこう」という良い意味での競争意識が交渉の説得力を強め、最低賃金の底上げにつながった。
「連合本部も、ランク別に会議を開くなど地域間の仲間づくりを加速させてほしい。島根の担当者を招いて話を聞くことなども、勉強になると思います」
低賃金は県民の意欲と自信を奪う 脱「モノ言わぬ労働者」へ
赤間さんは、『最賃全国最下位』というこれまでのレッテルが、県民の働く意欲や自信を低下させてきたと感じている。
「賃金水準が低いことが、景況感など県内経済に関するネガティブな認識を強め、景気動向指数を下振れさせる要因にもなっていました。労働者、特に若い女性らの県外流出を加速させた面もあると思います」
また青森県の賃金伸び率が鈍いのは「真面目にコツコツ仕事をしていれば、オヤジ(雇い主)は見ていてくれる」と考え、声を上げようとしない県民性にも原因があると指摘する。
「40代以上の労働者には、声を上げることをためらうメンタリティが残り、そうでない若手は、多くが県外に出てしまっています。声を上げて正当な賃金を得ることで初めて、自分たちの働く意欲や労働生産性も高まるのだと、労働者の意識を変える必要があります」
「地産地消」促進で価格転嫁を進める
赤間さん、景山さんは、来年以降も賃上げの流れを持続させるには、多くの壁があると考えている。特に問題視するのは、価格転嫁がなかなか進まず、賃上げを阻害していることだ。
例えば青森県では、他県の業者が行政の委託事業を、非常に安い入札価格で受託するケースが見られたという。「事業を落札できなかった県内の業者は、経営が立ち行かなくなり倒産しました。すると落札した他県の業者が、仕入れ価格も賃金も据え置いたまま『居抜き』の形で事業を引き継いだのです。これでは地元企業は育ちません」(赤間さん)
こうした中、島根県では、行政が納入する物品はなるべく県内業者に発注し、地産地消を進めるよう、労使で行政に申し入れたという。
正社員などいわゆる「中間層」の人々が、最賃を学生アルバイトや主婦のパートタイマーら「家計を補完する人の賃金」と考えていることも課題だ。引き上げの重要性が社会に十分認識されないために「コンビニ店員がコンビニでは買い物ができないほど、低い賃金水準に陥ってしまった」と、景山さんは嘆く。
今や、非正規の仕事に就くシングルマザーや、学費・生活費をアルバイトで賄う学生も増えている。赤間さんも「最賃で働く人には、主たる家計の担い手も含まれるのだと、人物像を変える必要があります」と訴えた。
求められる後任育成 勝負ではなく、相手を思いやる感性が必要
連合労働条件局の森田義之局長によると「全ての地域に交渉力の高い人材がいるわけではなく、島根・青森はむしろレアケース」だという。労使ともに周期的に代表委員が入れ替わる中、連合全体として必要な人材を育成することも求められている。
赤間さんも「県の最賃は、地元労使が意思決定に関われる、ほぼ唯一の法的措置です。重い責任を引き受ける度量を持ち、駆け引きにも長けた後任を育てるのは、私たち今の代表委員に残された大きな仕事です」と語る。
一方、景山さんは担当者に求められる要素について「白黒の『勝負』をつけようとするのではなく、交渉相手を思いやる感性ではないか」と話した。
「労使という立場の違いはあれ、地元を良くしたいという目標は同じはず。経営側委員の立場や抱えている悩みに思いをめぐらし、労使双方にとって目標達成に最も近い『落としどころ』を探ることが、交渉者の役割だと思います」
(執筆:有馬知子)