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能登半島地震もうすぐ5カ月、被災者の「安心」確保できる復興が課題
連合石川かなざわ地域協議会 坂本修一事務局長

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2024年元旦に発生した能登半島地震から5カ月が経とうしているが、今も多くの被災者が避難を余儀なくされている。連合石川かなざわ地域協議会の坂本修一事務局長は、自身も能登町へ帰省中、家族とともに地震に遭遇した。「被災地は長期的な支援を必要としています。ぜひ関心を持ち続け、ボランティアなどに来てほしい」と要望している。

坂本 修一 連合石川かなざわ地域協議会事務局長

「子どもをかばうことしか」 地震直後はパニックに

坂本さんは元旦、妻と2人の娘とともに、金沢市の自宅から一人暮らしの母親の住む実家に帰省中、地震に遭った。午後4時4分に1回目の地震があり、その時もかなりの揺れを感じたという。その4分後、居間に家族全員が集まっている時、1回目よりはるかに強い本震が襲った。天井の電灯がちぎれそうなほど、ぐるぐる回り始めたという。

「落ちてきたら危ない、と思っても身動きが取れない。パニックで娘たちをテーブルの下に避難させることもできず、ただ覆いかぶさってかばうばかりでした」

実家は築60年になろうかという木造住宅。倒壊の危険があると思い、揺れが収まるとすぐに家を出た。外に出ると誰かが「津波が来るぞ」と叫んでおり、坂本さん一家もすぐに自家用車で高台に逃げた。道中、神社の鳥居が崩れ落ちているのを見て「とんでもないことが起きた」と実感したという。

余震が続く中、緊急地震速報が鳴るたびに娘たちはびくっと体を震わせ、抱きついてきた。「大丈夫だよ」と励ましつつ、坂本さん自身もしばらく震えが止まらなかった。

その日は能登町役場に避難。暖房はあったが2~300人が雑魚寝する状態で、毛布などもひと家族に1枚配られる程の余裕しかなかった。床に段ボールを敷き、ありったけの服を着て横になったが、坂本さんは翌日から体調を崩してしまった。

「プライベートスペースが確保できず、不眠とストレスで治りかけの風邪が急に悪化した。被災した時こそしっかり睡眠を取れる環境を整えて、翌日からの活動ができるようにすべきだとつくづく思いました」

ただそんな中でも、自分も被災しながら昼夜を問わず避難所の運営に奔走する役場職員の姿には、頭が下がる思いだったという。

約4カ月後に台湾で発生した地震で、避難所に真新しいテントが並ぶ様子を見て、坂本さんは彼我の差を感じた。

「日本でも大きな地震が予想される地域などは、備品が整っているのかもしれません。しかし一部の先進自治体だけ設備を整えるのではなく、国が主導しすべての自治体が同じレベルの被災者支援を実施できる体制を整えるべきです」

避難所で家族が日に日に疲弊するのを見て、坂本さんは道路が通じた5日、母親も連れて車で金沢市内の自宅に戻った。道路の亀裂やへこみを迂回するため徐行で走ったため、平時は約2時間の移動に、6時間を費やした。

「途中で営業しているコンビニを久しぶりに見た時、やっと少しホッとしました」

「一人の時、地震が来たら」 帰りたくても帰れない

坂本さんは自分が金沢市に暮らしていることもあり、震災前、実家では特に防災の備えをしていなかった。「自分にとって一番大事な人を守るにはどうすればいいかを想像しながら、災害への備えをすることが大事」だと振り返った。

「今回の地震で言えば、一人暮らしの母親をどうすれば守れるか、と考えれば防災グッズや箪笥が倒れないような手当て、さらに言えば共済の見直しなどにも思いを馳せられたはずです。命を守るための備えを怠ってはいけないと強く思いました」

実家は屋根瓦が落ち棚という棚が倒れ、仏壇の中身も冷蔵庫の中身も床に散乱する状態だったが、幸い倒壊は免れた。76歳の母親は被災直後「上下水道が復旧したら、実家に戻りたい」と話していたが、ほぼ復旧が終わった今も、見なし仮設住宅となっている金沢市のアパートで暮らす。今回は偶然、元旦に地震が起きたため身近に家族がいたが「万が一、一人の時にまた地震が起きたらと想像すると、とても帰宅する気になれない」と話しているという。金沢市内などに避難した人のなかには、坂本さんの母と同じように「もう実家には住めない」と話す人が少なくない。

「地震は、高齢者に先祖から受け継いだ大切な家と土地、お墓を諦めさせるほどの大きなインパクトがありました。彼ら彼女らが安心を取り戻し、再び地元に戻りたいと思えるような復興をしないと、被災地はどんどん限界集落化してしまいます」

従来と全く同じ状態に戻すだけでは、人は離れるばかりだと坂本さんは考えている。例えば、奥能登の幹線道路はほぼ1本で、この道が寸断されると孤立してしまうといったことも、高齢者の漠然とした不安につながっているという。「生活や家計などへの支援と併せて、交通インフラの複線化なども検討し、安心して暮らせる環境を考えることが、復旧のスタートラインだと思います」。

過疎地でも生活する人がいる 気持ちに寄り添って

連合石川は、2月5日から志賀町や七尾市へ組合員によるボランティア派遣を開始し、がれきの撤去や廃棄物を集積所へ運ぶ作業を支援している。3月25日からは、連合本部からもボランティア派遣が始まった。今は自治体の依頼を受け、主に珠洲市で被災者の自宅を訪れ「何かお役に立てることはありませんか」というニーズ調査を行っている。

第9クールの救援ボランティアの皆さん
第10クールの救援ボランティアの皆さん。延べ約900名を超える組合員を派遣(5月20日現在)

「家財の運び出しを手伝ってほしい」といった直接の支援依頼もあるが、ボランティアに頼ることをためらい「自分でやるさかいに、いいわいね(要りません)」と答える高齢者も少なくないそうだ。

「能登の人は、自分のことは自分でやるという気風が強く、人に頼ることを遠慮しがちです。うちの母も、被災者に一律支給される支援金を最初は『いいわいね』と言って受け取ろうとしませんでした」

しかしじっくり話を聞いてみると「瓦の落ちた屋根にブルーシートを張ろうと思って」「自治体の助成金を受けられますよ」「パソコン操作が分からなくて申し込めない」といったやり取りに発展することもしばしばだという。このように「一軒一軒回って話をすることで、要望を掘り起こそうとしています」。

ニーズを明確にすることで、一般のボランティアとのマッチングもスムーズになり、活動が効率化する。また連合ボランティアが話を聞くこと、それ自体が被災者の孤独感を癒す効果もあるという。隣人たちが避難先から戻らず、日常会話の相手にすら事欠く人もいるからだ。

「ボランティアの仕事は、力仕事だけでなく話し相手や心のケアなどもあります。女性なども含めて、ぜひ多くの人に来てほしい」と、坂本さん。しかし、ただでさえ日本は災害が多い上に、最近はな大きな地震も増えており、能登への関心が薄れてしまうのではないか、という懸念は強い。

「今後ライフラインが復旧し、避難者が帰宅し始めたら、新たなニーズが大量に発生する可能性もあります。能登の復旧復興には年月がかかります。ぜひ関心を持ち続け、継続した支援をお願いしたいです」

また坂本さんは、被災当事者として「経済性だけでなく、能登の人の気持ちに寄り添った復旧・復興が実現するよう、社会の皆さんにも応援してほしい」とも願っている。

復興政策の立案に当たっては「過疎化が進んでいた土地を復旧するより、移住や集住を進めるべきではないか」といった意見もある。坂本さんも「腹は立ちますが、返す言葉はありません」と忸怩たる思いを打ち明ける。

それでも、という。

「能登はやさしや土までも[i]、という言葉がある通り、被災地はもともと海の幸や農産物に恵まれ、人柄の優しい土地です。住民ひとりひとりがそれぞれの想いを持って暮らしていることを忘れずに、復興を進めてほしいと思います」


[i] 人はもとより土までもやさしいという農の風土を表していると同時に、能登の人は素朴で温かいという意味を表している。

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