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「母校を訪ねて」清水事務局長のFree Walk【10】~市谷加賀町・江戸川公園~

 私の卒業した新宿区立牛込第三中学校は「市谷加賀町」にある。1947(昭和22)4月に開校し、今年創立77周年を迎え、卒業生は1万3,000名を数える。1948(昭和23)10月に津久戸町から市谷加賀町の校地に移転し現在に至っている。もともとは府立第四中学校(現在の都立戸山高校)の跡地で、江戸時代に遡れば百万石で有名な加賀藩の江戸屋敷であった。校章にも使われ、
 ♬若いみどりは春ごとに 茂り広がる大銀杏~♬
と校歌でも歌われる樹齢100年を超える「銀杏」の大樹が今も敷地内に聳える。私が中学生の頃には敷地内に江戸時代の小屋も残っていた。周りには当時の武家屋敷に由来した「箪笥町(箪笥=武器を司る武士の町)」、「納戸町・払方町(金銀・衣服・家具を取り扱う武士の町)」、「細工町(江戸城内の建物・道具の修理・製作にあたった武士の町)」、「二十騎町(江戸城の警備、将軍の警護、江戸の治安維持を担当した先手組の与力=武士の町)」などの町名も残っている。「私たちは今日、校門の脇に咲く桜の花に見守られながら牛込第三中学校の生徒として門を潜りました。そこには新しい中学校生活が待っていました~」と入学生代表の誓いの詞を述べてから既に40年の月日が流れた。髪の毛が襟に架かってはいけないという校則に反発したり、学帽の内側をくり抜いて変形して被ったり、名札撤廃を訴えたりした生徒時代を懐かしく思う。

左:牛込第三中学校
右:牛込第三中学校の大銀杏

 1970年代に流行したかぐや姫の『神田川』は、三鷹市の井の頭公園を水源とし、杉並区~中野区~新宿区~文京区~千代田区~中央区を経て隅田川に合流する河川である。
 ♬~窓の下には 神田川 三畳一間の 小さな下宿~♬
と歌う舞台となった神田川は西早稲田辺りとされる。その付近に「江戸川公園」があり、明治時代から続く桜の名所として親しまれている。江戸川公園沿いには、熊本藩主細川家の下屋敷跡地にある肥後細川庭園や明治の元勲、山縣有朋の邸宅が建てられた椿山荘、目白御殿と呼ばれた先日焼失した旧田中角栄邸などがある。また、江戸川公園周辺の神田川は、江戸時代には御留川と呼ばれ、その後1965(昭和40)年まで、江戸川公園近くの江戸川橋から水戸徳川家の屋敷であった後楽園のある飯田橋までが江戸川と呼ばれていた。私の卒業した水道町にある新宿区立江戸川小学校の校歌
 ♬朝日ににおう 江戸川の 桜を常の 心にて~進みてやまぬ 江戸川の 流れを常の 鏡にて~♬
にも校名の由来が読み取れる。1905(明治38)に開校し、昨年創立118周年を迎え、卒業生は1万名を数える。1936(昭和11)に鉄筋4階建ての現校舎が完成し、空襲による戦火に見舞われたが、学校長と地元警防団により校舎の一部を焼失しただけに留めた。周囲を含め、ほぼ昔のままの小学校で、当時流行っていたウルトラマンとバルタン星人に扮して遊んだことや毎週土曜日に学年の分け隔てなく校庭で野球をしたことを懐かしく思い出した。

左:江戸川公園の入口
右上:神田川と椿山荘のホテル
右下:肥後細川庭園
江戸川小学校

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