ゆりかもめ(東京臨海新交通臨海線)に乗ってみた。起点は新橋駅、終点は豊洲駅で14.7㎞の16駅だ。無人の自動運転が基本で、途中レインボーブリッジ(東京湾連絡橋)を渡り、お台場や摩天楼が連なる都心の景観はなかなか良い。今回はまず、東京ビックサイト駅で降りて、自動車総連からご案内をいただいた『JAPAN MOBILITY SHOW(2019年までは「東京モーターショー」)』を見学した。未来のクルマや力強いトラック、私の生まれた昭和30年代の車など展示された車体や部品・機械器具など見所満載で、12日間の来場者は何と111万2千人だと発表された。
次に降車したのは、東京国際クルーズターミナル駅で、ここには『船の科学館』がある。海と船の文化をテーマにした海洋博物館で、現在、本館は展示休止中だが、別館と初代南極観測船『宗谷』を中心とした屋外展示が公開されている。11月8日は、1956(昭和31)年に第1次南極地域観測隊が『宗谷』に乗船して東京・晴海港を出発した日だ。その中に村山雅美さんがいた。第1次観測隊から参加し、第2次からは副隊長、第7次には隊長を務め、1968(昭和43)年の第9次には隊長として日本人初の南極点到達を果たした人である。2006(平成18)年11月5日にご逝去されたが、私が幼少期を過ごした新宿区にご自宅があり、ご近所だったので小学生のころ「ここが隊長さんの家か」と探検したことを覚えている。
第1次観測隊には、タロ・ジロを含む22頭の樺太犬が参加し、昭和基地で生活していた。1957年12月、第2次観測隊は交代要員として南極に到達したが、悪天候で越冬を断念せざるを得なかった。アメリカ海軍の支援の中、第1次隊員と三毛猫たけし、カナリア2羽、そして最後のプロペラ機で樺太犬の南極生まれの子犬8頭とその母犬シロ子は何とか帰船できたが、タロ・ジロを含む15頭は昭和基地に繋がれたまま、『宗谷』は1958年2月に南極を離れた。1959年1月14日、『宗谷』から発せられたヘリコプターが第3次観測隊を昭和基地に輸送している時に、タロ・ジロの生存が確認された。日本中が2頭の「奇跡の生還」に沸いていた4月24日、私はこの世に生を受けた。そして、私が千葉県の中学校教員に採用され、赴任した1983年7月に高倉健・渡瀬恒彦・夏目雅子らをキャストとした『南極物語』が上映され、当時の日本映画の興行成績新記録となる空前の大ヒット作品となった。タロ・ジロとともに南極で過ごした観測隊の村山雅美さんは『南極物語』を監修された。
南極観測船は初代の『宗谷』から、1965(昭和40)年に二代目となる『ふじ(愛知県・名古屋港ガーデンふ頭で展示)』に、1983(昭和58)年に三代目となる『しらせ(千葉県・船橋港に係留)』に、そして2009(平成21)年からは後継艦の『しらせ(海上自衛隊横須賀地方隊に所属)』に受け継がれ現在に至っている。
そんな幼少期の思い出やタロ・ジロに思いを馳せながら、新橋駅で降りて今日の晩御飯を探す散歩路であった。