シリーズ第3回は、金子晃浩連合副会長にインタビュー。専従役員歴21年。リーマンショックや東日本大震災などの危機に迅速に対応し、すそ野の広い自動車産業で働く人たちの生活を守ってきました。街歩きや山歩きを楽しみ、唎酒師(ききざけし)の資格を取得するなど多彩な趣味でも知られるリーダーの素顔に迫ります。
金子晃浩 連合副会長・自動車総連会長
1992年東北大学法学部を卒業し、トヨタ自動車入社。2002年全トヨタ労連常任執行委員、2006年トヨタ自動車労働組合局長、2010年自動車総連副事務局長、2012年全トヨタ労連事務局長、2017年自動車総連事務局長を経て、2021年より自動車総連会長、金属労協議長、連合副会長。
労働運動は、人と人との信頼関係が基盤にあってこそ、力を発揮できる
—ご出身は?
静岡県浜松市です。スズキやヤマハなどの工場があり、地元ではクルマといえばスズキでした。高校まで浜松で過ごし、大学進学で宮城県仙台市へ。就職したのは、愛知のトヨタ自動車でした。
—なぜトヨタに?
「人の移動」に関わる産業に興味があって、自動車や鉄道、航空関係の会社にエントリーしました。当時は、リクルーター制度があって、OBが学生と面談して次のステップにつないでいました。何度も面談を重ねる中で、私が「この先輩と一緒に仕事をしたい」と一番強く感じたのがトヨタ自動車でした。先輩もそう思ってくれたんでしょう。一期一会の縁がつながって入社に至りました。
文句を言うなら自分でやってみろ
—労働運動を始めたきっかけは?
愛知の本社に勤務した後、1997年に東京・東池袋にある宣伝部に配属され、そこではトヨタ労組の職場委員も務めていました。
そのきっかけとなったのは2002春季生活闘争の時です。日本経済は厳しい状況にありましたが、トヨタ自動車の業績は好調で過去最高益が見込まれていました。ところが、電機や鉄鋼がベア要求自体を見送るなど、トヨタ労組もベアゼロの提案を受け入れざるをえない状況でした。しかしこの判断は、現場で懸命に働く組合員の立場から言えば、とても納得できるものではありませんでした。
執行部は、東京本社内の会議室に職場委員を集め、妥結結果の説明を行いました。ベアはゼロだけれども、一時金は満額、賃金がまったく上がらないわけではないと。言い訳がましい説明にだんだん腹が立ってきて、私は思わず「忙しいのにそんなことを聞きに来たんじゃない!」と声を荒げてしまいました。
その年の夏、「専従役員にならないか」と声をかけられました。実際には直接的な因果関係は無かったのですが、「文句を言うなら、自分でやってみろ」と暗に言われている気がして引き受けました。それが始まりです。
人生を変えたCNDの4年間
—専従役員としての仕事は?
トヨタ労組ではなく、全トヨタ労働組合連合会(以下、「全トヨタ労連」)の中の販売系組合を束ねる「全トヨタ販売労働組合連合会(以下、「CND」)」の本部経営政策局部長でした。職場は国内営業部門でしたが、仕事で販売会社と直接関わる機会はなかったので、正直戸惑いました。
CNDは、全国に12の支部があって、専従役員には担当地区が割り当てられます。私の担当は西近畿支部の大阪でした。
販売会社の組合委員長は、大阪人の中でも特にアクが強い人たちばかりです。地区別会議で賃金や一時金を上げるための取り組み方針を説明した時は、ある委員長に「現場のことわかってるのか?そんなことで本部がつとまるんか!」とボロクソに言われ、打ちひしがれました。でも、後で支部議長に「ちょっと金ちゃんに言い過ぎたから、フォローしてやってな。期待してるからなあ」と電話があったと聞いて涙がこぼれました。怖いと思った人ほど、実は面倒見がいい。現場で頑張っている委員長たちのために、私も必死で頑張って信頼関係を築こうと思いました。体質的にお酒が飲めない私が飲み屋で寝てしまうと、水割用の水を頭から垂らされるなんてこともありましたが、そんな大阪のノリに鍛えられて、いつの間にか胆力もつきました。
—次の担当は?
北東北支部(青森、岩手、秋田)です。本部から「受身で消極的」な支部だと聞いて、俄然やる気になりました。
月1回の県別会議に参加すると、委員長たちはどうやって活動すればいいのか分からなくて困っていました。そこで、私は「おせっかいなオヤジ」に徹しました。頻繁に現地に行って、ああだ・こうだと口を出す。そうすると委員長たちが動き始める。自分に自信が持てるようになって活動が活発になる。
ピグマリオン効果[i]とゴーレム効果[ii]ってあるでしょう。期待していると伝えるとパフォーマンスが上がり、期待されていないと感じると低下する。
北東北支部にはもともと実力はあったのでピグマリオン効果で成果が上がって、全国から注目される存在になりました。担当を離れる時は、期末懇親会の場で胴上げまでしてくれました。
CNDでの4年間で、人と人との信頼関係が基盤にあってこそ、労働組合は運動として力を発揮できると身をもって学びました。ここが私の労働運動の原点です。
リーマンショックと東日本大震災
—その後、単組へ
トヨタ労組に2年にいて、2008年に全トヨタ労連の企画担当副事務局長に就任しました。直後にリーマンショックが起きて、自動車も生産がストップする事態になりました。私は、ネジ会社の組合の担当もしていましたが、部品を積んだパレットがひっきりなしにトラックで運び出されていた工場も、生産が止まって空のパレットが天高く山積みになっている。その光景を見た時は、本当につらかった。
雇用対策本部を設置し、組合員の生活を守るために奔走しました。一時金が払えない状況も出てきて、労金に緊急貸付をお願いしましたが、過去に返済が滞った人には貸せない。当時の事務局長から「金貸しの仕組み」とだけ書かれたメモを渡されて、全トヨタ労連が積み立てていた国内連帯基金を組合員向け小額貸付にも使えるよう解釈を拡大しました。労働組合は、困った時にこそ頼りになる存在でなければと肝に銘じました。
—自動車総連に来たのは?
2010年に副事務局長として赴任しました。翌2011年3月11日に東日本大震災が起きました。連合ボランティアとして私自身も4月と8月の2回、現地に入りました。普段の鍛錬がなければ、いざという時に動けない。35000人規模で団結して迅速な対応できるのは、連合しかないと思いましたし、自動車総連としても一致団結する契機になりました。その後、全トヨタ労連の事務局長として愛知に戻り、2017年に自動車総連の事務局長として再び東京に来て今に至ります。
知れば知るほど奥深い日本酒の世界
—休日はどう過ごされていますか。
運動不足解消に街歩きを楽しんでいます。東京って意外と緑が多いんです。お気に入りは皇居周辺。歴史ある桜田門から半蔵門、千鳥ヶ淵から竹橋に至る代官町通りを抜けて、お濠(ほり)沿いに平川門、大手門をめぐります。江戸城本丸跡から大手町や八重洲の高層ビル群が見えて、そのコントラストに感動します。浜離宮、芝離宮、小石川後楽園など都立庭園にもよく行きます。入園料150円で1日のんびり過ごせるんです。
ごく最近、トレッキング(山歩き)も始めました。
—日本酒の唎酒師の資格も取得されたと…。
お酒が飲めないので、組合活動でいちばんつらいのは飲み会でした。
ところが、自動車総連の副事務局長時代に、他の構成組織との会合で差し入れされた『十四代』という山形の日本酒が美味しくて、美味しくて…。
大人になると、味覚が変わるという経験があるでしょう。日本酒はどれも透明だけど、こんなに味わいが違うのかと興味が湧き、下戸の体質は変わっていませんが2019年に唎酒師の資格を取りました。
因みに、映画としては『君の名は。』(新海真監督・2016年公開)を推奨します。この映画は「時空を超えた壮大なラブストーリー」と思われがちですが、巫女の家系である主人公・宮水三葉(みやみずみつは)が神への捧げものとして造る「口噛み[の]酒(くちかみ[の]さけ)」こそ、日本酒のルーツ。ぜひ日本酒の良さを伝える映画として観てください。
座右の銘は「和醸良酒」。
—おすすめの日本酒は?
地方に出張に行くと、なるべく地元の酒屋さんで地元の日本酒を買うようにしています。みんな違ってみんないい。それに唎酒師は自分の好みをすすめるわけではないんです。お客様が飲みたいと思っている好みのお酒、食事に合ったお酒を提供するのが仕事です。労働組合もそうですよね。執行部がやりたいことではなく、組合員が求めていることを活動にしなければならない。
—座右の銘は?
「和醸良酒(わじょうりょうしゅ)」。「和の心は良酒を醸し、良酒は和の心を醸す」、美味しいお酒は酒造りに携わるすべての人の和によって生まれ、その良酒によって、造り手、売り手、飲み手のすべての人に和がもたらされるという意味です。これも労働組合と同じ。一人では何もできないから、みんなで力を合わせる。チームワークや連帯感という「和」が大事だと。日本酒との出会いが、改めて労働運動とは何かを考える機会にもなっているんです。
—読者へのメッセージを
連合は「必ずそばにいる存在へ」を掲げています。自分の経験から考えても、人がいちばんつらいのは、孤独を感じたり、孤立して居場所がないこと。だから職場でも地域でも、困った時に頼れる存在、必ずそばにいる存在になれるよう、日々の運動を進めていきたいと思います。
[i]他者からの期待を受けることでその期待に沿った成果を出すことができるという心理効果のこと
[ii] 相手に対して期待できない、見込みがないと思っていると、本当にその通りの悪い結果になってしまうという効果のこと