特集記事

「雇用か賃金か」から「賃上げなくして雇用なし」へ
意識変革迫られる労使 サトーラシ労働組合

約30年に及んだデフレ経済の下では、労使ともに「雇用を守るには、賃上げについては、ある程度妥協せざるを得ない」というマインドに陥りがちだった。しかしインフレに転じる中で、適正に賃金が支払われない職場こそ、人が去り雇用を維持できなくなる構造へ、転換が始まっている。ボルトやナットのメーカー、株式会社サトーラシ(東京)の労働組合は、すでに現場が人手不足で厳しい状況におかれる中、労務費の価格転嫁と賃上げが労使共通の最優先課題だと訴える。

低調だった2023闘争 インフレ分は一時金対応に

サトーラシは埼玉県の2カ所に工場を持ち、自動車メーカーなどへボルトやナットを納品している。労働組合は任意加入のオープンショップだが、組織率は9割を超え、機械・金属産業を中心とする産別労働組合のJAMに加盟している。

昨年の賃上げは、コロナ禍による業績悪化の影響も残り、思うような結果を得られなかった。労働組合が9,000円の賃上げを求めたのに対し、妥結額は要求額からかなり後退してしまい「同じ地域の他製造業と比べても低調な結果となってしまい、組合を背負う立場として心苦しい」と、サトーラシ労働組合の菊池執行委員長は心情を明かす。

労働組合はインフレ分をベアに上乗せするよう求めたが、賃金ベースが上がることを恐れた経営側は「インフレ手当」として一時金6万円を支給するという対応を取った。

「コロナ禍で経営が疲弊しているのも事実ですが、『賃金が青天井に上がる』ことへの経営側の警戒感もうかがえました。また、過去に好業績を専ら一時金に反映させてきており、賃上げの構造自体が弱いことも、昨年一時金対応を許した要因だと反省しています」

菊池執行委員長

燃料・原材料費は7割で労務費は「ゼロ」 価格転嫁の現状

営業部門で働く柳田執行委員は、価格転嫁の現状について「原材料費とエネルギーコストについては、2年以上続く価格上昇によって、肌感覚ですが7割程度は転嫁が進んだように思います」と話す。しかし労務費に関しては「ゼロ」だという。

「経営側は顧客との関係が悪化して、新規受注や既存部品の受注に影響が出ることを恐れてなかなか声を上げられません。顧客側にもいまだに『労務費は企業努力で吸収できるはずだ』という意識が残っていると感じます」

またエネルギーコストを価格転嫁した際には、発注企業から膨大な「エビデンス」を求められたという。柳田さんら営業社員は、製造機械のモーターの個数や1カ月の稼働率、消費電力を1台1台書き出し、発注企業へ資料を提出。さらに発注企業の社員が製造現場を訪れ、製造機械の電力を測定し、データを確認していった。

「エビデンスを出す作業は非常に大変で、同業者には資料を集めきれずに価格交渉が難航している会社もあると聞いています」(柳田さん)

これだけの労力を払ったにもかかわらず、製品単価による継続的な価格転嫁を避けるため、インフレ分を一時金として支払う発注企業もあった。

一方、菊池さんは自身が購買の部署におり「受注企業からの要望は、値上げに関するものばかりです」と苦笑する。

「正直に言えば、発注先の調達部門が『一時金で対応したい』と言いたくなる気持ちも分かります。しかし会社側の方針に沿って、受注企業に適正価格を支払うよう努めています」

現場はいっぱいいっぱい 離職と採用難のダブルパンチ

菊池さんは、長きにわたって労使に「雇用か賃金か」という2択のマインドが刷り込まれてきたことが、賃上げを難しくしていると指摘する。

「生産現場は離職者が増えて社員が疲弊し、求人を出しても人が集まらない。かつては組合員を守るために雇用を優先しましたが、今や賃金を上げなければ雇用を確保できない。本当に潮目が変わったと実感しています」

中兼書記長は「ここ数年、周辺企業の賃金相場も少しずつ上がり、当社の賃金水準の低さが、職場の人手不足に拍車を掛けています」と語る。

「特に入社5~10年目、若手がやっと一人前に育った時期に、同年代の友人との賃金格差が開いてしまったことに気付き、離職するパターンが増えています」(中兼さん)

サトーラシの生産現場はここ数か月、コロナ禍の打撃からようやく回復し、稼働率が上がりつつあるという。しかし3年前に280人台だった社員数は、250人台と1割以上減少し、同じ時期に組合員数も200人から173人に減った。「組長」として製造現場で働く大澤副書記長は「現場はもういっぱいいっぱい」と嘆く。

「今までは、社員が80~90%の力を出せば回った現場が、増産と離職者の増加で120%、130%の力を出さなければ回らなくなりました。そのため負担が重くなってさらに若年者が辞め、中高年層が主力になっているのが現状です」

離職者が増えれば1人当たりの労働時間は長くなり、ひとりで何台もの機械を担当せざるを得なくなる。このため1台1台に注意が行き届かなくなって品質が低下したり、納期に間に合わなくなったりすることも増えてしまう。あわてて作業をすれば、労災のリスクも高まる…という悪循環に陥っているという。

「新卒者が採れなくなり、中途採用者も集まりづらくなっています。初任給を上げれば既存社員の賃金も見直す必要がありますが、若手に原資を振り分けないと、会社の存続すら危ういと思います」(菊池さん)

中兼書記長

価格転嫁の「指針」知らない経営者も 政府や経営者団体も行動を

政府は11月末に、労務費の価格転嫁に関する「指針」を打ち出した。発注者に求められる行動として、以下のような内容が定められている。

  • 受注者から求められていなくとも、定期的に労務費の転嫁について協議する。特に長年価格が据え置かれてきた取引については協議が必要だと認識すべき。
  • 価格転嫁に際して受注者に求めるエビデンスは、最低賃金の上昇率や春季生活闘争の賃上げ率など、公表されている資料を尊重する。

菊池さんはこれに対して「非常にありがたい内容ですが、組合側が指針を経営側に伝えても、『組合の主張を補完する資料』と見なされ、受け入れられない可能性が高い。政府や経営者団体から企業経営者へ、指針をきちんと伝えてほしい」と要望した。

経営側が、政労使の賃上げ協議や、価格転嫁の好事例などに関する情報を得るには、経営者団体に加入するなどして横のネットワークを持つ必要がある。逆に言えば、意識して情報収集しない経営者には伝わらない。

「中小企業の経営者の中には、ネットに接続していないスタンドアローンのPCのように、情報から遮断されている人が少なくありません。政府や経営者団体から価格転嫁の必要性を知らされれば、真剣に検討するかもしれません」(菊池さん)

ただ離職者の多さや人手不足については「労使のベクトルが一致しているので、この部分をフックに交渉を進められればと思っています」とも話した。

利益確保を先行するより人へ投資 経営側のマインドを変える

サトーラシ労働組合は、加盟しているJAM北関東から、必要な情報や交渉のノウハウなどを得ている。「JAMの人たちが『困ったらいつでも行くよ』と言ってくれるのはとても心強い」と、菊池さん。

JAM北関東の根岸書記長は「サトーラシ労働組合のような、組織率も高く社員の総意としてきちんと交渉しているのに、結果が出ずに苦しんでいる労働組合がなくなるよう支援したい」と力を込めた。

ただ昨今は経営課題について、組合役員と腹を割って話せる経営者が減っているという。組合役員の交代スパンが短くなり、1~2年で組合トップが変わる労働組合が増えたことも、経営側とのコミュニケーションを難しくしている。労使の相互理解が不十分だと、たとえ価格転嫁が実現しても経営側がその狙いを理解せず、賃金に配分しないで利益として確保してしまう恐れもある。

根岸さんは「人手不足の中では、十分な利益を確保した後で賃金に配分していては事業が立ち行かなくなる。2024闘争では、価格転嫁を通じて得た原資も含め、リソースは先行的に賃上げに充てるべきだと、経営側のマインドの転換を求めていく」と話した。

サトーラシ労働組合 執行委員の皆さん

(執筆:有馬知子)

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