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リーダーズボイス

連合リーダーの素顔に迫る!
~第5回 安河内賢弘 連合副会長・JAM会長~

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シリーズ第5回は、「安いニッポン」の実態をいち早く訴え、積極的な賃上げの必要性を発信している安河内賢弘連合副会長にインタビュー。20年を過ごした愛媛では、単組のみならず、JAM四国愛媛地区協議会や連合愛媛青年委員会のリーダーとしても様々な活動を展開。愛媛で培った多彩なネットワークを糧に歴代最年少でJAMの会長に就任。「参加と対話」型の運動を掲げて組織変革に取り組むリーダーの素顔に迫ります。

安河内 賢弘(やすこうち かたひろ) 連合副会長・JAM会長

九州大学農学部農業工学科を卒業し、1997年井関農機株式会社に入社。JAM井関農機労働組合中央執行委員長、JAM四国執行委員長、JAM副会長等を歴任し、2017年 よりJAM会長、連合副会長。

組合役員ではなく組合員が主役 「参加と対話」型の運動をめざす組織変革

職場の先輩が連合愛媛女性委員会委員長

―労働運動を始めたきっかけは?

青年婦人部の活動です。
福岡県で生まれ育ち、九州大学農学部農業工学科に進学しました。

農業機械開発の歴史を学ぶ中で、ある教授が「自動車もパソコンも欧米の後追いだけど、田植え機こそは日本が初めて世に出した画期的な機械なんだ」と涙ながらに語ってくれた。その世界初の田植え機を商品化したのが、愛媛県に本社を置く井関農機でした。

1997年に井関農機に入社し、本社のトラクターの設計部門に配属されました。そこで、新人の私に図面の書き方や整理の仕方、安全規格の仕組みなどを教えてくれた先輩が、連合愛媛女性委員会の委員長だったんです。
彼女に「組合やろうね」と言われて、井関農機労働組合の青年婦人部に行くと、なんと部長が大学の先輩で、有無を言わさず次期部長に指名され活動をスタートしました。

だから俺たちは労働組合が嫌いだ!

—青婦部ではどんな活動を?

青婦部は、毎年組合執行部との「スポーツ交流会」を開催していましたが、「なんでオジサンたちとスポーツやらなあかんの?」と不評でした。何をしたいのか話を聞いてまわると、職場にいろんな問題があるのに執行部が対応してくれないという不満を抱いていた。それで「だから俺たちは労働組合が嫌いだ!」をテーマに討論会を開催しました。

執行部の懐が深くて、製造ラインの改善や無駄の見直しなど、青婦部員の意見をぜんぶ受けとめ、その場で答えられないことは労使協議会に上げて会社回答を返してくれた。これってまさに労働運動そのもの。面白いなと思いました。

託老所で子どもと遊ぶボランティア

—連合愛媛では青年委員会の委員長になられたんですね。

はい。99年に井関農機労組の青婦部長として連合愛媛の青年委員会に参加することになったのですが、初めての会議で発言したら、委員長をやれと…。

ちょうど当時の笹森清連合事務局長が「労働組合こそ、日本でもっとも歴史ある最大のNGO。『RE-NGO』を合言葉に「社会運動としての連合運動を再生させよう」と呼びかけていて、連合愛媛でも社会貢献活動の気運が高まっていました。

人手と予算がある労働組合と、ノウハウを持つNGO・NPOが協力すれば、もっと地域に役立つ活動ができる。そう考え、青年委員会として取り組んだのが、NPOが運営する託老所でのボランティア。このコンセプトがすごく良かった。民家を改造し、近所の人や子どもたちが気軽に遊びに来れる場として開放していた。

託老所を訪れる子どもたちと遊び、お年寄りに話を聞きながら「昔の地図づくり」にもチャレンジしました。

そんなふうに交流を重ねていたら、ある時奇跡が起きた。認知症で言葉が出なくなっていたお年寄りに「おばあちゃん帰るね」と声をかけたら、「もう帰るの」って言葉が出た。うれしくて号泣しました。

他産別の仲間や地域とつながることのできる連合愛媛青年委員会の活動はとても魅力的でした。もっと活動を広げたいと思いましたが、単組の青婦部長の立場では頻繁に職場を離れるわけにはいきません。そこで、組合活動の比重が高まっても許される単組の支部執行委員になりました。この時は、へんな言い方ですが、連合愛媛青年委員会の活動時間を確保するために支部執行委員になろうと思ったんです。もちろん執行部の仕事も全力で取り組みました。

36協定を破棄してサービス残業を撲滅

—執行部としての活動は?

最初に取り組んだのは、間接部門のサービス残業撲滅です。

尊敬する先輩が、長時間労働が続く中である時ふっと気持ちが切れて会社を辞めてしまった。自分を振り返っても、こんなに長時間働いているのだからと仕事に対する甘えが生まれていました。

実態を調査すると、生産技術課のサービス残業が突出していました。労使協議会で問題にし、職場パトロールに入りましたが改善が進まない。そこで36協定を一旦破棄して残業を全部止めた。それを繰り返すうちに職場の意識も変わり改善が進みました。

「これからもイセキを守ってくれよ」

—つらかったことは?

井関農機労働組合の書記長だった2007年春、井関農機の子会社3社の不適切な会計処理(仕掛品[i]※の水増し)が発覚しました。

会社側が春闘交渉を突然打ち切った翌日、決算や有価証券報告書の訂正が行われ、同時刻に組合にも説明がありました。順調に業績が伸びていると思い込んでいた私には衝撃的で、その日のことは雨が降っていたことしか覚えていません。

担当取締役が引責辞任しましたが、従業員への影響も避けられなかった。賃金は2割カット、一時金も大幅減額。開発製造部門(約2,000名)を中心に226名が職場を去りました。合理化闘争に関しては中央本部書記長として職場討議を徹底し、全国の職場をオルグしました。企業存続の危機であることは明確でしたが、だからこそ職場の声を集めて膿をすべて出し切り、1日も早く再建に向けて動き始める必要がありました。

労働組合に対する厳しい意見も当然ありましたが、組合事務所に「オレは辞めるけど、これからもイセキを守ってくれよ」と言いに来てくれる組合員がたくさんいて本当につらかった。

調査を行った外部委員会は「最終的に本社の経営層が不適切な会計処理について知っていた痕跡は認められなかった」と結論づけ、上場廃止は免れましたが、「むしろ本社が知らなかったことが問題で、無理難題を押し付けられたと現場が思ってしまった。風通しの良い職場風土に向けた努力をしてほしい」と指摘しました。労働組合としてもこれを重く受けとめ、経営のチェック機能を果たす必要があると考え、労使協議会で経営方針について7項目の質問を提起。組合員はもちろん、元組合員である中間管理職も全面的に協力してくれました。

熊本工場のある益城町で泊まり込みのボランティア

—井関農機労働組合委員長の時代は?

2016年4月、熊本地震が起きました。震源地は井関農機熊本工場がある益城(ましき)町。

熊本の支部長から「余震が続いているから来ないで」と言われましたが、居ても立っても居られず、書記長と2人で車に支援物資を積み込み、愛媛を出発。福岡に一泊して益城町へ。妻が妊娠中で3日間何も食べていないという組合員が組合事務所を訪ねてきて、食料を渡せた時は、本当に来て良かったと思いました。

余震が落ち着いてからは、社会福祉協議会と連携し、駐車場の整理やスタッフ用の炊き出しを担当。熊本工場の復旧に携わる人たちの炊き出しも引き受けました。

JAM九州の仲間が大勢駆けつけてくれて本当にありがたかった。キャンプ地に泊まり込んでの活動で団結も強まりました。

愛媛では、単組、JAM四国愛媛地区協議会、連合愛媛の活動に全力で取り組み、結婚して、子どもも18歳まで育ちました。まさに第2の故郷です。

—そして、JAM本部へ。

2017年のJAM定期大会の前日、急転直下JAMの会長に推されました。

会長として今年で4期目を迎えますが、トップダウン型ではなくボトムアップ型の組合員を巻き込んだ「参加と対話」型の運動に変えたいと、組織変革プロジェクトを進めてきました。

参考にしたのは、「組合役員ではなく、組合員が主役」を掲げるドイツ最大の産業別労働組合のIGメタル。賃上げ結果について、会長がしかめっ面で「厳しい交渉だった」と報告するより、組合員が笑顔で「これで家族旅行に行ける!」とコメントするほうが賃上げの実感が伝わるし、労働組合って悪くないと思える。

JAM会長として「価格転嫁」の取り組みを精力的に進めている

バタフライ・エフェクトで世の中は変えられる

—趣味は?

愛媛では風景や野鳥の写真を撮っていました。何も考えず自然の中でシャッターチャンスを狙っている時間が楽しくて…。

趣味は、動物や鳥を撮影すること。(撮影:安河内賢弘)

—好きな映画や本は?

学生時代は、映画が好きでよく見ていました。『野生の夜に』(1992年、シリル・コラール監督)はヒロインの揺れ動く心情を捉えたカメラワークが秀逸。『ジャーニー・オブ・ホープ』(1990年、サヴィアー・コラー監督)は悲劇的なラストシーンが忘れられません。最近は『ザ・ホワイトハウス』(アメリカNBC制作)というドラマの、専門用語満載の長いセリフを早口でまくし立てるシーンにハマりました。

本はよく読みますが、最近では、復刻版が話題になった『非色』(有吉佐和子著)が面白かったですね。

—尊敬している人は?

「日本資本主義の父」と言われる渋沢栄一です。ILO使節団が来日したとき、「私は日本に資本主義を導入したが、行き過ぎた資本主義は労働者を食い物にする。補正するには労働組合が必要だ」と語ったとラジオで聞いて興味を持ちました。著書や自伝小説を読み、友愛会を創設した鈴木文治氏とも交流があったと知り、その先見性や人格主義を尊敬するようになりました。

—座右の銘は

渋沢栄一にならって論語から一つ挙げると「子曰、三軍可奪帥也、匹夫不可奪志也」(子曰わく、三軍(さんぐん)も帥(すい)を奪うべきなり。匹夫(ひっぷ)も志しを奪うべからざるなり)。三軍の将の命を奪うことはできても、その志を奪う事はできないという意味で、ファイルにはさんで時々見ています。

—休みの日の過ごし方は?

たまの休みには「くまのプーさん」にならって、一生懸命「何もしない」を頑張っています。

—自分を動物に例えると…。

霊長類にはそれぞれ特徴があって、家族で暮らすゴリラは温厚、群れをつくるチンパンジーは時に攻撃的。ボノボ(別名:ピグミーチンパンジー)は争いを避けるためにスキンシップが発達。1人で暮らすオランウータンは寂しがり屋。私はたった半年の単身赴任も寂しくて仕方なかったので、オランウータンかな。

—連合副会長としてのメッセージを。

日本の賃金水準が韓国に抜かれた8年ほど前から、「安いニッポン」について問題意識を持ち、積極的な賃上げとそのための価格転嫁や公正取引を訴えてきました。

それが今、広く共有されつつある。「バタフライ・エフェクト」(蝶の羽ばたきが集まって嵐になる)という言葉の通り、小さな声も言い続ければ、必ず大きな声になって世の中を変えられるんだと実感しています。

「すべての働く仲間のため」の運動を進めるには仲間づくりが不可欠です。

連合の役員は「雲の上」にいてはいけない。働く人たちの思いや生活の中にこそ、運動がある。今、新しい産業や新しい働き方が生まれている。そういう現場にどんどん出て行きたいと思います。


[i] 仕掛品:企業会計において製造途中の段階で未完成の状態の製品のこと。

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