国際労働運動シリーズの初回(「連合結成とICFTU加盟問題」)配信は、ちょうど1年前の2024年12月5日。以降、10回にわたって、国際労働運動の歴史に刻まれた日本の労働組合の知られざるエピソードを発掘してきた。連載の締めくくりにあたって、生澤千裕日本ILO協議会理事に、語り尽くせなかったテーマや国際労働運動をめぐる課題、混迷を深める世界情勢の中で、今伝えたいことを聞いた。

生澤 千裕(いくさわ ちひろ)
日本ILO協議会理事、JILAFプロジェクトアドバイザー
1979年同盟(国際局)に入局し、同年5月に東京で開催された「先進国労組指導者会議(G7レイバーサミット)」に対応。1987年民間連合国際局副部長、1989年連合国際局部長。生活福祉局、政治政策局、政治局、企画局等を経て、2005年連合国際局長、2007年総合国際局長(常任中央執行委員)、2011年総合企画局長(常任中央執行委員)。2013年10月に退任し、2017年10月まで連合参与を務める。現在、日本ILO協議会(特定非営利活動法人 ILO活動推進日本協議会)理事、国際労働財団(JILAF)プロジェクトアドバイザー。
グローバル枠組み協定の活用を
—これまでの連載で語り尽くせなかったテーマは?
1つ触れておきたいのは、1980年代から多国籍企業への対応として始まった「グローバル枠組み協定(GFA: Global Framework Agreement)」です。国境をたやすく超えていく企業に比べて、働く人たちの声は各国ごとに分断されがちです。企業行動が多国籍化し経済のグローバル化が進んでいくのであれば、それに対応したグローバルな労使協定が必要ではないか。そう考えて、多国籍企業の労働組合、加盟する産業別労働組合、GUFs(国際産業別労働組合組織)が、その多国籍企業との間で中核的労働基準の遵守を柱とする4者協定を締結し、社会対話を促進していく中で建設的な労使関係を築いていこうという「グローバル枠組み協定」の取り組みが始まりました。協定の効力は、国外のサプライチェーンにまで及びます。多国籍企業の側にとっても、海外拠点における労使紛争リスクを軽減でき、 投資家や消費者の評価も高まるというメリットがあります。
最初のGFAは、1989年にダノン(フランス)と当該労組、IUF(国際食品関連産業労働組合連合会)との間で締結され、ヨーロッパを中心に締結企業が拡大しました。2015年6月時点での締結企業数(ILO調査)は112社で、GUFs別の内訳は、IndustriALL49社、UNI35社、BWI(国際建設林業労働組合連盟)20社、IUF7社、IFJ(国際ジャーナリスト連盟)1社。締結企業112社を国別でみると、ドイツ(29社)、フランス(15社)、スペイン(12社)、スウェーデン(10社)が上位を占めていました。
日本初のGFAが締結されたのは、2008年11月。髙島屋労使、サービス・流通連合(JSD)、UNIによる協定です。当時、JSDが加盟するUNIは日本初のGFA締結を活動目標に掲げ、企業向け説明資料などを作成して熱心に加盟組織に働きかけていました。UNI-LCJ(日本加盟組織連絡協議会)の議長は、髙島屋労組出身の桜田高明JSD会長(後にILO労働側理事)。日本で第1号のGFAを結ぼうと本当に尽力されました。髙島屋労組、JSD、UNIの並々ならぬ努力と経営トップの英断によって初のGFAが実現。その後、2011年11月にミズノ(UIゼンセン同盟)、2014年11月にイオン(UAゼンセン)が続きました。
日本の企業と国際協定を締結するのは、ハードルが高いと言われてきました。日本の労使は、協定を結んだら、しっかりそれを守ろうとするから、より慎重になるのだと…。でも、今、企業の側も「ビジネスと人権」をめぐる問題が経営上の大きなリスクになりうることを理解し、積極的な対応に動いています。労働組合が主体的に取り組めるグローバル枠組み協定は、「ビジネスと人権」の実効性を高める上でも大きな意味があり、協定締結の拡大に向けた今後の取り組みに期待しています。

アジアに軸足を置いたスタンスを守って
—日本のユニオンリーダーがILOの理事や国際労働組合組織の要職を務めてきました※が、その位置づけは?
ILOの労働側正理事は、世界全体でわずか14名。現在、アジア太平洋地域からは日本、中国、インド、オーストラリアの4カ国が正理事の席を占めています。その位置づけは、日本の代表というよりも、世界の労働者、とりわけアジアの労働者の代表。現理事の郷野晶子さん(ITUC会長)を含め歴代理事は、そのことを胸に刻んで活動してこられたと思います。日本は、1966年以来継続してILO正理事の席を維持していますが、それが可能なのは、日本の労働組合がしっかりと国際活動に取り組んできたからだと言って良いと思います。

また、ITUCやITUC-APにおいても連合出身の役員が重責を担ってきていますが、連合が大事にしてきた「アジアに軸足を置いたスタンス」をこれからも大切に守り継承してほしいと思います。
課題は中長期的な国際人材の育成
—今、国際活動の分野で取り組むべき課題とは?
国際労働運動において、これからも日本の労働組合がその役割を果たしていくには、国際人材の育成に大きな力を注ぐべきだと思います。
以前は多くの産業別組合(構成組織)に国際局が置かれていましたが、財政的な問題もあり、GUFsの日本協議会に専門人材が集約されていくような状況になっています。そのことも関係しているのか、国際舞台での日本の労働組合のプレゼンス(存在感)が弱まっているとの声も聞かれます。
連合や構成組織の「国際局」は、国際連帯活動を担当する部署として、日本の労働運動がどのような課題を抱え、どのように挑戦しているのかを国際的に発信する窓口であるとともに、国際的な課題への連帯活動推進の窓口でもあります。これまでの連載で振り返ってきたように、南アフリカ、ポーランド、ミャンマーに対する国際連帯活動や、ビジネスと人権など政策課題への取り組みにおいて、国際労働運動の果たす役割、そして主要な先進国の1つである日本の労働運動が果たすべき役割は非常に大きい。さらに今、「ビジネスと人権」に関する取り組みが重視される中で、その任務を担う国際人材を組織内に置いて運動を進めることの必要性はむしろ高まっているのではないでしょうか。
国際労働運動においては、国際組織や他国労組とスムーズに連携し、ネットワークを築いていくことが求められます。それは、人的関係がベースにあってこそ可能です。JILAF(国際労働財団)では、1990年代から「グローバル人材養成研修」を実施しています。効果的な専門プログラムで学んだ修了生のみなさんが、それぞれの組織における「適正な配置」を通じて、継続的に経験を蓄積できるような国際人材の育成が進められることを願っています。

「パンと自由と平和」を守るために
—混迷を深める世界情勢と労働組合のスタンスについて思うことは?
ロシアによるウクライナ侵略、イスラエルとハマスの戦闘、イランの核施設や軍事施設へのイスラエルの攻撃、ミャンマー軍政による国民に対する弾圧と支配、香港における民主主義の封殺、国際秩序崩壊への道を突き進む米国トランプ政権の横暴…。世界は「弱肉強食」の世界へと急速に後戻りしているのではと感じます。
トランプ政権下のアメリカでは、労働組合、労働者が分断される事態になっています。大統領の悪政に反旗を掲げて行動するAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産別会議)に対し、チームスターズ(全米トラック運転手組合)などが限定的利益の享受を期待して大統領支持に回りました。今年(2025年)のILO総会では、米国政府によりAFL-CIOがアメリカの労働者代表とは認められず、代わってチームスターズがその席についたと聞いています。また、トランプ政権の対外援助削減政策は、様々な国際機関に大きな影響を及ぼしており、ILOも厳しい運営を余儀なくされています。アメリカ国内の国際支援団体も政府援助が打ち切られ深刻なダメージを受けています。
国際労働運動は、いつの時代も「パンと自由と平和」1を掲げて闘ってきました。絶対的な政治権力を握る体制との対峙は困難を極めますが、私たち労働組合は、分断を排し、連帯に根ざした取り組みで立ち向かう以外に道はありません。南アフリカのアパルトヘイト撲滅でも、ポーランドの民主化でも、息の長い国際連帯活動が力を発揮したことを忘れずに、諦めることなく前を向き、進んでいかなければならないのだと思います。
一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である
—最後に読者へのメッセージを。
今、日本は、少子化・人口減少などに起因する様々な構造的問題に直面しています。人手不足や物価高対策、税・社会保障制度改革などが喫緊の課題になっていますが、こうした国内問題も国際情勢と無関係ではありません。
大事なことは、内向きにならないということではないでしょうか。労働組合の財政事情は厳しく、国際労働運動に目を向ける余裕はないと言われるかもしれません。でも、平和が脅かされ、民主主義の基盤が危うくされている現状から目を背けないでほしいと思います。
現在のアメリカ政治が行き着く先はどこなのか。国際秩序を崩壊させないために今できることは何なのか。あるいは国際秩序が崩壊した後の世界で社会正義に根ざした公正で持続可能な経済社会をどう構築していけるのか。「パンと自由と平和」を守るために労働運動としてできることは何なのか。
私たちは今、歴史的な岐路に立たされていると感じます。 ILOは1919年の設立時、「世界の永続する平和は、社会正義を基礎としてのみ確立することができる」と謳う憲章を採択しました。しかし甚大な被害をもたらした第2次世界大戦を阻止できず、その反省に立って、1944年にフィラデルフィア宣言を採択しました。その中の「一部の貧困は全体の繁栄にとって危険である」という言葉を、今こそ思い出してほしい。これは、最近各国で掲げられている「自国ファースト」の対極にある言葉でもあります。私たちは100年前の過ちを二度と繰り返してはいけない。改めて、国際労働運動の歴史を振り返ってみてほしいと思います。
—ありがとうございました。
(構成:落合けい)
- 「パンと自由と平和」は、ICFTU(現在のITUCの前身)が掲げたスローガン。パンは雇用と収入の保障を伴う経済的公正、自由は人間の自由という大義と民主主義、平和は戦争のない社会を表す。自由と民主主義がなければ労働組合運動はなく、平和は脅かされる。パンがなければ民主主義も平和も二の次になる。さらに平和はパンと民主主義の大前提であることから、今日に至るまで国際労働運動を支える考え方として共有されている。 ↩︎
※<付記> 歴代ILO労働側理事、国際労働組合組織役員
【ILO労働側正理事】
1966年~原口幸隆(総評民間単産会議議長・全鉱)
1969年~塩路一郎(同盟副会長・自動車労連)
1972年~安養寺俊親(総評副議長・自治労)(1974年に急逝)
1974年~原口幸隆
1978年~田中良一(同盟副会長・全化同盟、後に同盟書記長)
1987年~丸山康雄(総評副議長・自治労)
1993年~伊藤祐禎(連合副会長・造船重機労連、後に連合顧問)
2004年~中嶋滋(連合総合国際局長・自治労、後に連合国際顧問)
2010年~桜田高明(連合国際顧問・サービス流通連合(2012年11月からはUAゼンセン))
2017年~郷野晶子(連合参与・UAゼンセン)
【ICFTUーARO/APRO関係】
〈歴代会長〉
1953年: Robert Edward Jayatilaka セイロン
1955年: Jose J. Hernandez フィリピン
1960年: P. P. Narayanan マレーシア
1965:年 和田春生 日本・海員組合
1968年: 滝田実 日本・全繊同盟
1969年: P. P. Narayanan マレーシア
1976年: Devan Nair シンガポール
1982:年 宇佐美忠信 日本・ゼンセン同盟
1988年: Gopeshwar インド
1994年: Ken Douglas ニュージーランド
2000年: Sharan Burrow オーストラリア
2005年: Govindasamy Rajasekaran マレーシア
〈歴代書記長〉
1951年: Dhyan Mungat インド
1956年: Govardhan Mapara インド
1964年:堀井悦郎 日本
1966年: V. S. Mathur インド
1988年: 和泉孝 日本・ゼンセン同盟 (事務所をインドからシンガポールに移す)
2000年: 鈴木則之 日本・ゼンセン同盟
【ITUC-AP関係】(2007年~)
〈歴代会長〉
2007年:Govindasamy Rajasekaran マレーシア
2011年:Sanjeeva Reddy インド
2015年:Felix Anthony フィジー
〈歴代書記長〉
2007年:鈴木則之 日本・UIゼンセン同盟
2017年:吉田昌哉 日本・連合
【ITUC関係】
〈会長〉
2022年:郷野晶子 日本・UAゼンセン
【関連記事】
[1]連合結成とICFTU加盟問題〈前編〉
[1]連合結成とICFTU加盟問題〈後編〉
[2]国際労働運動のプレイヤー〜その成り立ちと理念[前編]
[2]国際労働運動のプレイヤー〜その成り立ちと理念[後編]
[3]世界を変えた国際連帯行動①ポーランド自主管理労組「連帯」への支援
[3]世界を変えた国際連帯行動②南アフリカのアパルトヘイトを撲滅する取り組み
[3]世界を変えた国際連帯行動③ミャンマー(ビルマ)の民主化支援(前編)
[3]世界を変えた国際連帯行動③ミャンマー(ビルマ)の民主化支援(後編)
[4]「国際労働財団(JILAF)」設立秘話
[5]労働組合が求めた「ビジネスと人権」
[6]レイバーサミット —ディーセント・ワークを求めて
[7]アジアの労働運動と連合
