「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖の健康・権利)」、聞きなれない言葉かもしれないが、実は連合の「政策・制度 要求と提言」(男女平等政策、医療政策)にその確立や支援が掲げられている。
「一人ひとりが性や身体のことを自分で決め、守ることができる社会にしよう」という意味で、1994年に開催された国際人口開発会議(ICPD)で提唱され、1995年の第4回世界女性会議(北京会議)でジェンダー平等の重要課題に位置付けられたものだ。
提唱から今年で30年になるが、日本の現状を見ると、生理や更年期障害への無理解、妊娠・出産の高いハードル、性加害問題など、性と生殖をめぐる課題は拡大している。
改めてリプロダクティブ・ヘルス/ライツとは何か。どんな具体的な課題や新しい動きがあるのか。課題解決と権利確立に向けて労働組合はどう取り組めばいいのか。
産婦人科医の視点から社会問題の解決、ヘルスリテラシーの向上を目的として活動している宋美玄医師と芳野友子連合会長が語り合った。
【宋 美玄長 そん・みひょん】
兵庫県神戸市生まれ。2001年大阪大学医学部医学科卒業、医師免許取得。2009年イギリス・ロンドン大学病院胎児超音波部門に留学。2015年川崎医科大学医学研究科博士課程卒業。周産期医療、女性医療に従事する傍ら、テレビ、インターネット、雑誌、書籍で情報発信を行う。2017年丸の内の森レディースクリニック開院。一般社団法人ウィメンズリテラシー協会代表理事就任。著書に『女医が教える本当に気持ちいいセックス』(ブックマン社)、『女のカラダ、悩みの9割は眉唾』(講談社プラスアルファ新書)、『女医が教えるオトナの性教育:今さら聞けない セックス・生理・これからのこと』(学研プラス)など多数。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツとは?
自分のカラダのことは、自分で決める!
小原 今日の対談のテーマは「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」ですが、まさにその言葉がおふたりを引き合わせることになったとお聞きしました。
芳野 そうなんです。最近、少子化について様々な議論がされていますが、少子化対策の議論ですごく気になっていることが、「日本では結婚する男女が減っているから子どもの数が減っている」という意見で、必ず「結婚」が先に出てきます。
確かに日本では婚外子の出生が極端に少ない一方で、結婚した男女から生まれる子どもの数はそれほど変わっていない。だから、結婚を増やせば、子どもが増えると…。でも、そんな議論にすごく違和感があって、「婚姻しなくても、子どもを産んだっていい」と思うのです。その私の考えの基本にあるのは「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」です。どんな生き方をするかは個人の選択の自由であり、若い世代が結婚にとらわれすぎることなく、子どもを産み育てることに希望が持てる社会をつくるべきだと。
そうしたら、ある会議を取材していた記者から、宋美玄先生に、私がリプロダクティブ・ヘルス/ライツを主張していた、という情報が伝わって…。
宋 はい。それを聞いて本当に嬉しく思いました。ぜひお会いしたいとお願いしたら、対談のお誘いをいただきました。
芳野 産婦人科医として「自分のカラダのことは、自分で決めよう」というメッセージをずっと発信されてきた宋先生とじっくりお話しできたらと…。
宋 少子化対策においてリプロダクティブ・ヘルス/ライツを重視しなければ、女性は産むことを選ばなくなると思っています。なぜ、晩婚化・非婚化が進んでいるのかと言えば、結婚したら女性が働き方を緩めて家事や子育てをしなければいけない現状があるからです。
芳野 多様性の時代に人生の選択を狭めるような政策はとるべきではない。今こそ、リプロダクティブ・ヘルス/ライツのコトを考えたいと思いました。
『生理・更年期障害 生き活きハンドブック』
「保護か平等か」を超えて 健康に働く権利を
小原 では、改めてリプロダクティブ・ヘルス/ライツとは何か、解説していただけますか。
宋 人口政策に端を発して国際人口開発会議で提唱された概念です。従来の人口政策は、人口をいかに調整するかがテーマであり、その主体は「国家」。女性は、国家の都合で、出産を奨励されたり、産児制限を求められてきた。でも、1994年に開催された会議で、国家ではなく国民一人ひとりを政策の主体とし、「いつ産むか、産まないのか」という自己決定権を尊重することが提起され、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」と名付けられました。自分の身体は自分のものであり、性的行動や結婚、妊娠、出産は自分で選択する。あたりまえのことですが、世界にはそうではない現実がたくさんあったからです。
芳野 労働組合は、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」という言葉が生まれるずっと前から、女性が健康に働くための権利確立に取り組んできました。
戦前から「母性保護」として産前・産後休業や生理休暇を要求し、1947年制定の労働基準法で法制化されました。この時、「女子保護規定」として深夜業や時間外労働、危険有害業務の制限も入りましたが、1985年に男女雇用機会均等法が制定された時、一部緩和されました。経営者団体から「平等を求めるなら保護を撤廃すべき」という強い要求があったからです。
施行10年後の均等法見直しにおいても「保護か平等か」論争が再燃しました。
連合は、審議に臨むにあたって、全国47の地方連合会の女性委員会で母性保護や女子保護規定はなぜできたのか、働く現場ではどんな問題が起きているのか、女性組合員の声を聞きながら議論を重ねました。
当時、私は連合東京女性委員会の委員長でしたが、女性の職域拡大が進む中で生じている様々な問題が明らかになりました。その1つが生理の問題です。バスの運転士やタクシードライバーは、生理の時もトイレに行きづらい。長時間の乗務から外してほしいと思っても、男性が多い職場では言い出せない。生理休暇も取りづらい。
「保護」を考えるには、まず自分たちの身体のことを知る必要があると、女性の産業医を講師に招いて学習会を開催したんです。
宋 それはまさにリプロダクティブ・ヘルス/ライツですね!
芳野 はい、そうです。リプロダクティブ・ヘルス/ライツという言葉を前面に出したわけではありませんが、「保護か平等か」という議論を超えて、そこに行き着きました。女性が健康に働き続けるためには自分の身体に向き合い、守ることが必要だと。
講師の先生は、「女性はストレスを抱えたり、過労状態になると生理の周期が乱れる。そこで体調の変化に気づけるので早めに対処しやすい。でも、生理のない男性は気づかない間に無理を重ねて心の病や過労で倒れてしまう。だからすべての人が健康的に働き続けられる環境は、女性が無理なく働ける働き方に男性を合わせることだ」と話してくれました。私たちは、生理痛が重い時に無理して働いてはいけないし、生理休暇は必要なんだと納得しました。
宋 でも、均等法が施行されて生理休暇の取得率が大きく下がりました。「男女平等=女性が男性に合わせる」という流れがあったんですね。
芳野 そう思います。連合は「女子保護規定は撤廃し、女性に合わせた男女共通の時間外労働規制(年間150時間)を導入する」という女性役員での心合わせがあり、法改正に臨みましたが、力及ばす。しかし、均等法に新たに盛り込まれたセクハラ防止策の強化や母性保護の拡充(つわり休暇・通院休暇など)に取り組み、男女共通規制も「働き方改革関連法」として2018年に実現しました。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツをめぐる課題
女性の視点がないがゆえの問題はたくさん起きている
小原 日本におけるリプロダクティブ・ヘルス/ライツの具体的な課題はなんでしょうか?
宋 国際的には「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」にバージョンアップしていて、妊娠・出産、避妊・中絶、女性特有の病気、生理や更年期障害、性暴力防止、セクシュアリティなどに関する幅広い課題を含んでいます。
日本で最も実現されているのは「出産の安全」。妊産婦死亡率は世界で最も低い水準にあります。「不妊治療」は保険適用になってアクセスしやすくなりましたが、問題は「避妊」です。海外では、低用量ピル(経口避妊薬)や子宮内リング、パッチなど確実で使いやすい避妊法が普及しています。フランスではアフターピル(緊急避妊薬)が薬局で買えて、26歳以下は無料。ところが日本では、「女性の性的行動が奔放になる」という理由で低用量ピルの認可に40年もかかりました。2012年には一部のピルが生理痛治療薬として保険適用になりましたが、「避妊を目的に飲んでいる人と一緒にされたくない」と言われたりします。日本でポピュラーなコンドームは、性感染症予防には有効ですが、確実な避妊法ではありません。
「性」に対する意識があまりにも古くて、「避妊」の選択肢が少ない。当然、「望まない妊娠」も出てきます。
「中絶」を女性の権利として規定している国もありますが、宗教上の理由などで認めない国も少なくありません。アメリカでは最近、中絶を憲法上の権利と認めた連邦最高裁の判決が覆され、中絶禁止法を制定する州も出ています。
日本では、母体保護法で、身体的・経済的理由による中絶が認められていますが、問題は、費用が全額自己負担で、配偶者の同意が必要とされていること。「中絶の権利」と言われると違和感を持つかもしれませんが、「どうしても産めない状況」はある。選択肢として必要なんです。
芳野 DV(家庭内暴力)や性暴力も深刻です。コロナ禍で在宅勤務が増えた時、DVが急増しましたが、非常時に弱い立場に追いやられるのは女性や子どもたちだと再認識しました。
宋 災害の被災地でも、生理用品が十分用意されていなかったり、避難所で毎日ご飯を作るのは女性だったり…。SNSで実態が一部可視化されるようになりましたが、女性の視点がないがゆえの問題はたくさん起きています。
昨年は芸能界での様々な「性加害」が明るみに出て、男性や男児も被害を受けていることが分かりました。「性加害」は軽く扱われがちですが、その認識を改めないと被害者が救われません。
芳野 「性加害」の背景にもパワーバランスがありますよね。嫌だと言えない力関係の中で被害にあっています。
宋 「性加害」は特別な世界だけでなく、学校や地域でも起きている。最近は、性教育の一貫として、子どもたちにプライベートゾーンを守ることを教える保育園や幼稚園も出てきましたが、大人の再教育も必要です。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツをめぐる新しい動き
女性だけが選択を迫られることが問題
小原 日本でのリプロダクティブ・ヘルス/ライツは進んでいるとは言えませんが、新しい動きも出ています。不妊治療などへの支援も始まっています。
宋 40代女性の健康保険脱退の理由の1位が「不妊治療」というデータがあります。アラフォーになるまで仕事に打ち込んできたけど、やはり子どもがほしいと考え、タイムリミットがある不妊治療に専念するため退職している。不妊治療や卵子凍結は個人の選択を支援するものですが、根本的な問題として、なぜ女性がこのような選択をするのかを考えてほしい。
芳野 仕事が面白くなる20代後半〜30代前半が、妊娠・出産に適した時期と重なってしまう。両立は困難だと思うから、いつ産むか悩むことになるんですが、私は、女性だけがその選択を迫られることこそ、おかしいと思うんです。男性は、結婚しても、子どもが産まれても、自分の生活が変わるなんてあまり意識していないかもしれませんね。
宋 まさに「女性医師問題」の核心はそこなんです。第1子出産後の離職率は5割ですが、育休明けに「パート」を選ばざるを得ない女性勤務医はすごく多い。職場では「パートはラクでいいな」と言われて肩身の狭い思いをし、家庭でも収入が減少してその地位が低下する。それなのに「女性はすぐ辞めるから」と医学部入試で不正まで行われていました。今、「医師の働き方改革」が進められていますが、この機会にぜひ「女性医師問題」を解消してほしいと願っています。
芳野 自分の決定において、いつ妊娠・出産してもいいと思えるような、キャリアの継続体制や両立支援環境をつくっていければいいですよね。
宋 私の友人の会社は、みんな20代で出産して働き続けていて、男性も全員育児休暇を取得している。だから、彼女もためらうことなく20代で出産したと。やればできるんです。
生理や更年期障害による経済的損失
小原 健康診断に女性特有の項目を追加することも検討されています。
宋 「働く女性の健康増進調査2018」(日本医療政策機構)では、生理や更年期障害で「パフォーマンスが半分以下になる」という回答が50%を占め、経済産業省による最新の試算では、その損失額は「社会全体で約3・4兆円」。金額が示されることでビジネスの観点からも女性の健康課題が注目されています。
芳野 労働組合も取り組みを始めています。連合東京女性委員会は、2022年に「生理休暇と更年期障害に関するアンケート」を実施しましたが、様々な課題があることが見えてきました。
生理痛がある人は約9割で、若い人ほど重い症状に悩んでいる。一方で生理休暇の取得は1割に満たず、毎年、婦人科健診を受けている人は58%。更年期障害の症状がある人は74%。「更年期離職」も身近で起きていました。
宋 調査は本当に重要です。データを示すと企業や行政も動きますから。
小原 フェムテックが注目されていますが、先生はどのように受け止めていますか?
宋 ヘルステック産業の中で女性の健康に特化した分野が「フェムテック」と呼ばれ、生理周期を管理するアプリやデバイス、ハイテク生理用品などが販売されていますが、リプロダクティブ・ヘルス/ライツとは似て非なるもの。日本は医療へのアクセスがよくて自己負担額も低い。安全でエビデンスのある女性医療が確立されているので、私としては、「産婦人科かかりつけ医」を持つことをお勧めします。
労働組合に期待すること
学び直しのインフラとして
小原 今、取り組むべきことはなんでしょうか?
宋 大人世代の学び直しです。今、芸能界で高い地位を築いた人が性的スキャンダルですべてを失うケースが相次いでいますが、これは多くの人に意識改革を促すチャンスではないかとも思うんです。
かつては、性被害にあうのは、女性の側にも隙があるからだと責められましたが、今はそんな言い分は通用しません。時代は変わったんです。
男子校で性教育の話をすることもあるんですが、「一人ひとりに権利がある。他人にもその権利がある。だから侵してはいけない」という正論だけでは伝わらない。最近は、築いたものをすべて失った人の実例を出して、リスク管理としてもしっかり認識しておく必要があると伝えています。ただ私のような外部講師の話は1つのきっかけです。大人たちが学び直しをして、日々の生活の中で「何がダメなのか」が子どもたちに伝わるようになれば、社会の風土も変わっていくと思います。
芳野 意識改革は繰り返しが大事ですよね。リプロダクティブ・ヘルス/ライツが提起された頃は、女性が「権利」を主張すると煙たがられましたが、時代は大きく変わりつつあります。労働組合の風土を今の時代に合わせて変えていくためにも、学び直しを進めていきたいと思います。
小原 最後に労働組合に期待することをお伺いしたいと思います。
宋 労働組合は、誰もが働きやすい職場の環境整備や学び直しの貴重なインフラです。女性が家事・育児を担う社会では「産むという選択」がどんどん重くなります。ジェンダー平等を進めることで、女性は自己決定がしやすくなり、リプロダクティブ・ヘルス/ライツが実現できる。積極的な取り組みを期待しています。
芳野 お力添えをいただきながらしっかり進めていきたいと思います。
小原 ありがとうございました。