はたらくを考える

労使で取り組むビジネスと人権

グローバル化が進展する中、企業は国境を超えて事業活動(ビジネス)を展開し、サプライチェーンを拡大させてきた。しかし、その現場で児童労働などの人権侵害や環境破壊が生じていることが指摘され、国連は2011年に「ビジネスと人権に関する指導原則」を採択。企業の「人権を尊重する責任」を明記し、各企業がサプライチェーンの「人権デュー・ディリジェンス(人権リスクの把握と対策)」を実施することを提唱。これを受けて各国で行動計画の策定や法整備が行われ、日本でも2020年10月に「ビジネスと人権に関する行動計画」、さらに今年9月に「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」が策定された。中小企業を含めたすべての企業に、すべてのサプライヤーを対象とする「人権デュー・ディリジェンス」が求められることになる。
折しも不安定化する世界情勢の中で、企業に人権尊重を求める動きは高まっている。どう人権リスクを把握し、人権侵害を防いでいくのか。企業活動の最も重要なステークホルダーである労働組合の役割は何か。労使で取り組む「ビジネスと人権」をテーマに、経団連の長谷川知子常務理事と連合の安河内賢弘副会長が意見を交わした(月刊連合2022年11月号転載)。

【進行】則松佳子
    連合副事務局長

「ビジネスと人権」をめぐる国内外の動き

―なぜ今、「ビジネスと人権」が注目を集めているのでしょう。

長谷川 1990年代後半以降、多国籍企業のサプライチェーンが国境を超えて拡大する中で、途上国の現場における様々な人権侵害が指摘されるようになりました。有名ブランドのシューズやサッカーボールが児童労働でつくられているという告発は世界に衝撃を与え、企業が自ら人権を保護していくべきだという国際的な議論が起きて、2011年に国連人権理事会において「ビジネスと人権に関する指導原則」が全会一致で支持されました。
指導原則は、「人権を保護する国家の義務」「人権を尊重する企業の責任」を整理し、「救済へのアクセスの保障」を求めるとともに、企業がその責任を果たすために「人権デュー・ディリジェンス」に取り組むことを提唱しました。
しかし、その後も深刻な人権問題が頻発します。世界のアパレルメーカーの縫製工場が集中するバングラデシュでは、2013年にずさんな管理体制が原因でラナ・プラザ崩落事故が発生し、多数の縫製労働者が犠牲になりました。この事故を契機に、2015年のG7サミット首脳宣言に「責任あるサプライチェーンの構築」が盛り込まれ、各国で「NAP(国別行動計画)」の策定や人権デュー・ディリジェンスを義務づける法整備が進みました。さらに直近では、新型コロナウイルス感染症、新疆ウイグル自治区の強制労働問題、ミャンマーの軍事クーデター、ロシアのウクライナ侵攻など、人権への影響が懸念される事態が続き、企業の行動にいっそう注目が集まっています。

安河内 日本の政府や労働組合の対応は遅れているという問題意識を持っています。連合は、2017年に「連合国際労働戦略」を策定して、社会対話の確立や政策力の強化に取り組んできましたが、対応を強化するために、今年新たに「ビジネスと人権」に焦点を当てたプロジェクトチームを設置しました。労働組合は、「ビジネスと人権」の最も重要なステークホルダーであり、積極的に取り組む責任があります。そのことを労働組合の内外に強く訴え、労使で歩調を合わせて取り組んでいきたいと思っているところです。

長谷川 海外の動きが進んでいるのは、実は歴史的な経緯の積み重ねなんです。各国でNAPが策定されましたが、企業の自主的な取り組みは思うほど進まなかった。それで、イギリスでは現代奴隷法、フランスでは企業注意義務法、ドイツではサプライチェーン法が制定されるに至ったのです。これらの法律は、当然ながら日本企業にも影響しますが、今、経団連が最も注視しているのは、「人権と環境のデュー・ディリジェンス」を義務化するというEU指令です。骨子案はかなり厳しい内容であり、その影響も大きいことから対応を急ぐ必要があると考えています。

ようやく取り組みのスタート地点に

―日本でも2020年にNAPが策定され、今年9月には「ガイドライン」が公表されました。その作業にどう参画され、どう評価しているのでしょう。

長谷川 経団連は、「ビジネスと人権に関するベースラインスタディ」の段階からNAPへの意見反映を行ってきました。当初、日本政府の課題認識は高いとは言えず、経団連として頻繁に要請を行った経緯があります。結果として、指導原則に沿ったNAPが策定され、情報提供や啓発活動が強化されたことを心強く思います。ただ、これはようやく「ビジネスと人権」の取り組みのスタート地点に立ったという段階。ここから、いかに各企業の自主的取り組みを後押ししていくかが問われています。

安河内 私は、外務省の「ビジネスと人権に関する行動計画推進円卓会議」に参画し、労働組合の立場から、サプライチェーンの現場で何が起きているのかを伝えてきました。1つは国内における外国人労働者の人権侵害。JAMは、在日ビルマ市民労働組合を支援していて、技能実習生や留学生からの相談も多数寄せられます。中部地方の縫製工場で働くベトナム人技能実習生は、パスポートを取り上げられ、賃金も支払われず、抗議すると恫喝されるという「強制労働」の状態に置かれていました。労働基準監督署と協力して実習生を救出するとともに、元請会社を訪ねて「CSR(企業の社会的責任)の観点から、すべてのサプライチェーンを点検し、人権侵害があった場合は是正してほしい」と要請しました。また、国内労使は建設的労使関係を構築していても、海外の拠点やサプライチェーンでは労使が対立することがあります。そうしたケースでは、連合の構成組織や金属労協(JCM)、国際産業別労働組合組織(GUFs)などが、現地の労働組合と連携して紛争解決に取り組み、労使関係の構築を支援していることも報告しました。
経産省のガイドラインは、内容は一定の評価をしますが、決定プロセスは不透明で拙速でした。短期間のパブリックコメント募集だけで、ステークホルダーの意見を十分聞くことなく策定されたことは、非常に残念です。

「ビジネスと人権」に取り組む意義

人権リスクは経営リスクに直結する

―企業、労働組合が、人権尊重に取り組む意義とは?

長谷川 一義的には、企業には人権へのマイナスの影響を防止・軽減・救済する責任があり、それを果たすことで持続可能な社会やSDGsの実現にも貢献できることです。また、人権リスクは経営リスクに直結します。サプライチェーンで人権侵害が認定されれば、輸入禁止や取引停止とする措置を導入する国が増えています。ESG(環境・社会・ガバナンス)投資が拡大し、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)では人権も含めたより幅広い情報開示基準の検討が始まっています。市場からの排除や株価暴落、企業ブランドへのダメージというリスクを回避するためにも、積極的に取り組む必要があります。これは、ポジティブに発想を転換すれば、人権尊重の経営によって、投資を呼び込み、企業価値を高めることができるとも言えます。

安河内 ILOの中核的労働基準の最初の項目は「結社の自由と団体交渉権の承認」です。まさに労働組合の存立を支える権利であり、職場の人権を守ることは労働組合の最も基本的な役割です。また、労働者は事業活動の担い手であるとともに、人権侵害の被害者にも加害者にもなり得る。人権デュー・ディリジェンスを進めるには、ステークホルダーとのエンゲージメント(協議)が不可欠であり、労働組合は最も重要なステークホルダーとして自ら積極的に取り組む責任があります。

企業、労働組合の取り組み

―それぞれの取り組みについてお聞かせください。

長谷川 経団連は、2017年に『企業行動憲章』を改定し、「すべての人々の人権を尊重する経営を行う」という条項を新設。『実行の手引き』において「ビジネスと人権に関する指導原則」にもとづく取り組みを解説しました。
しかし、2020年に実施した調査では、「指導原則にもとづいて取り組んでいる」と回答した会員企業は36%。「人権を尊重する経営を実践する上での課題」としては「一社・企業だけでは解決できない複雑な問題がある」「サプライチェーン構造が複雑・膨大であり範囲の特定が難しい」が上位を占め、「具体的な取り組みの方法がわからない」「社内・社外の関係者に人権の内容や重要性を理解してもらえない」という回答も少なからずありました。そこで担当役員や実務担当者向けに『人権を尊重する経営のためのハンドブック』を作成し、先進事例や参考文献・WEBサイトなどを紹介。YouTubeで解説動画も配信しています。

安河内 連合は、2017年に『多国籍企業の社会的責任と国際ルール』というリーフレットを作成して啓発活動に努めてきましたが、そこでも紹介しているのが「グローバル枠組み協定(GFA)」です。企業労使、国内産業別労働組合、国際産業別労働組合組織(GUFs)の4者が協力して人権リスクに対応する仕組みで、UAゼンセンに加盟するミズノや高島屋、イオンの労働組合が導入して成果をあげています。
また、日本政府は、ILOの中核的労働基準4分野・8条約※のうち105号(強制労働)と111号(差別待遇)を批准していませんでしたが、連合は、その早期批准を求めて要請行動を展開し、ようやく今年6月に105号条約の批准が実現しました。今年6月に新たに加わった条約を含めて、未批准の条約(111号、155号)については早期に批准できるよう働きかけていきたいと思います。

すべての人々の人権が尊重されること

―ガイドラインでは「人権の範囲」が問題になりました。

安河内 今、告発されている人権侵害には、劣悪な労働環境や住環境、児童労働、強制労働、差別やハラスメントなどがあります。日本では、「人権」というと、ストレートに「差別」と結び付けがちですが、もっと幅広い意味を持っています。

長谷川 国際的に認められた人権とは、すべての人が生まれながらに持っている権利であり、世界人権宣言※※やILO中核的労働基準に規定された原則。その人権が、国内外の取引先の従業員や顧客、消費者、地域住民に至るまで、企業活動に関わるすべての人々において尊重されることが求められている。ここがポイントです。さらに今、EUでは「人権と環境デュー・ディリジェンス」を求める動きが出ています。「気候変動によって人々の生命や健康が害されているのは人権問題である」という視点からの対策が必要だと…。

―自然災害や気候変動は、社会的弱者により深刻な影響をもたらしていますが、それも人権の問題なんですね。政府に対する要望はいかがですか。

長谷川 政府には、①人権教育の推進、②実態調査の継続、③個別企業への支援と相談体制の充実・紛争影響地域に関する情報提供、④NAPのフォローアップ作業におけるステークホルダーの意見反映、の4点を強く要望します。

安河内 中小企業への支援充実を求めます。また、政府内には人権デュー・ディリジェンスが「下請法や独禁法に抵触する可能性がある」との議論がありますが、それを理由に取り組みが遅れれば、国際的にペナルティを受けるのは日本の企業です。国際基準にもとづく対応こそ、日本の企業と働く人たちを守ることになると強く申し上げたいと思います。

―「労使での取り組み」に期待することは?

長谷川 ジェトロ・アジア経済研究所の「日本の自動車部品産業―タイにおける責任あるサプライチェーン」調査では、①現地子会社とサプライヤーとの信頼関係が人権デュー・ディリジェンスに必要な協力関係の土壌となったこと、②日本の労組が現地従業員と対話するなど、日本の建設的労使関係が有効なコミュニケーションにつながったこと、などが報告されています。経団連の調査でも、グローバルサプライチェーンにおける人権リスクの把握方法の第1位は「内外の労働組合・従業員との対話」(65%)であり、「顧客からの要請」(48%)とは大きな差があります。
欧米の多国籍企業は「契約」重視で、1つでも違反があれば取引を停止する。でも、日本の企業は、問題解決に向けてサプライヤーの能力向上をはかろうというスタンス。日本で培われた「労使協調型」のコミュニケーションは、特にアジアにおける人権デュー・ディリジェンスの実施において有効だという印象を持っています。

安河内 同感です。アジアの拠点で労使紛争があると、日本の労働組合にも様々なルートを通じて情報が入ってきますが、それは企業が持つ情報とは必ずしも一致しない。現場で何が起こっているのかを正確に把握するためにも、労働組合の役割は重要です。ただ、日本国内では建設的労使関係を持つ企業でも、海外の拠点における労働組合を歓迎しない経営者は少なくありません。人権デュー・ディリジェンスの取り組みを契機に、現地の労働者・労働組合との対話を深め、建設的な労使関係の重要性を訴えていきたいと思います。

長谷川 「ビジネスと人権」は、各社が自分事として、経営リスクを抑え、競争力の強化や企業価値の向上につなげていく取り組みであり、労使が連携することでより有効に進めることができる。そう考えて、企業行動憲章の手引きに「人権課題における労使関係の重要性」を盛り込む方向で改定作業を進めています。

安河内 おっしゃるように労使の連携が各企業での取り組みのカギになるはずです。
連合は、昨年の大会で「すべての働く仲間とともに『必ずそばにいる存在』へ」というスローガンを掲げました。「ビジネスと人権」の取り組みで、労働組合としての役割を果たすためにも、日常の活動を大切にし、組合員はもちろん、未組織の労働者、技能実習生や留学生などの外国人労働者も含めて、すべての働く人たちに信頼され、頼りにされる存在にならなければと思っています。

ありがとうございました。

長谷川知子(はせがわ・ともこ)
一般社団法人 日本経済団体連合会(経団連)常務理事
上智大学大学院外国語学研究科国際関係論修了(修士)。米国コロンビア大学大学院国際公共政策大学院(SIPA)修了(修士)。1988年経団連(当時)事務局入局。国際経済部、広報部、国際経済本部北米・オセアニアグループ長、社会広報本部主幹(企業行動・CSR担当)・副本部長、教育・スポーツ推進本部副本部長(教育・人材育成担当)、教育・CSR本部長、SDGs本部長を経て、2021年4月にソーシャルコミュニケーション本部とSDGs本部を統括する常務理事に就任。

安河内賢弘(やすこうち・かたひろ)
連合副会長、JAM会長
九州大学農学部農業工学科卒。井関農機株式会社に入社後、JAM井関農機労働組合中央執行委員長を経て、JAM四国執行委員長、JAM副会長を歴任し、2017年JAM会長に就任。連合「ビジネスと人権」PT座長、外務省「ビジネスと人権に関する行動計画推進円卓会議」構成員。

※2022年6月のILO総会決定により、5分野・10条約となった。
※※1948年第3回国連総会で採択。人権および自由を尊重し確保するために、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」を宣言。

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