2024年度の最低賃金(時給)は、全国加重平均額が前年度比51円増の1055円となり、すべての都道府県で引き上げ幅が50円を超えた。ただ物価高の中で所得が増えたという実感は得づらく、地方と都市圏、大手と中小の格差が広がるなど課題も残る。持続的な賃上げによって生活の豊かさを感じられる局面へと、社会のステージは変わるのだろうか。


賃上げの方向性は労使で一致 上げ幅と地域格差が争点に
各都道府県の最低賃金は毎年見直しが行われ、まず厚生労働省の審議会で、労使代表と有識者ら「公益代表」が協議して引き上げの「目安額」を示す。賃金水準に応じて都道府県をA、B、Cの3ランクに分けて金額を出すのが通例だが、2024年度は全ランク共通で50円だった。
目安額の提示を受けて、各都道府県でも公労使3者が協議し、地域の実状を踏まえて最低賃金を決める。今年度の引き上げ幅は50~84円となり、全国加重平均の引き上げ額は51円(前年度は43円)だった。
連合労働条件・中小地域対策局の長江彰部長は、最低賃金の協議に当たって「春季生活闘争で達成した賃上げの流れを組合員以外の幅広い働き手にも広げ、社会全体の賃上げにつなげることが大きなテーマでした」と振り返る。
「2024春季生活闘争で平均賃上げ率5%超を達成できても、最低賃金で後れを取れば組合員とそうでない人との格差が広がり、賃上げも一過性のブームで終わってしまう。日本全体の賃金を底上げし、その動きを来年以降も定着させることが重要だと考えました」
厚生労働省の審議会では、物価高の中で賃上げが不可欠だという方向性は、公労使3者で一致していたという。争点となったのは実際の上げ幅と、地域格差に対する考え方だった。
連合総研が2024年4月に実施したアンケート調査によると、賃金の増加幅が物価上昇の幅より大きいと回答した人の割合はわずか6%台に留まった。「世帯年収が低い層ほど、過去1年で生活がいっそう厳しくなっているという実態があります」と、長江さんは説明する。
このため労働側は当初、当面の目標とする「誰もが時給1,000円」の達成に一定の目途がつく67円の目安額を要求。低所得層も含めすべての労働者の生活改善につなげるべきだと訴えた。
一方、経営側は春季生活闘争の大幅賃上げで企業の労務費負担が高まっており、とりわけ地方の中小・零細企業の支払い能力には限界があると主張した。数多くのデータを参照し、予備日も使って議論を尽くしたが、労使の折り合いはつかなかった。
「最終的には公益代表が、日常生活に欠かせない“頻繁に購入する品目”の物価を重視して目安額を全ランク統一の50円とする見解を示しました。労使双方も、不満を表明しつつもこれを尊重することで決着しました」
時給低い地域で大幅引き上げ 額差縮小に一歩
続く各都道府県の審議では、東京都や大阪府、神奈川県で目安通り50円引き上げとなり、時給額が1100円を超えた。一方で徳島県の84円を筆頭に岩手、愛媛両県が59円、島根県が58円など、比較的時給の低い地域で大幅な引き上げが相次ぎ、時給が800円台に留まる地域もなくなった。
「賃金水準の低い地域の最賃を引き上げて地域“額差”を縮小することをもうひとつの主張の柱としていました。地方審議で労働側委員が精力的に主張した結果、目標に向けて着実に一歩進んだと考えています」と、長江さんは話す。
しかし8月~9月には、主食のコメの価格が大幅に上昇し家計を圧迫した。さらに帝国データバンクの調査よると、10月も2000品目以上の食品が値上げされる見通しだ。昨年度に比べれば物価上昇率は落ち着きつつあるものの、最賃の引き上げをもってしても、働き手の生活が豊かになったという実感を広げるのに十分とは言い難い。
下請け企業が労務費の上昇分を製品価格に上乗せする価格転嫁も、昨年に比べて進みはしたが、十分ではないという。経営側は、価格転嫁の動きの鈍さが中小・零細企業の賃上げを難しくしていると訴える。
長江さんは、経営や賃上げの状況が大手と中小で二極化している実状には理解を示しつつも「“すべての”企業の支払い能力を賃上げの必要条件にすると、いつまでも議論は進みません。労務費の引き上げを確実に価格転嫁できる環境整備を徹底し、価格転嫁の促進に向けた国の指針[1]の実効性を高められるよう、労使で前向きな議論を積み重ねる必要があります」と訴える。
10月以降は、2025春季生活闘争に向けた取り組みも始まる。長江さんは「春季生活闘争の賃上げを確実に最賃へ波及させられれば、それが翌年の闘争の弾みになります。賃金と経済、物価が緩やかに上昇する巡航軌道を実現するためにも、2025闘争でさらなる賃上げと格差是正をめざします」と意欲を語った。
「なぜ最下位なの?」学生にも聞かれた
都道府県別の最賃の中で、特に大幅な引き上げが実現した地域の一つが岩手県だ。昨年度の上げ幅は、目安額と同額の39円に留まり時給額も893円と全国単独の最下位だったが、今年は59円増の952円となり最下位を脱した。
連合岩手の佐々木正人副事務局長は「労働側はもちろん、使用者側も口には出しませんが、最下位のままでは労働者の県外流出にますます拍車が掛かってしまうという危機感があり、今回の引き上げにつながったと思います」と語る。
岩手に限らずどの地域でも、製造現場で働く労働者などの中にはより高い時給を求め、県をまたいで移動する人が少なくない。まして「最低賃金が全国最下位」というレッテルは、労働者の流出だけでなくUターン、Iターンの誘致や、新卒学生の採用にも影響を及ぼしかねない。佐々木さん自身、地元の大学で講師を務めた時、学生たちに「なぜ岩手の最賃は最下位なんですか」「バイトの時給も他の地域より安いんですか」などと聞かれたという。
地方は物価が安いと思われがちだが、実際は都市部も地方も生活必需品の値段はさほど変わらず、賃金水準の低さは生活の厳しさにも直結する。
「いくら自然が多くて暮らしやすいなどの良さがあっても、生活するのに十分な収入を得られる見通しがなければ、岩手で暮らそう、働こうとは思えないでしょう」と、佐々木さんは言う。
連合岩手は過去1年間の食品などの値上がり率を調査し、最低賃金の協議でそのデータをもとに「物価上昇に追いつくには最賃を最低60円引き上げる必要がある」と訴えた。交渉の結果、1円及ばなかったが近い数字を勝ち取ることができた。

歯止めかからぬ人口流出 豊かさを実感できる賃上げを
ただ佐々木さんは、人口流出に歯止めをかけるには、最賃引き上げ後の水準でもまだ不十分だと考えている。
最賃に近い時給で働く人の多くは、沿岸・県北地域の中小・零細企業でパートとして働く女性たちだ。経済的に自立できる賃金水準では到底ないため、若い男性などはどんどん地元を離れ、家計補助的に働く人しか残らないのだという。
「このままでは県内でも、盛岡など内陸地域と沿岸部の二極化が加速してしまいます。しかし経営者の中には『最賃が低いほど人件費が抑えられる』と喜ぶ人もいる。地方の中小企業が存続するには、人への投資を充実させ人手を確保することが絶対に必要なはずです」
東日本大震災の復興事業は軒並み終了し、震災直後は地元で復興に貢献しようという意識が強かった若い世代も、県外での就職を志向するようになった。佐々木さんが大学の講義で学生に「岩手に残りたいですか」と聞いたところ、手を上げたのは50人超のうちわずか3人で「これは大変だと思いました」。
「最賃だけでなく春季生活闘争での賃上げも着実に実現させ、働きやすい労働環境も整えて、『選ばれる企業』を増やさなければいけません」
一般的に「ワーキングプア」は年収200万円以下の層とされるが「物価が上昇する中、年収が200万円を超えていても、生活には到底足りないという家庭が増えているのではないか」とも話す。来年の最賃の協議では、パートで働くシングルマザーなどを参考人として招き、厳しい生活実態を公労使で共有するといった試みもしていきたいという。
「大事なのは、労働者が普段の生活で豊かさを実感できる賃上げを実現させることです。連合岩手もそこに向けて取り組んでいきますし、連合本部からも引き続き、地域格差を解消するという力強いメッセージを発信してもらえることを期待しています」
[1] 労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針(内閣府・公正取引委員会、2023)
https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/romuhitenka.html
(執筆:有馬知子)