謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
「奇跡の9連休」と言われたこの年末年始。2年越しに積み上がっている資料類を整理した上で、取り置きしておいた本をゆっくり読もう、という計画を立てていた。
子どもの頃は、大の“本好き”だった。小学校の図書室の本を読み尽くし、友だちの家に行っては、そこにある本を読み尽くし、中学に入る頃にはまちに1軒しかない本屋に入り浸っていた。
しかし、大人になり、編集の仕事をするようになってからは、日々、仕事に関する本や資料を読むだけで精いっぱい。それでも、面白そうな本が発行されると、つい買ってしまう…。そんなわけで、本棚にもタブレットのライブラリにも、取り置きした本が折り重なっている状態だった。
今回のコラムは、久々の「読書の時間」について書けば「一石二鳥」だと思っていたのだが、資料整理に想定以上の時間がかかった上、埃にまみれて風邪をひき2日ほどダウン。気づいたら、ゆっくり読書を楽しむ時間は残されていない。取り置きした本を速読して仕事モードへ…。
一大決心をしてネイルサロンへ

1冊目は、三浦しをんさんの『ゆびさきに魔法』(文藝春秋、2024年)。人情あふれる商店街でネイルサロンを営むネイリストとそこに飛び込んできた新人ネイリストとの化学反応が描かれていくお仕事小説だ。
実は、私も半年ほど前からネイルの施術を受けている。若い頃は、基本、爪は短く切りそろえていた。伸ばしてマニキュアを塗ると、爪が呼吸できなくなる感覚があり、キーボードが打ちにくくなる気がしたからだ。その後、あちこちにネイルサロンができ始めたが、それは富裕層の嗜みであり、家事や仕事で手指を酷使する自分には縁のない世界だと思い込んでいた。
ところが、である。3年ほど前から、爪が割れたり、タテ筋が入ったり、ササクレたりするようになった。たんぱく質やカルシウムを努めて摂取したり、保護クリームや強化マニキュアを塗ったりしたが、芳しい効果は出ない。
そんな時、偶然、爪が割れて困っていた農家の男性がジェルネイルの施術を受け、痛みや不快感から解放されたという記事を目にした。ちょうど買ったばかりの、それなりに高価なサマーニットをギザギザの爪で引っかけてしまったところだった。もはやネイルサロンに行くしかない、と一大決心をしたのである。
初めての施術で感激したのは、あちこちに引っかかって困っていたササクレを取り除き、ギザギザを補修してくれたことだ。その上に淡いピンクベージュのジェルを塗ってもらったら見違えるようにキレイになった。ニットを触っても引っかからない。
その後、いくつかのサロンをお試しして、今は、行きつけの美容師さんに紹介してもらった腕のいいネイリストさんのところに毎月通っている。
やってみてわかったのは、効能は爪の保護だけではないことだ。頻繁に目に入る自分のゆびさきがキレイだと、それだけで気分が上がる。ご案内の通り、還暦を過ぎて、鏡をのぞいても、手足を見ても、シワだの、たるみだの、カサつきだのが目に付いてため息が出る。でも、ネイルを施せば、そこだけは煌めいている。まさに『ゆびさきに魔法』である。
本の主人公は「化粧やおしゃれは、他者、特に異性の目を意識してするものにちがいないという考えは、浅薄だし腹立たしいかぎりだ」と思っている。同感だ。「赤ん坊がいるのにネイルしたら、『母親失格だ、そんな爪でちゃんと世話できるのか』と思われるんじゃないかと」という人のために託児コーナーをつくったり、被災地や高齢者施設でボランティアしたりする話も盛り込まれている。個人事業主(フリーランス)としての苦労も垣間見える。
10年近く前の話になるが、亡き母が長期入院していた時、妹が時々マニキュアを塗ってあげていた。私は「病室でそんなこと…」と思ったが、母は自分のゆびさきを眺めてうれしかったに違いないと、今は思う。
三浦しをんさんは、お仕事小説の名手で、働く文化ネットの労働映画百選の『WOOD JOB! 神去なあなあ日常』の原作なども書かれているのだが、私の最初の出会いは、2000年代に週刊誌で連載されていた抱腹絶倒系エッセイだった。毎週楽しみにしていたが、ある時、小説の登場人物の名前に関する話の中で「鷲尾悦也」という名前が妄想をかき立ててくれると絶賛されていたことを今も覚えている。ちなみに「鷲尾悦也」は第3代連合会長である。
半世紀前のリプロダクティブ・ヘルス/ライツ

2冊目は、桐野夏生さんの『オパールの炎』(中央公論新社、2024年)。1970年代の「ウーマンリブ」運動を知る世代は限られているが、その中でも過激な行動を展開した「中ピ連」の榎美沙子代表をモデルにしたノンフィクション風仕立ての小説だ。
小学生の頃、『3時のあなた』というワイドショーがあって、ピンクのヘルメットをかぶった「中ピ連」がよく登場していた。1972年に設立された団体の正式名は「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」。当時、その主張はよくわからなかったが、榎代表の姿はうっすら記憶にある。
「中ピ連」は、不貞を働いた男性への抗議行動や選挙活動でも注目されたが、運動は迷走し、1980年代には表舞台から消えていた。私も、「中ピ連」は女性運動への偏見を強めたと思っていた。
ところが、この本を読んで、榎美沙子さんは「先駆者」であり、それゆえものすごい向かい風にさらされたのだと理解した。1945年生まれで、京都大学薬学部卒のリケジョだった榎さんは、海外で普及している低用量ピルが日本では認可されず、しかも経済的理由での中絶を禁止する優生保護法「改悪」の動きがあることに強い危機感を抱き、「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する」運動を起こしたのだ。
1948年に成立した優生保護法は、障がいのある命を「不良な子孫」とみなし、その出生防止を目的に同意なき不妊手術(優生手術)の実施を定めるとともに、戦後の人口急増に対応して経済的理由での人工妊娠中絶を認めるという法律だった(1996年に優生思想に基づく規定が削除され、母体保護法に改称)。
旧優生保護法に基づく不妊手術をめぐっては、全国各地で国家賠償請求を求める裁判が起こされ、2024年7月、最高裁が「旧優生保護法は憲法違反」との判断を示したことが記憶に新しいが、1970年代から80年代にかけては経済的理由による中絶を禁止しようという動きがあったのだ。
大学のサークル「婦人問題研究会」には、当時の女性団体が作成した「産む・産まないは女性(わたし)が決める」というポスターが貼られていた。私たちは、女性だけで決めていいのか、パートナーと一緒に決めるべきではないか、すべての命は尊重されるべきではないか、真剣に議論した。そして、「産む・産まない」は、最終的に妊娠・出産を引き受ける女性が決めるしかないのではないかという結論に達した。
それから10年くらいして、国際人口開発会議で「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」という概念が提起され、「私のからだは私のもの」「産む・産まないは女性の自己決定」という意味だと聞いて、これだ!と納得した。
榎さんは自己決定ができるようピルの認可を強く求めたのだが、それが日本で実現したのは1999年のこと。季刊RENGO2024夏号では、「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」をテーマに芳野友子会長と宋美玄医師の対談が行われたが、宋先生は「日本では、『女性の性的行動が奔放になる』という理由で低用量ピルの認可に40年もかかりました」と語っている。
もう1つ、榎さんが告発していた性をめぐるダブルスタンダードは、今も根強く残っている。性被害を受けた側は「魂の殺人」に等しい苦痛を抱え続けていることに目を背け、「性加害ごときで将来有望な人材の前途を閉ざすな」とする風潮だ。
著者の桐野夏生さんは、毎日新聞(2024年7月3日)のインタビューで「今回作品を書いたことで、榎さんのやってきたことの意味を再認識できました」と語っているが、その存在を掘り起こしてくれたことに心から感謝したい。
最近の芸能界の性加害事件や就活セクハラに心底怒っているZ女子に榎さんの話をしたら、「そんな人いたの? ステキ!」と目を輝かせていた。
3冊目は話題の『国民健康保険料が高すぎる!』(笹井恵里子著、中公新書ラクレ、2024年)を取り上げようと思ったのだが、字数が尽きた。これはまた次の機会に…。
★落合けい(おちあい けい)
元「月刊連合」編集者、現「季刊RENGO」編集者
大学卒業後、会社勤めを経て地域ユニオンの相談員に。担当した倒産争議を支援してくれたベテランオルガナイザーと、当時の月刊連合編集長が知り合いだったというご縁で編集スタッフとなる。
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※季刊RENGO2024夏号