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ユニオンヒストリー

[4]労働時間法制
世論とともに押し返した
ホワイトカラー・イグゼンプション

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前回は、解雇権濫用法理の法制化から労働契約法制定に至る経過を追いかけた。
それと並んで、激しい攻防が繰り広げられたのが、労働時間法制の課題だ。規制緩和推進の立場から、「労働時間の弾力化、労働時間規制の適用除外拡大」が繰り返し提起され、それに対し、連合は長時間・過重労働是正のための規制強化を求めていく。
特に2006年のホワイトカラー・イグゼンプション※導入をめぐっては、世論を巻き込んでの反対運動が展開された。今回も長谷川裕子元連合総合労働局長の証言を交えながら、その歴史をたどってみよう。

『月刊連合』2006年7月号

めざせ!1800時間

「月刊連合」2006年7月号の特集のキーワードは、「ホワイトカラー・イグゼンプション」。「残業代なんて払わない制度が、がぜん現実味を帯びてきた。勝負は、この半年!」という見出しの後に、この年の6月、労働政策審議会・労働条件分科会の「中間まとめ」素案に「自律的労働時間制度新設」が盛り込まれたことが伝えられている。

なぜ、ホワイトカラー・イグゼンプションなのか。その源流は「時短」だった。
1980年代半ば、国際的な経済摩擦を背景に「労働時間短縮」が日本の重要な政策課題となった。プラザ合意による急激な円高で日本の賃金は世界トップに躍り出たが、当時の年間総実労働時間は約2150時間。欧米諸国から「働き過ぎの日本人」と強い批判を浴び、内需拡大を柱とする経済構造改革を迫られた。

「国際協調のための経済構造調整研究会」(座長・前川春雄日銀総裁/首相の私的諮問機関)が設置され、1986年に「欧米先進国並みの年間総労働時間の実現と週休2日制の早期完全実施」を求める報告書(前川レポート)を提出。経済審議会からも同様の建議(新前川レポート)が出され、政府は1987年、「2000年に向けてできるだけ早期に1800時間程度をめざす」という目標を設定。その後も様々な計画に「1800時間」が盛り込まれていくこととなった。

同年、民間連合が発足し、1989年11月には官民統一の連合が結成された。
連合は、「ゆとり・豊かさ・社会的公正」を掲げ、経済大国にふさわしい賃金・労働条件の実現に向けて、「労働時間短縮」を最重要課題の1つに位置づけた。総合労働局に「時短センター」を設置し、「めざせ1800時間」をスローガンに、週40時間制の早期実施、時間外割増率の引き上げ、有給休暇取得率の向上などに取り組んでいった。

連合統一大会(1989年11月)

労働時間の弾力化が中心的論点に

さて、国を挙げての時短は、労働時間法制においてどのように進められたのか。
1987年の労働基準法改正では、週40時間制を本則に規定し、当面は週46時間とするという法定労働時間の短縮が行われた。しかし、「時短」は単純な時間短縮だけではなかった。時短を大義名分に「労働時間の弾力化」が打ち出され、変形労働時間制、裁量労働制(専門職)が導入された。

1993年に週40時間制に移行する法改正が成立したが、バブル崩壊で景気は急激に悪化。経営者団体の強い要望で中小企業の猶予措置(週44時間)がとられることになった。
1997年4月に完全週40時間制が実現するが、同年7月、労働省は「規制緩和計画」を受けて裁量労働制の適用拡大(企画業務型)を含めた試案を中央労働基準審議会に提案。以降も、「労働時間の弾力化/労働時間規制の適用除外制度」が様々な形で提起され、労働時間法制の中心的論点となっていったのである。

残業手当の支払いが生じない労働者

なぜ、労働時間規制の適用除外制度が求められたのか。長谷川裕子元連合総合労働局長の話を聞こう。

今、週40時間・週休2日制がすっかり定着していますが、連合結成時の法定労働時間は週48時間でした。連合は、景気が急激に悪化する中でも、「誰でもどこでも週40時間」のキャンペーンを展開し、連合要求実現応援団(代表世話人:角田邦重中央大学教授[当時])の協力も得て、完全実施を勝ち取りました。

でも、その結果、職場では何が起きたのか。働き方改革が進んでいない中で、法定労働時間が短縮された分、残業時間が増えた。企業は、残業手当の支払い増に悲鳴を上げる。そこで出てきたのが、労働時間規制の適用除外。労働基準法には、すでに「管理監督者」の適用除外規定がありましたが、その範囲を広げるだけでは限界がある。残業手当を支払わなくていい労働者をもっと増やしたいと提案されたのが、企画業務型裁量労働制やホワイトカラー・イグゼンプションでした。

連合調査団をアメリカに派遣

2006年4月17日 労働時間規制を問い直すシンポジウム

当時、職場の状況は急激に悪化していた。低賃金で不安定雇用の非正規雇用の労働者が急増。正社員は業務負担が増えて長時間労働を強いられたが、残業時間の上限を設定する企業も多く、サービス残業が蔓延。健康被害や過労死・過労自死が増加し、「ブラック企業」という言葉が広く認知されるようになった。そんな中で、使用者側は適用除外制度を強く求めてくる。連合は、これにどう対応したのか。

連合は、ホワイトカラー・イグゼンプション導入反対を掲げていましたが、それがどういう制度で何が問題なのか、理論的に整理されていなかった。
そこで、2005年に「連合ホワイトカラー・イグゼンプション調査団」をアメリカに派遣したんです。須賀恭孝(すがやすたか)総合労働局長を団長に構成組織の担当者・審議会委員が多数参加。調査を終えて、調査団は「制度が複雑で、日本には向かない」とする報告書をまとめました。
そんな動きの中で、2006年6月、厚生労働省事務局が労働条件分科会に提案した「中間まとめ素案」に「自律的労働時間制度」という項目が入っていた。これがまさに「ホワイトカラー・イグゼンプション」です。
使用者側委員は「成果は労働時間では測れない。時間管理に縛られない裁量度の高い働き方ができれば、より創造的な仕事ができるし、効率よく働けて労働時間短縮にもつながる」と主張。労働側は「断固反対!」を表明。全面対決です。
連合は、アメリカでの調査をもとに、審議会で使用者側の主張を論破していくと同時に、世論に訴えるキャンペーンに全力を挙げました。

2006年10月27日連合東京池袋街宣

メディアが「残業代ゼロ法案」と報じたことで、サービス残業に苦しむ人たちの関心が高まりました。当時、私は、寝ても覚めても、どうすれば世論を動かせるのか、そればかり考えていました。新聞広告もテレビCMも全部やりたいけど、予算は限られている。それで新聞は1社にしぼり、夜の7時台にテレビCMを打った。効果は絶大で、瞬く間に「ホワイトカラー・イグゼンプション」という言葉が認知されていきました。メディアの取材も増えていましたが、男性向け週刊誌から取材依頼があった時、「これは勝てる!」と確信しました。

勝利の原動力となったのは、やはり調査団を派遣したことだと思っています。調査の事前学習でみんな本当によく勉強したし、現地では制度の実態や影響を直接見てきたので、審議会で自信を持って反論し、世の中にもその問題点を説明できた。裁量労働制を導入している構成組織の担当者も調査団に参加し、ホワイトカラー・イグゼンプションは導入困難との判断をされたことも力になりました。だから、調査って必要なんです。実際に見聞きすると、立ち向かう姿勢が違ってくる。

「使い勝手の悪い」制度に

2006年11月10日 労働政策審議会関係、厚生労働省前行動

2007年1月、政府はホワイトカラー・イグゼンプション法案の国会提出見送りを表明。
しかし、その後も同様の適用除外制度が繰り返し提案され、2018年に成立した働き方改革関連法案において、時間外労働の上限規制とともに高度プロフェッショナル制度が導入された。労働組合はワークルールづくりにどう立ち向かえばいいのか。
長谷川元総合労働局長はこう打ち明ける。

「結論ありき」で審議会に法改正の指示が下りてくるから、公労使の合意形成は難しい面がある。それでも、合意できるところは合意し、ここだけは譲れないというところは、労働者側委員の意見として建議に書き込ませ、労働側の意見を明確にしておくこと。
もう1つの方法は「制度導入要件や手続きを厳しく」すること。裁量労働制の拡大も有期雇用の期間延長も、派遣労働の適用拡大も、懸念される問題点を指摘し、厳しい導入要件や手続きを付けてきました。個々の企業は「こんな面倒な制度ならやめておこう」と思う。そうすると、また使用者側が「使い勝手が悪いから見直ししたい」と言ってくるのだけど、心の中で「これらの制度は簡単に導入できるものではない、使い勝手が悪くなるようにしたんだから」と(笑)。高度プロフェッショナル制度だって導入する結果になったけれども、要件や手続きは厳格で相当使い勝手が悪くなっていると思います。理由はこれらの制度は本来必要ではないと労働者は思っているからです。
その上で大事にしてほしいのは、社会への発信。働く現場で今何が起きているのかをいち早く把握し、ワークルールの課題は何かを考える。発信のツールは変わっているかもしれないけど、そういう感覚をつねに研ぎ澄ませて、働く人たちの心に響く発信をしてほしいと願っています。

※現在、ホワイトカラー・エグゼンプションと一般的に表記されていますが、当時の表記でこの記事ではホワイトカラー・イグゼンプションと記載しております。

◆証言
長谷川裕子 元連合総合労働局長
(はせがわ ゆうこ)
宮城県生まれ。1974年郵政省採用。全逓中央本部婦人部長、同中央執行委員を経て、1999年連合本部へ。労働法制局長、雇用法制対策局長、総合労働局長を務める。
2009年連合参与。中央労働委員会委員、労働保険審議会参与等を歴任。

◆参考文献・資料
濱口桂一郎(2018)『日本の労働法政策』労働政策研究・研修機構
中村圭介・連合総合生活開発研究所編(2005)『衰退か再生か—労働組合活性化への道』勁草書房
『日本労働研究雑誌』2008年10月号(労働政策を考える)労働政策研究・研修機構)
『月刊連合』2006年7月号
『月刊連合』2007年2月号
『月刊連合』2007年4月号

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