2016年の18歳選挙権導入に対応して、学校でも模擬投票など政治の仕組みを学ぶ「主権者教育」が本格的に始まった。早い段階から主権者意識を高めることで、若い世代の投票率もアップすると期待されたが、いまだ低い水準で推移している。
日本の主権者教育はどこまで進んだのか。影響力を増す「ネット・SNS選挙」にどう対応すればよいのか。若い世代の投票率アップには何が必要なのか。日本においていち早く「主権者教育」の必要性を説き、「主権者教育推進会議」(文部科学省)の座長も務めた篠原文也氏に話を聞いた。

篠原 文也(しのはら ふみや)
政治解説者・ジャーナリスト、「篠原文也の直撃! ニッポン塾」塾長
早稲田大学政治経済学部卒業後、 日本経済新聞社に入社。 総理大臣官邸、 自民党担当のキャップ、同社政治部次長、テレビ東京解説委員、キャスタ一、 政治解説者として50年以上にわたり政治をウオッチ。「篠原文也の直撃! ニッポン塾」主宰(塾長)。政府の「教育再生懇談会・主権者教育ワーキンググループ」主査、文部科学省「主権者教育推進会議」座長などを務める。 著書に『日本の政治はこう変わる!』 (PHP研究所)、『誰が日本を救うのか』 (到知出版社) 『政界大変動』 (PHP研究所)、『熱論! 政界を再編せよ 偽りの二大政党』(同) など。
若い世代の投票率の低さに問題意識
—「主権者教育」に関わるきっかけは?
2008年、福田康夫内閣が設置した「教育再生懇談会」の委員になり、子どもの携帯電話利用に関するワーキンググループ(WG)の主査を務めた。当時小学生の娘から「携帯を持たせてほしい」と何度も懇願されていて、自身にも切実なテーマだった。WGは「子どもを有害情報から守る」という観点から、機能を極力絞り込んだ機種の開発を提言し、これを受けて開発された機能限定の「子ども用ケイタイ」は瞬く間に普及した。その後、私は、「主権者教育」のWGの主査に就き、「主権者教育」の推進に取り組んだ。「主権者教育」を政府が教育政策の課題に据えたのはこの時が初めてではなかったか。以来、長く主権者教育に関わることになった。
—なぜ、主権者教育を?
日々政治に関わる中で、若い世代の投票率の低さが気掛かりだった。戦後日本の教育は、「自由と権利」は教えてきたが、権利には義務が、自由には責任が伴うことを教えてきたのかという思いがあった。
当時、「主権者教育」という言葉は、ほとんど知られていなかったが、WGとして視察やヒアリング調査を行い、その推進を提言する報告書を2009年にまとめた。ところが、直後に政権交代があって教育再生懇談会は廃止。私は、何とか提言を活かせないかと、当時野党の自民党の谷垣禎一総裁を訪ね、「選挙は選ぶ側と選ばれる側のコラボ」との観点から、提言に盛り込んだ「未来の有権者」向けの「子どもマニフェスト」の作成をお願いした。谷垣氏は快く応じてくれ、2010年の参議院選挙で日本で初めての「子どもマニフェスト」が生まれた。その後、公明党も2012年の衆議院選挙で作成。以来、自民党、公明党は国政選挙のたびに公約を平易な文章に落とし込んだ「子ども向け政策集」を必ずつくってくれており、最近は他の政党にも広がっている。
社会総がかりでの「国民運動」として
—その後、主権者教育推進会議の座長に…。
2016年6月の18歳選挙権スタートを前に、政府は、学習指導要領の見直しやモデル校での実践研究、副教材『私たちが拓く日本の未来』の配布など、主権者教育への取り組みを本格的に始めた。しかし、2016年7月の参議院選挙の18歳投票率は51.28%と5割を超えたものの、翌年の衆議院選挙の19歳投票率は33.25%。諸事情があるにしても低すぎる。私は主権者教育を今一度リセットする必要性を痛感し、文科省も同様の危機感を持って、2018年に経済界、労働界を含む各界の有識者で構成する「主権者教育推進会議」を設置した。
改正教育基本法の教育の目標(第2条)に「…公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う」とあるが、これこそが主権者教育の肝。推進会議は、その認識を共有し、約2年半にわたって「主権者教育先進国」の英独をはじめ、内外の視察・調査、ヒアリング、シンポジウム開催などを精力的に行い、議論に議論を重ねて、2021年に最終報告書を提出した。
—最終報告書のポイントは?
主権者教育の「入口」と「出口」を明確に位置づけた。入口は、「未来の有権者」である子どもたちに社会の動きに関心を持ってもらうこと。防災教育や海事教育、金融教育やワークルール教育も、生徒会活動や児童会も、すべてが社会を考えるきっかけになる。
出口は、意思表示としての投票率と投票の質。入口からの取り組みがしっかり行われれば、質の伴った投票率向上につながる。そのためには、「学校教育」と「家庭教育」を二本柱とし、「学校」、「家庭」、「選ばれる側の政党」が三位一体になり、PTAやNPO、労働組合などの中間団体とも連携して、社会総がかりでの「国民運動」として取り組むことを提言した。「学校教育」では、高校における「公共」科目の導入などが学習指導要領の下ですでに実現しているが、文科省は、最終報告書を受けて主権者教育の「モデル校」の選定も進めており、これをどうヨコ展開するかが今後の課題だ。
—政治的中立性の確保については?
文科省は、18歳選挙権の導入に伴い、教育現場での政治活動を抑制する1969年の通知を見直し、「政治的中立性を確保しつつ、現実の具体的な政治的事象を扱うことや、実践的な教育活動を積極的に行う」とする通知を2015年に発出した。
ところが、学校現場には、この画期的な方針転換が浸透し切れていないところがあった。そこで、最終報告では「主権者教育で扱う社会的な課題や政治的な課題に唯一絶対の正解があるわけでない」としたうえで、「納得解を見いだしながら合意形成を図っていく過程が重要」と提言し、参考にすべき海外の事例も紹介した。
例えば、ドイツでは中立三原則(ボイテルスバッハ・コンセンサス)にもとづき、論争のある課題は論争のあるものとして扱い、教員が自らの意見を押し付けないよう定めている。また、主権者教育用の副教材は連邦政治教育センターが作成し、超党派議員による委員会がチェックしている。その学校現場を視察したが、財政をテーマに「緊縮財政か、積極財政か」のグループに分かれてディベートを実施していた。異なる意見を整理して議論を交わしながら合意形成をはかっていくという「政治」を実践的に学んでいて、大変感銘を受けた。
「現場に神宿る」、子どもたちに原体験を
—これまでの日本の主権者教育の取り組みの評価と課題は?
取り組み始めた頃に比べれば、主権者教育という言葉自体も定着し、投票の質も少しずつ上がっている。課題を挙げるとすれば、主権者教育を担う教員の養成と家庭教育の強化だ。家庭が果たす役割は大きい。
—ご自身で実践されたことは?
弁護士の中坊公平さんが「現場に神宿る」、「現場に宇宙がある」と言ったように、子どもたちに様々な原体験を持たせることが大事だ。そう思って私も小学生の娘を連れて投票所に行ったが、当時は入れてもらえずに押し問答に。そのため、政治家サイドに法改正を働きかけ、2016年から選挙人に同伴する18歳未満の子も投票所に入ることができるようになった。その原体験は、「選挙の投票ってこういうものなのか」と子どもたちの脳裏に焼きつき、将来必ず生きてくるはずだ。子どもの頃の体験はなかなか忘れないものだ。是非、この「子連れ投票」を活用してほしい。
もっとも、親が投票に行こうとしなければこの法改正は何の意味も持たない。私が大学で教えていた頃、投票に行かない学生がいたので、その理由を尋ねたら、「親が投票に行ったのを1回も見たことがないから」と答えた。その意味では、親の意識も問われている。
私は、娘には新聞をできるだけ読ませるようにし、昼や夜のNHKニュース(録画を含む)を極力観るよう促してきた。主権者教育といっても、大上段に構える必要はない。食事をしながらでもいいから、内外の出来事を親子で話し合うことから始めればよいと思う。そのうえで、選挙中、可能であれば候補者の街頭演説を親子で聴きに行ったりすることも有効だ。ネットやSNSの世界から離れて、リアルな現場に触れさせる意義は大きい。
今こそ、オールドメディアの再評価を
—最近の選挙ではSNSやネットメディアの情報が影響力を増しています。
新たなメディアでは、1つの方向へ誘導して偽情報・誤情報を入れこんでいくという憂慮すべき事態も起きている。総務省の調査では、誤情報・偽情報をどうチェックするかとの問いに約半数が「新聞やテレビの報道をみて確認する」と答えている。
私は、今こそ、オールドメディアを再評価すべきだと思う。新聞、雑誌などの活字媒体やテレビは世の中の動きを伝えるだけでなく、それぞれのテーマについて深掘りする。その情報を受けて自分の意見をつくり上げること。クリティカルシンキング。吟味し思考することが主権者教育の中で大事である。特に情報を一覧できる新聞の役割は大きい。各地で「NIE」(教育に新聞を)運動が展開されているが、私はこれを学校現場だけでなく、家庭にまで広げていくべきだと考えている。その意味で一点。政府は教育現場のデジタル化を進め、文科省は「デジタル教科書」の導入にアクセルを踏んでいるが、デジタル化は補助教材にとどめ、教科書はあくまで「紙」を主体にすべきだ。子どもたちが最初に接する教科書が紙でなくなれば、新聞を読もうなどというモチベーションはその後起こりようもない。
—若い世代の投票率を上げるには?
「自分の1票では何も変わらない」という若者は多いが、それでは「観客民主主義」に陥ってしまい、もともと投票率の高い高齢者向けの政策が中心となる「シルバー民主主義」になってしまう。くらしはすべて政治に直結している。その点をしっかり意識させ、地道に主権者教育を進めていくしかないが、それでも投票率が上がらなければ、投票の義務化も将来的に考えていくべきではないか。
オーストラリア、ベルギー、イタリアなどですでに取り入れられているが、それなりの効果を上げている。オーストラリアの直近の選挙では、投票率は90%を超えている。義務であっても、投票に行くとなれば、どの政策を重視するか自分で考える。また、被選挙権年齢の引下げは、地方議員のなり手がいないという事情もあるのだろうが、まずは主権者教育を推進して若い世代の投票率だけでなく、投票の質が伴うようにすること。それからの方がよいと思う。
—連合、労働組合ができることは?
労働界も、主権者教育という社会総がかりの国民運動を担う重要な一翼。中学・高校で十分な主権者教育を受けないまま大学生・社会人になる人も少なくない。連合には地域性もあるのだろうから、そういう若い世代向けのリカレント教育を担ってほしい。 社会は、みんなが互いに関わりながら成り立っている。それを実感できる機会が増えれば、自然に主権者意識が芽生え、投票率も上がる。単に投票に行こうと呼びかけるだけではなく、社会課題を考える機会を提供し、質の高い投票となるように取り組んでほしい。

(執筆:落合けい)