迎賓館赤坂離宮は、紀州徳川家の中屋敷があった場所に、1909(明治42)年に皇太子(後の大正天皇)が居住する東宮御所として建設された。1935(昭和10)年と1940(昭和15)年に来日した満州国の皇帝・愛新覚羅溥儀(中国清朝のラストエンペラー)の宿舎となったこともある。戦後は皇室から国に移管され、国立国会図書館や裁判官弾劾裁判所、1964(昭和39)年の東京オリンピックの組織委員会などに使用された。
迎賓館は、日本で唯一のネオ・バロック様式(19世紀半ばのフランスで始まった様式で、左右対称の外観、豪華絢爛な装飾などが特徴)による宮殿建築で、1969(昭和44)年から5年をかけて国の迎賓施設へと改修され、迎賓館赤坂離宮として現在に至っている。最初の国賓は1974(昭和49)年の米国フォード大統領で、その後、英国エリザベス女王・フィリップ殿下、ブータンのワンチュク国王・王妃など世界各国の国王や大統領などが訪問された。米国大統領はレーガン、ブッシュ(父)、2019(令和元)年のトランプ夫妻が訪れている。また、1986(昭和61)年と1993(平成5)年の先進国首脳会議(サミット)、2003(平成15)年の日本・ASEAN首脳会議などの国際会議にも使用された。
創建から100年を迎えた2009(平成21)年、創建当時の本館や正門、噴水池などが国宝に指定された。西洋宮殿でありながら、屋根には阿吽(あうん)の鎧武者が配置されているのがいい。本館は警備上、入場時に金属探知機検査と手荷物検査があり、館内撮影は禁止されているが、内部は豪華絢爛で圧倒される。お薦めは「花鳥の間」に飾られている四季の草花の中で戯れる鳥を表現した30枚の七宝焼で、一つひとつ時間を忘れて見入ってしまった。

右上:迎賓館赤坂離宮・本館(国宝)と前庭のカフェ
左下:迎賓館赤坂離宮・本館の屋根の鎧武者
右下:迎賓館赤坂離宮・本館裏手の主庭の噴水池(国宝)
港区の東京タワーは、私が生まれる前年の1958(昭和33)年に竣工した電波塔で高さは333mである。それから半世紀を経て2008年に着工され、2012(平成24)年に墨田区に完成した東京スカイツリーは倍近い634mの電波塔となった。今回の散策で初めて訪問してみた。着工当初は世界一高い建造物を目指す計画だったが、2009年に計画を修正し、東京近辺の旧国名である武蔵国(「むさし」のくに)の語呂合わせも考慮して634mとなった。一般公募から「東京スカイツリー」「東京EDOタワー」「ライジングタワー」「みらいタワー」「ゆめみやぐら」「ライジングイーストタワー」の6つが名前の候補として選ばれ、投票の結果、最多得票の東京スカイツリーに決定した。防災の日(9月1日)、東京大空襲(3月10日)、東日本大震災(3月11日)など、特定日にはスペシャルライトアップが行われる。高さ350mの第1展望台の展望デッキにはレストランやショップなども併設され、450mには第2展望台には天望回廊と呼ばれるチューブ型でガラス張りの回廊がある。展望デッキ・天望回廊ともに、そこからの眺めは素晴らしく、2012年の完成時に話題になったことがある。1831年(江戸時代の文政13年/天保元年)頃に、浮世絵師の歌川国芳が描いた『東都三ツ股の図』に、東京スカイツリーの立つのとほぼ同じ位置に東京スカイツリーに似た塔が描かれているという都市伝説だ。何とも摩訶不思議な話である。

右上:東京スカイツリー・第1展望台の展望デッキのガラス床
左下:東京スカイツリー・展望デッキから西の眺望
右下:東京スカイツリー・展望デッキから北の眺望

