2019年に「働き方改革」がスタートしてから5年。それまで歯止めなく残業ができた状況に終止符を打ち、残業時間に上限を設ける労働時間の新ルールができた。しかし、それで十分なのだろうか。労働問題に取り組む弁護士の圷由美子さんは「生活時間」を保障する労働時間のルールを作ることを提案する。圷さんが考える、『働く』も『生きる』も楽しむ労働時間法制とは。
※この記事は2024年10月31日に開催された連合シンポジウム「いま、労働基準関係法制に求められるもの」の講演を編集したものです。
圷 由美子 弁護士(東京駿河台法律事務所)
2000年東京弁護士会登録。
同会 2023 年度役員、(公財)同会育英財団理事など。
担当に日本マクドナルド店長「名ばかり管理職」(管理監督者性)事件など。
「かえせ☆生活時間プロジェクト」発起人(労働法研究者らとともに)。
連合総研「今後の労働時間の在り方を考える調査研究委員会」( 2018-2021 )委員も務めた 。
圷さんは弁護士として、過労死や残業に関する訴訟など手掛ける中で、労働時間問題により力を入れるようになった。同時に2人の子どもを育てる母親でもある。
いわゆる正社員の総実労働時間は、2010年代半ばまで、2000時間超で推移してきた。「働き方改革」やコロナ禍で一時短くなったものの、その後再び増加に転じ、2023年には1962時間と、コロナ禍前の水準に近づきつつある。
「弁護士として実感するのは、労働現場の範囲だけで考えていても、労働時間はそう簡単に縮まるものではないということです。」
圷さんや労働法の研究者らは2015年、働き手のあるべき「生活時間」(休息時間、個人時間、家族時間、地域時間)を出発点に、労働時間ルールを考えようと提起する「かえせ☆生活時間プロジェクト」を立ち上げた。当時は、「時間より賃金優先」との声も聞かれたが、その後のコロナ禍が人の意識を変える「転換点」になったと考えている。「多くの生命が脅かされる中で、自身の生命と改めて向き合い、『働く』も『生きる』も楽しむ生き方をめざしたいと考える人が全世代で増えたと感じています」
変わりつつある「働くこと」の意識
昨今の若者は「タイパ」(タイムパフォーマンスの略称。費やした時間で得られる効果)意識が強まっていると言われるが、大学生を対象とした複数の調査からも、「残業がない職場」でプライベートと仕事をうまく両立しながら楽しく働きたいという傾向がうかがえる。若年層は「生活も働くことも楽しみたい」というマインドに変わっているのだ。
一方、圷さんが企業の人事担当や管理職にこうした調査結果を見せると、「『残業が少ない職場』ではなく『残業がない職場』ですか!?」と衝撃を受けるのだという。管理職はまだまだ、残業も多い従来の無限定な働き方をよしとする価値観から抜け切れていない。価値観のギャップの中、管理職は立場上、部下に残業させないよう自分が残業を引き受け、昨今急激に進化を遂げるハラスメントルールにも気を遣うなど、心身の負担も高まっている。まさに「管理職受難の時代」だと圷さんは言う。
「時代や実態に対応した労働時間ルールを考える時には、若者だけでなく、管理職が長時間労働(場合によっては「隠れ残業」)を強いられていることも無視できません」
女性の就業率が高まって共働きが主流になり、正社員で働き続ける女性たちも増えた。しかし、性別役割分業やその固定観念が根深く残っているため、女性たちが仕事と家事に追われ、睡眠時間などが持てない「時間貧困」の問題も生じている。
さらにコロナ禍によるテレワークの普及は、働く時間と場所の柔軟性を高める一方、家庭に仕事を流入させる結果ももたらした。どこでもいつでも働くことが可能な中で、長時間労働に歯止めを掛けるにはどうしたらよいのだろうか。
健康確保から豊かな生活へ
労働時間法制のステージを上げる
「これまでの『まずは労働、残った分を生活時間に』という発想では、ますます深刻化する人口減少社会には対応できません。睡眠や家庭など、職場以外の各場面で求められる役割の時間から考えて、そこから何時間を労働に充てられるか、というように、ベクトルの向きを転換しなければなりません」
圷さんは「人の生活は1日単位」と言う。そのため労働時間法制のベースを1カ月単位の残業規制とし、最低限の健康確保に努めるという目的を、1日単位の『豊かな生活』を確保することへと、「一段ステージを上げる」ことが重要だという。
一方で、「集中したい時は睡眠時間を削っても働きたい」といった「柔軟な働き方」と呼ばれるニーズに対しては「労働基準法1条2項に着目すべき」と話す。労働基準法1条2項は、「労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない」としている。労働基準法は使用者だけでなく、労働者相互間での不公正な競争をしないよう求めており、労働者の抜け駆け的な働き方を許さない建付けになっている。こうした声を根拠に、労働時間規制を緩和するのは本末転倒、と指摘した。
「長時間労働を抑え『良い職場を作る』という軸は、明確に定める必要があります。個人生活は多様化していて、ルール化は難しいなどとされますが、例えば育児・介護ならお迎え時間以降に働くのは難しいなど、一定の生活パターンもあるので、それに応じたルールの策定は可能です」
18~22時は仕事から離れる
「生活コアタイム」制定を
圷さん自身、結婚当時は「夫も自分も深夜まで働き、一緒にタクシーで帰宅するのも当たり前」だったが、子どもが生まれると生活は一変。夫は相変わらず深夜1時、2時までの残業が続くのに、自分は18時のお迎え時間には、何があろうと必ず保育園にいなければいけない。重要な会議やスキルアップのための勉強会などはたいてい、日中の仕事が一段落した夜18時、19時から開かれ、育児のために参加できない。
「家事育児を一手に負うことで、二者択一、あるいはキャリア形成の機会を奪われる。こうした中、多くの女性が離職したり時短勤務に切り替えたりして、『それならパートね』と非正規に転換される構造があるのでは、という思いに至りました」
圷さんは2020年、連合総研で「生活時間として確保したい時間帯」に関するアンケート調査を行った。その結果、男女ともに遅くとも20時から22時ごろまでを、生活時間として使いたい、という回答が多かった。
「未就学児を抱える男女の差が、顕著に出たのがお迎えと夕食の支度が集中する18-19時の時間帯でした。この時間帯を確保したいと回答した女性は51.6%、男性は27.9%となり、性別役割分担の実態も明らかになりました」
そこで圷さんは、18~22時を「生活コアタイム」と位置づけ、業務から離れるルールを設けてはどうかと提案している。「生活コアタイム」というネーミングによって、その時間帯が生活にとって特別だという共通認識が社会に浸透し、男性も残業の圧力から逃れて帰宅しやすくなると考えたからだ。そうすれば男性も家事育児を担えるようになり、性別役割分業も解消に向かうことが期待できる。何よりも「生活コアタイム」の概念が法律に埋め込まれれば、当事者である働き手と企業だけでなく、日本の労働時間法制にとってのパラダイムシフトになるのでは、圷さんは考えている。
「生活コアタイムの時間帯は、育児だけとは限りません。『Aさんはスキルアップの勉強をしている』『Bさんは介護がある』『Cさんは地域でボランティアをしている』というように、お互いの時間や生活の相互理解、尊重となり、ひいては一定の公平性も担保され、育児ばかり優遇されている、といった不満から起きる不利益取扱いなども生まれづらい風土が醸成されると思います」
仕事以外の社会的役割を果たす
時間の主導権、握ってる?
連合も2018年、労働時間を規制するだけではなく、豊かで社会的責任を果たしうる「生活時間」を1日16時間以上確保すべきだという考えを打ち出している。
圷さんらの提案を実践する企業も現れた。広島県内のある企業では、上記連合総研調査と同様の「生活コアタイム」アンケートを取ったところ、6割がその時間帯の確保を希望。このため始業を8時と8時半のいずれかにスライドすることが選択できる「スライドワーク」を導入し、その分帰宅が早まった結果、「通勤ラッシュを避けられる」「病院が開いているうちに通院できる」など、育児・介護以外にもさまざまな恩恵を受けられたという声が上がったという。この制度なら、「育児が終わった夜に働きたい」という声にも、健康確保の点で問題のある深夜時間帯でなく朝の時間帯を提供することができる。
「生活時間は人を起点とするため、全ての人に認められるべきもの。そのため、対象は育児・介護を担う人に限られず、一般の労働者や管理監督者にとっても大事です。どうすれば管理監督者も生活コアタイムを確保できるか考え、工夫するよう企業に促すことが、管理職を含め誰一人取り残さない持続可能な社会づくりにもつながると考えます」
圷さんは「あなたに『時間主権』はありますか?」と問いかける。
「時間は一人ひとりの人間にとって、生命の一刻であり職場に奪われることがあってはいけない。『今は時間がないが、引退したら楽しむ』ではなく、現役時代も1日1日を豊かに生きられるよう、労働時間のルールを考えていかなければいけないと思います」
(執筆:有馬知子)