連合は外務省との人事交流の一環として、労働組合のメンバーを各国大使館に派遣している。「連合アタッシェ」と呼ばれる派遣員は、海外でどのような役割を果たしているのだろうか。
第7回目は、英国に派遣された早瀧亮さん(三菱電機労働組合から派遣)に話を聞いた。
連合アタッシェとは
連合を通じて労働組合の役職員を、各国の在外公館に派遣する制度で、1981年に創設された。アタッシェ制度は各省庁の職員や民間企業の社員らにも導入されており、該当者は外務省で語学や外交の研修を受けた後、原則3年間の任期で各国に送り出されている。

英語力より「伝える力」を鍛える 家族の渡航準備に妻が奔走
-派遣に至った経緯を教えてください。
単組の支部書記長だった2016年ごろ、連合の機関誌で連合アタッシェの記事を読み、海外で働けるなら挑戦してみたいと思いました。
応募にあたっては国際労働運動に興味を抱き、組合活動発祥の地である英国を第一希望にしたほか、当社最大の製造拠点があるタイ、家族連れで生活しやすそうな米国を志望しました。英国に決まった時は嬉しかったですし、妻も結婚前にミュージカルに関わっていたので、本場に行けるととても喜んでいました。
ただ赴任した時は、3人目の子どもがまだ生後半年くらいだった上、派遣が決まる前に購入したマンションの契約も重なってしまいました。さらに私は一足先に赴任したため、妻は3人の子どもを世話しながら、ローンの手続きにマンションの引き渡し、英国への引っ越しまでこなさなければなりませんでした。しかも引っ越しの時に次女が熱性けいれんで入院し、家を引き払った「宿なし」の身で、入院した次女の看護にも対応しなければなりませんでした。当社の保養所に急遽妻と子ども2人を宿泊させてもらい、妻は、何とか平熱に戻った次女と子どもたちを連れて英国に渡ってきました。一生頭が上がりません。
-赴任前の研修や、現地での生活基盤を整える際のご苦労などはありましたか。
英語に関してはお世辞にも流ちょうとは言えず、自分の持っている力をフル活用して伝えるべき内容を確実に伝え、仕事をやり遂げるにはどうするか、という視点で研修を受けることにしました。当時同じ語学班だったメンバーは英国、米国、ザンビアなどさまざまな国に派遣されましたが、今も固い結束で結ばれています。
専門外の環境領域を担当 組合で培った人間力を活かす
-現地では、どのような仕事をしていましたか。
経済班で気候変動と環境を担当し、英国政府との協議などに取り組みました。外交には、国としてこれ以上は譲れない、という条件(レッドライン)が存在します。気候変動関連の国際会議で決議案をまとめる際などに、英国政府の担当者に日本のレッドラインを説明し、理解と支持を求める、といったことが主なミッションです。このほか「エリア担当」としてスコットランドの経済状況などにも目配りしました。
労働組合出身の私にとって気候変動は専門外で、英国側のベテラン担当者とは知識に雲泥の差があります。また用意した主張を述べることはできても、相手の疑問や反論に「二の矢」を繰り出す知識の蓄積がないことには苦労しました。私の発言によって、日本の姿勢が誤解されてもいけないと思うと、軽々しく意見を言うこともできません。公電などの過去の文書は読み解くのに膨大な時間がかかり、経緯などを把握するのも大変でした。
英語でのやり取りも大変でしたが、事前原稿を入念に準備したり、語学の堪能な外務省アタッシェに同行してもらったりして、必要事項を漏らさず伝えることに努めました。

-仕事の上で心掛けていたことはありますか。
深い専門知識を持つ省庁アタッシェは、私以外にたくさんいます。そんな中で私の役割は、相手に少しでも私という人間や、日本という国に興味を持ってもらい「また会いたい」と思ってもらえる関係を築くことだと考えました。このため、協議でざっくばらんに質問して相手の懐に入ろうとしたり、冒頭にユーモアを交えた話をして場を和ませたりしました。
その結果、気候変動のカウンターパートだけでなく農業関連の担当者や、イギリスのナショナルセンターにあたるTUCの局長などとも人間関係を築くことができました。特に気候変動の担当者は、家族の写真を見せてもらうほど親しくなり、後任者にも紹介して関係を引き継ぎました。人間関係づくりに関しては、労使交渉や組織固めなどで培ったコミュニケーションスキルが生きたと思います。

パパ友のユーモアに学ぶ 「やりたいこと」にフォーカス
-英国ではどのように生活していましたか。
ロンドン北部に、築80年とそこそこ若い(笑)、英国によくある「セミデタッチド」の家を借りました。ただ入居時に約60万円だった家賃が、値上げと円安のために最終的には円換算で70万円を超えるように。家賃以外でも、物価上昇にはかなり苦しい思いをさせられました。
思い出に残っているのは、子どもたちの誕生日や帰国前に、クラスメートたちを家に招いて開いたパーティーです。日本のお祭りをイメージしてうどんやたこ焼き、手巻き寿司などを振る舞い、スーパーボールすくいやお菓子釣り、スイカ割りなどの遊び場も作りました。子どもたちだけでなく、送迎してきた親たちまで居残って大盛況でしたし、現地の人たちが、日本を知るきっかけ作りもできたのではないかと思います。

-現地で得られた学びはありますか。
イギリスでは月曜日と金曜日は在宅勤務に切り替える人が多く、長期休暇も取ります。実労働時間はあまり長くないはずなのに、メリハリの効いた働き方できちんと成果を出す「プロフェッショナル精神」に、感銘を受けました。細部まで完璧に仕上げようとはしませんが、要点を外さず帳尻も合わせてくるのです。日本の職場では時折、緻密さを追求するあまり破たんしそうになっている人を見かけますが、少なくともイギリス人の方が、余裕をもって楽しそうに働いているようでした。
「パパ友」たちとの付き合いを通じて、「真面目なことを面白く語る」ことの大切さにも気づかされました。例えば集まってパブで飲んでいる時に「AIが人間の仕事を奪うのでは」などの真剣なテーマを話していても、最後は「AIが子どもの送迎もやってくれないかなあ」とユーモアを交え、笑いに変えるのです。ネガティブな中にも明るい面を見つけ、笑い飛ばして生きるたくましい姿を学べたことは、貴重な経験でした。
-赴任経験を踏まえて、帰国してから生活や働き方に変化はありましたか。
3年間の生活を通して、英国にはやるべきこと、やりたいことに集中しやすい環境があると感じました。パブでは長居をせず、1時間ほどでさっと帰宅しますし、カフェも夕方には閉まり、寄り道できる店もあまりありません。このため夜は自然と家で過ごすことが多くなり、団らんや読書、趣味など自分の望むことに時間を使います。こうした中で、他の人のやりたいことも「あたり前」のこととして受け入れ、例えば2月に半袖を着ていても、周囲は「着たいんだな」と思うだけです。
私も帰国後、本当にやりたいと思うことに時間を使うようになりました。SNSを見る機会は最低限にして、通勤時は英語の勉強をしています。日本では選択肢や情報が多いがゆえに、いろんなことに目移りして本当にやりたいことを見つけにくかったり、見つけられたとしても、周囲の目を気にして、気持ちを抑えてしまったりしがちです。しかし本当にやりたいことは何かを考え、やってみることが大事だと思います。

(文 有馬知子)
