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日教組が能登半島地震の被災地にボランティア派遣 現地の子どもたちの「今」

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日教組は阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震と大きな災害のたびに独自でボランティアを派遣している。能登半島地震の被災地にも今年7~8月にかけて、組合員を派遣した。丹野久中央執行副委員長とボランティア参加者に、現地の教育現場と子どもたちの「今」を伝えてもらった。

日教組 丹野久 中央執行副委員長

復興進まぬ被災地 教員の仲間がサポートへ

日教組が今回、現地の要請に応じてボランティアを派遣したのは、能登町の小学校と珠洲市の高校だ。小学校には15人が3チームに分かれて順番に現地入りし、高校には学校司書3人が入って、散乱した本の原状復帰と整理などを行った。
丹野さん自身、2月以降何度か被災地を訪れているが「7月に入ってもいたるところにがれきの山が残り、正直に言えば2月とさほど変わったようには見えませんでした」と振り返る。
丹野さんは、東日本大震災時は岩手県の中学校に勤務していた。自身の勤務先は被災を免れたが、学校交流で被災地の中学校の生徒を受け入れた際に、「がれきがないっていいね」と話す子どもたちの姿が強く印象に残ったという。
「その子の言葉がずっと頭に残っていたので、能登の子どもたちが7カ月間、ずっとがれきを見ながら生きてきたと思うと、切ないです」
能登町の小学校は、地震の後しばらくの間避難所として使われており、7月もまだ保育園が間借りしていた。ボランティアたちは猛暑の中、汗だくで教室の床のワックスがけや、汚れた足ふきマットの掃除などに精を出した。
2チーム目は、子どもたちの夏休み中の登校日に合わせて学習や水泳の指導を担い、3チーム目は、主に理科室や保健室などの教材と備品の整備に当たった。
「私たちが行くことで、現地の教職員の負担が少しでも軽くなればと思いました。地元のみなさんも、同じ教職員の仲間が学習や水泳の指導をするということで、安心して任せてもらえたのではないでしょうか」(丹野さん)

「地震を持って帰って」隠れた心の傷が見えた

兵庫県教職員組合(兵庫県教組)の組合員で、小学校の教員をしている足立愛さんと、大阪府教職員組合(大阪教組)の組合員で同じく小学校教員の渡邊千尋さんはともに3日間、学習・水泳指導ボランティアに参加。現地の教職員と一緒に、子どもたちの復習などをサポートした。

足立さんのいる兵庫県教組は、阪神淡路大震災をきっかけに兵庫県教育委員会と共同で「EARTH」という震災・学校支援チームを設けており、災害被災地に組合員を隊員として派遣している。隊員は足立さんの身近にもおり、阪神淡路の震災を知らない若い世代も多数参加しているという。足立さんも「いずれ隊員になりたい」という意思を兵庫県教組の関係者に伝えており、その縁で今回のボランティアにも声が掛かった。
「能登地震の報道が減り、次第に被災地の状況が見えにくくなる中、現状をこの目で見たいという思いがありました」
一方、渡邊さんも報道が減る中で「大変なことが起きたとは分かっていても、関心を維持し続けるのは難しかった」と話す。そこにボランティア募集があったことから「教え子たちにも被災地で見たものを伝えて、一緒に考えたい」という思いで手を上げた。
足立さんが活動で印象に残ったのは、最終日に高学年の生徒5、6人と話した時のことだ。兵庫に帰るという足立さんに、子どもたちは「能登のお土産といえば魚だよね」などと話していた。
そんな時、1人がぽつりと「地震を持って帰ってほしい」と言った。それを聞いた子どもたちも、堰を切ったように「輪島のおばあちゃんの家で地震に遭って、すごく怖かった」といった体験を話し始めたのだという。
「一見元気そうに見えても、ひとつ地震というワードが出ると一気に体験を語りだし、被災の傷はまだ心の中にあることがうかがえました。これからも息の長いケアが必要だと感じました」
また丹野さん同様、足立さん、渡邊さんも復興が進んでいないことに衝撃を受けた。
渡邊さんは「倒れたビルが放置され、輪島の朝市も焼け跡のまま。私にとっては異様な光景でしたが、その脇を自動車や子どもたちが当たり前のように通っていました。地元の人は感覚を麻痺させなければ、日常生活を維持できなかったのかもしれません」と語った。

子どもたちに何を教えるか 備えだけでなく発災後の対応も

渡邊さんは夏休み明け、授業で子どもたちに能登の写真を見せ、被災地での経験を話した。
「朝市の写真を見た子どもからは、悲鳴のような声も上がりました。ただ建物が倒壊した写真はあまりにも現実味がないせいか、好奇の目で見る子もいたように思います」
その後子どもたちは、地元に土砂災害のリスクがあることから、地震と土砂災害の関連や、ライフラインが止まったらどうするか、といったことを調べた。「みんなにも注意を呼び掛けたい」という声が上がり、学んだ内容をポスターや手紙などにして、全学年に伝えようともしている。
渡邊さんはボランティアを終えて、「被災前の備えだけでなく、被災後を生き抜く術も教える必要があるのではないか」とも考えるようになった。
「能登の様子を見て、仮に南海トラフ地震が現実に起きても、復興は思うように進まないのではないかという不安が募りました。子どもたちにも『助けを待っているだけでは生きていかれへん』と伝え、被災したらどうするか、自分で考えられるようになってほしい」
一方、足立さんも、始業式に校長を通じて写真を子どもたちに見せ、能登の様子を伝えた。しかし地震に対する危機意識や備えは、家庭によって温度差があると感じている。
「8月に『南海トラフ地震臨時情報』が発令された時も、避難経路や家族との連絡方法を家庭で確認したという子もいれば、『家が断水しても、学校の水道は出るやろ?』と言う子もいました。子どもたちには『学んだ内容を、おうちの人にも伝えて』と話しています」

被災地に豪雨が追い打ち 地域に寄り添うレガシーを守る

足立さんはボランティアについて「現地の人は厳しい現実に直面しているのに誰もが温かく迎えてくれて、かえって気を遣ってもらいました。『受け入れて頂いて、ありがとうございます』という感謝の気持ちです」と話す。
日教組は1993年の北海道南西沖地震を皮切りに、阪神淡路大震災、熊本地震などでもボランティアを派遣している。東日本大震災では発災後数年にわたり、独自で教育復興支援を続けた。
丹野さんは、「日教組には『学校づくりは地域づくり』という理念があります。被災地の教育現場を日教組組合員がサポートすることは、ひいては地域の復興を支えることにもなるはずです」と意義を語る。
また同時に、足立さんや渡邊さんのようなボランティア参加者が、地元に戻って子どもたちへ体験を伝えることも、「地域づくり」の一環だと考えている。子どもたちを通じて住民が災害を「自分ごと」にとらえ、結果として地域の備えが進むことも期待できるからだ。
能登半島では9月、地震に追い打ちを掛けるように豪雨災害が発生した。復旧半ばの土砂崩れ現場や仮設住宅が大きな被害を受け、新たに多くの死傷者も出た。日教組は豪雨災害のヒアリングを行い、必要な支援を被災単組と検討している。
丹野さんは、日教組ボランティアの「強み」について、以下のように話した。
「日教組には活動開始ギリギリに募集を掛けても、ボランティアを集められる組織力がある。また、教育のプロである組合員は、どの地域でも子どもたちの役に立てる。これまで脈々と受け継がれてきた被災地に寄り添う姿勢を『レガシー』として大事にしていきたいです」

(執筆:有馬知子)

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