連合は外務省との人事交流の一環として、労働組合のメンバーを各国大使館に派遣している。「連合アタッシェ」と呼ばれる派遣員は、海外でどのような役割を果たしているのだろうか。
第6回目は、中国に派遣された吉村祥吾さん(三越伊勢丹グループ労働組合から派遣、現在UAゼンセン政策政治局に勤務)に話を聞いた。大使館員として「自分なりの価値を発揮したい」との思いと、幼い子どものいる生活に向き合うことの間で、葛藤する場面もあったという。
連合アタッシェとは
連合を通じて労働組合の役職員を、各国の在外公館に派遣する制度で、1981年に創設された。アタッシェ制度は各省庁の職員や民間企業の社員らにも導入されており、該当者は外務省で語学や外交の研修を受けた後、原則3年の任期で各国に送り出されている。

1歳児連れ家族で赴任 組合との関係構築に尽力
-中国に派遣された経緯を教えてください。
海外という全く異なる環境に身を置くことで、自身の視野や視座を高めたい、という思いを持っていました。ただアタッシェ制度への応募の時期は、ちょうど娘が生まれた直後でした。そこで妻に相談したのですが「(単組から)応募できるという連絡を受けた時、もうあなたの目が輝いていた。家族で一緒に行こう」と、背中を押してくれました。
派遣先については、当社の店舗があるタイと中国を志望しました。それまで英語の勉強を続けていたので、中国に決まった時は勉強の成果が生かせない…と、少し残念な思いもありました。
外務省の研修では、中国への派遣者が集められてレベル別に4クラスに分かれ、語学のレッスンを受けました。中国語は発音が大事とのことで、研修期間中はほとんど「まー(ma)」など四声の発音練習ばかりで、なんて苦行を伴う語学だ・・・と思っていたのを覚えています(本当に発音が大事と分かったのは、ずっと後でした)。
-大使館でのお仕事を教えてください。
中国の日本国大使館は、日本の在外公館の中では世界最大級の規模で、計200人が働いています。全省庁のアタッシェが集まっているため、「ミニ霞が関」とも呼ばれています。私は経済部に配属され、「地域の魅力海外発信支援事業」に携わりました。東日本大震災後の国際的風評被害対策として開始され、輸入規制及び渡航制限の撤廃・緩和の働きかけと併せ、地方の魅力発信、観光促進等を支援する事業です。その事業に、大使公邸で行われるレセプションの場を活用しました。レセプションには日ごろ関わりのある人を約1,000人ご招待しますが、単なる外交交流だけでなく、日本の自治体・企業にブースを出展してもらい、日本をPRしたのです。事業の目的に沿って、多くの中国国民に日本のことを広く知ってもらうため、中国のインフルエンサーを招いて、レセプションのライブ中継も行いました。
自治体や企業への出展依頼は、各産業を担当する省庁アタッシェを通じてやり取りするため、経済部を越えてさまざまな人と関係を築くことができました。

-独自で取り組まれた仕事はありますか。
中国の労働組合のナショナルセンターである、中華全国総工会(以下総工会)との関係構築に取り組んだことです。連合アタッシェとして派遣された以上、労働組合に関して何らかの貢献ができれば、との考えがありました。そこで一緒に仕事をしていた労働アタッシェと相談し、中国大使に頼んで総工会へ表敬訪問をしてもらったのです。日本政府が中国のナショナルセンターを表敬する、という過去にない出来事でした。この訪問以降、UAゼンセンやJILAF(国際労働財団)、8年ぶりの芳野友子連合会長の総工会訪問に同行させてもらい、微力ながら、日中の労働組合の橋渡しする役割を担えたのではないかと思います。
交流を機に、総工会はプラットフォームワーカー(ギグワーカー)の保護に力を入れており、労働者が休憩できる場所の検索や、労働相談などをアプリ上で出来る取り組みを進めていることなどを知りました。こうしたことからも、日中は引き続き互いに交流して学び合う必要性を感じました。

家庭と仕事のバランスに悩む 同僚のアドバイスが救いに
-生活の上でのご苦労はありましたか。
家庭と仕事のバランスを取ることに苦労しました。私はおそらく一生に一度しかない連合アタッシェで、自分なりの価値を発揮し、送り出して頂いた人たちの期待に応えたいという強い思いがありました。とにかく攻めるのみと思い、積極的に会食や会合に出席したり、中国語の語学学校に毎日通ったりしました。ただ思いが先行してしまった面もあり、最初の1年は、常に何かに追われているような感覚でした。
一方で妻も慣れない環境で、幼い子どもを育てることなり、負担をかけてしまった部分があります。家族の体調不良などの事情で、予定していた大事な会食やイベントに出席できない時など、つい余裕を失ってしまうこともありました。赴任中にオンラインで連合アタッシェの中間報告会をした際、他国のアタッシェが途上国支援や国連機関との交渉など、スケールの大きな仕事に奔走する様子に、焦りを覚えたこともあります。
ただこの時期、同じ職場に官民交流で私と同時に着任した同僚が、本当に心の支えになってくれました。彼が私の話を聞き、また「転勤直後で仕事と家庭のバランスが難しい時、とにかく家族との時間を大切にしたら仕事もうまく回り始めた」と自身の経験を話してくれたことで、非常に救われました。
-現地での生活について教えて下さい。
休日は家族と北京の名所に観光に行ったり、同僚家族と食事会をしたりしました。北京は冬、川や池が凍るため、動物の形をしたソリに子どもを乗せて遊んだこともあります。
家族で旅行も楽しみました。休暇は中国人が大移動をするので、国内の観光地は混雑してしまいます。そのため中国を離れて、日本からではなかなか行けないウズベキスタンに行きました。娘が旅行先の日本人家庭の子とすごく仲良くなり、どこでもすぐに友達を作ることの出来る柔軟性に驚かされました。
また北京は在留邦人が少ないこともあり、何かと日本人コミュニティをつくる傾向にありました。大使館の経済部には、外にランチに行く方が集まる「ランチ部」という立派な部活があり(笑)、赴任2年目の途中に部長も拝命しました。こうした多くのコミュニティに所属することで、大使館内外を問わず多くの人と交流できました。バスケットボールやサッカー、草野球のチームを作り、中国政府主催の大会に参加して現地の人と交流したことや、同僚と北京ハーフマラソンに参加したこともいい思い出です。

民間からも政策提言が必要 省庁アタッシェの話に学ぶ
-日中関係が難しい期間もあったと思いますが、実際の生活はいかがでしたか。
大使館の仕事は、地域の魅力発信支援事業のイベントや発信する言葉一つで外交問題になりかねないため、館内でも多くの大使館員の目で確認し、その時々の情勢に合わせた対応が必要でした。一方、街中で出会う中国の方々は子どもに対しては特に優しく、必ずと言っていいほど電車では席を譲ってくれます。政府と人民とでは分けて考えなければいけない事を実感しました。
中国政府の渡航自粛要請などで、足元の訪日中国人は減少していますが、日本を訪れた経験があり、日本について知っている中国人は年々増えています。これは中国人が、日本について理解を深めていることの表れであり、どんなことがあってもお互いに交流を続けないと一方的な物の見方になってしまうのではないかと思います。
-仕事を通じて得たものは何でしょうか。
外交という、一見華やかな活動の裏にはさまざまな方との調整や合意形成、言葉の一つひとつが周囲に及ぼす影響まで考える緻密さが不可欠であることを目の当たりにしました。また、同僚たちから国の政策の決定プロセスの話を聞くことはとても勉強になりました。彼らとの関わりを通じて、産業界にいる我々が、提言という形で政策に関わることの必要性を実感しました。現在勤務しているUAゼンセン政策政治局は、まさに政策決定プロセスに関わる部署なので、連合アタッシェの経験を生かし、送り出してくれた産別と単組、そして業界に恩返しできればと思います。
任期が終わって帰国する時、そのような気づきを与えてくれた同僚はじめ、妻にも多くの人が見送りに来てくれました。家族として幅広い人間関係を築けたことは、大きな財産になりました。
興味がある方は、まずは手を挙げてみることをお勧めします。挑戦すればそれを応援してくれる人、相談に乗ってくれる人は現れます。勇気を出して一歩踏み出してほしいと思います。
(文 有馬知子)
