りきおのオピニオンスタジアム

 
2015年6月15日
第55回将来世代の命がかかっている

~「旧態依然」という言葉のもたらす意味~

 先週金曜日12日の衆議院厚生労働委員会、荒れに荒れたその模様をテレビのニュースでご覧になった方も多くいらっしゃったと思います。
 同じ事象でも取り上げ方によってずいぶんと感じが違ってくるものです。揉み合いの風景を淡々と伝えられるだけでは、「なんだ民主党は」という印象しか残らないことでしょう。
 ましてや、「旧態依然」などという自民党幹部のコメントを中心に取り上げて、そんなトーンをにじませるような画面からは、なぜこんな事態になったのかという疑問を持つきっかけは得られません。「旧態依然」という言葉には、問題の核心から目をそらす効果が隠されているのではないでしょうか。

~曖昧さを残せない時代~

 かつての自民党と社会党によるいわゆる55年体制では、野党が国会で暴れたとしても、おさめどころもちゃんとシナリオに入っていたということは今では周知の事実です。自民党も最後はひどいことにはしないというような、中選挙区制ならではの一種の習わしがそこには存在したと言われています。
 同じ日本人なのだからひどいことにはしないよ、といった、「法律」とは違う「暗黙の前提」だとか「阿吽の呼吸」などというものが幅をきかし得る世界があったように思います。
今私たちが直面しているのはそういった一種のやさしさが、もはや通用しなくなった時代における労働法制や安保法制の国会審議なのです。そこに歯止めのきかない曖昧さを残してしまったら、いったいどういうことになるのでしょうか?  いうならば、人によってあるのかないのかわからないような「経営者の善意」や、総理の資質次第でぶれる恐れのある「政権の理性」に、将来世代の命を預けてしまうということです。
 数の力だけを背景とした横暴な議会運営を、体をはって阻止せんとする議員の方々の思いは、一面的な取り上げ方からは読み取れないものです。

(神津)

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