女性のこころに向き合い27年
考え方の「くせ」を知り、生きづらさを和らげる

精神科医で心療内科医・臨床心理士の矢吹弘子さんは、都内で27年間、女性専門のカウンセリングルーム・メンタルクリニックを運営し、多くの患者の「こころ」の問題に向き合ってきた。さらに連合の機関誌で続けている連載も、このほど40回を超えた。矢吹さんに、日常生活で精神的な「生きづらさ」を感じた時、どのように対応すればいいかを聞いてみた。

矢吹 弘子(やぶき ひろこ)
矢吹女性心身クリニック院長

東邦大学医学部卒業。東邦大学心療内科、東海大学精神科国内留学を経て、米国メニンガークリニック留学。総合病院医長を経て1999年心理療法室開設。2009年人間総合科学大学教授、2010年同大学院教授、2016年矢吹女性心身クリニック開設、2017年東邦大学心療内科客員講師。
日本専門医機構認定精神科専門医、日本心身医学会専門医・同指導医、日本精神分析学会認定精神療法医、日本医師会認定産業医。
主な著書:「内的対象喪失-見えない悲しみをみつめて-」(新興医学出版社2019)、「心身症臨床のまなざし」(同2014)など

「すべき」に固執、人目を気にする 「自分を変えたい」とカウンセリングへ

-なぜ女性専門のメンタルクリニックを開設されたのでしょうか。
開設前は大学病院などでカウンセリングを行っていましたが、患者さんの大半は女性でした。当時は「男性は強くあるべき」といった固定概念が今よりもさらに強く、カウンセリングを受けることをためらう男性が多かったのかもしれません。私自身が女性で、女性の心情の方が理解しやすいと考えたこともあり、女性専門にしました。

医療保険が適用され投薬治療なども行う医療機関は、多くの患者に対応するため診療も短時間になりがちですが、当院は保険診療外のカウンセリングを通じて、時間を掛けて自分の「こころ」と向き合っていきます。患者さんが「自分はこんな経験をしてきたから、こういう考え方をするようになったんだな」と認識できるようになると、対策を講じるヒントが見えてきて、生きづらさが和らぐこともあるのです。

-働く女性の悩みには、どのような内容がありますか。
過重労働のほか、人間関係の問題、コロナ禍などで労働環境が大きく変わった時などに、メンタル不調に陥る女性が見られます。近年は仕事と家庭を両立する女性が増えたため、仕事と家事育児を背負い込んで、精神的に参ってしまうケースもあります。

不調の陰に、「こうすべき」という考えに固執する、他人からどう見えるかを気にし過ぎてしまう、といった考え方の「くせ」が潜んでいることも少なくありません。こうした結果、完璧を求めすぎて自分を追い詰めてしまったり、ミスを指摘されただけで「自分はダメだ」と考え、深く落ち込んでしまったりすることがあります。虐待など過去の逆境体験が、物事のとらえ方に大きく影響していることもあります。

不眠やうつなどの症状は、投薬や休養の効果が期待できます。ただこうした症状の根元に、考え方のくせや心の傷があるのではないか、と気付いた人が「なんとかしたい」「自分を変えたい」と、カウンセリングを希望して来院されることが多いです。

「どうすべきか」の舵取りは本人 カウンセラーは「灯り」

-カウンセリングはどのように進めていくのですか。
最初にこれまでの育ちや暮らし方などを聞き、心の状態に関する「見立て」を伝えて継続的なカウンセリングに入るかを決めてもらいます。
初診の時、メディアの情報などを調べて「私は発達障害だと思う」「愛着障害ではないか」などと話す人もいます。しかし、自己判断が合っているとは限りません。私も先入観を持たずに話を聴きます。

継続的なカウンセリングでは、基本的には話したいことを話してもらいます。最初は「何を話せばいいか分からない」という人も多いですが、なるべく本人に口火を切ってもらいます。こちらから質問すると、その方向に誘導することになり、患者さんが本当に言いたいことから遠ざかってしまう怖れがあるからです。回を重ね、本人が話すことに慣れてくると、当初はできなかった大事な話が出てきて最初の「見立て」が変わることもあります。このため私も最初の見立てに固執せず、柔軟に考えるようにしています。

-カウンセリングにあたって、重視しているのはどのようなことですか。
初期段階で必ず伝えるのが「助言が目的ではない」ということです。私は何かを教えたり答えを出したりするのではなく、「これはこういうことですか?」と話を整理し、道筋を明確にします。カウンセラーは、暗い海に漕ぎ出した船の「灯り」として、周囲を照らすような役割があります。進む方向を決めるのは、あくまで舵を取る患者さん本人です。自分がどうするのかは、自分で決めなければいけません。

逆に言えばカウンセラーも含めた他人が、意図して誰かを変えることは、ほぼ不可能なのです。家族の場合、1人の変化が他の家族に及ぶという相互作用が働くことはあります。しかし、「子どもを変えたい」という理由だけで親が変わろうとしても、上手く行かないことがほとんどです。子どもにどう接するのが適切か、という観点で親が変わろうとすることは意味がありますが、子どもを親の思い通りに変えることはできないのです。

-やりがいを感じるのはどんな時でしょう。
カウンセラーは、他の医師と違って「治す=健康にする」ことを最終的な目標にはしていません。そもそもどういう状態が真に精神の「健康」なのかを定めるのは難しいですし、どんな人も明るい面と暗い面を持ち、バランスを取りながら生活しているからです。

そんな中でやりがいを感じるのは、患者さんの自己理解が深まっていき、以前より生きやすくなっておられることを感じる時です。例えばミスを指摘されるたびに深く落ち込んでいた人が「最近はミスしても、『修正が必要なら直せばいい』と思えるようになり、前ほど落ち込まなくなった」などと話してくれることがあります。周囲からどう思われるかを気にしてばかりいた人が「人は人、自分は自分」と考えて他人と適切な距離を取れるようになるのも、ポジティブな変化です。自分の考えに固執していた人の視野が広がり、考え方が柔軟になるといったことは、大きな成長です。この仕事をしていると「自分を変えたい」という意思さえあれば、年齢に関係なく人は成長すると感じます。

過去を否定せず未来を変える ノートに思いを吐き出すのも一案

-日常生活に困難を感じるほどではないものの「自分を知りたい」と考えた時、最初にできることとしてはどういった選択肢がありますか。
自分がどう考えているのかを知りたいなら、ノートに思いを書き出してみてはどうでしょう。医療的なエビデンスがあるわけではないですが、私自身は理由の分からないモヤモヤを抱えた時など、思いを書いているうちに「ああ、そういうことか」と腑に落ちることが多いです。気持ちを吐き出して書いたものは保管せず、捨ててしまうのが良いでしょう。捨てる前提なら、他人だけでなく「未来の自分」がどう思うかも気にせず、好きなことを書けます。もちろん、あとで読み返して振り返りたいような内容ならば、保管しておいても良いです。

最近は悩み事をAI に相談する人もいます。普段の仕事にAIを活用するのは便利でしょうが、カウンセラー代わりにするのは危ういと感じます。海外ではAIが、自殺志願者に行動を促すような助言をした事例もあると聞きます。AIの提案はネット上の情報を集め、プログラミングに沿って出されたもので、相談者の内部から出た答えではありません。そして提案が望ましくない結果を引き起こしても、AIは責任を取りはしないのです。

-働く人が「治療が必要かもしれない」と考えた時、まず頼れる場所はありますか。
最近は多くの企業が、社外に「EAP(従業員支援プログラム)」を設け、ストレスチェックや短期的なカウンセリング、相談支援などを行っています。社内にカウンセリングセンターを持っている企業もあります。多くの場合、守秘義務があり会社側に相談内容を知られることもありません。話を聴いてほしい、と思う人は制度を調べてみるといいでしょう。

過去の自分を否定することになるのではないか、と考え、自分と向き合うのを怖れる人もいるかもしれません。心理学では「過去と他人は変えられない」と言われます。例えば過去の逆境体験に由来する考え方のくせがあったとしても、それはその時、困難を生き抜くために必要な方策だったのであり、否定する必要はありません。ただその考え方のくせが社会への適応を妨げているなら、今から変えていけばいいのです。

過酷な経験をした人が1人で自分に向き合うのは、つらい作業になることもあります。ですからノートに書くといったことも、無理をしてまで続ける必要はありません。むしろセラピストのような、受容的に話を聴いてくれる存在を相手に、時間をかけて自分を解きほぐしていった方が、苦しみは少ないと思います。

(執筆:有馬知子)

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