[6]最低賃金引き上げ
STOP! THE 格差社会
最低賃金大幅引き上げを最優先課題に
10月といえば、「地域別最低賃金」改定の季節。今年度は、物価上昇への対応が喫緊の課題となる中、引き上げ額は「43円」(全国加重平均)と過去最高となり、加重平均額は「1004円」といよいよ「1000円」を超えた。
連合が「だれでもどこでも時給1000円」のスローガンを掲げたのは、2006年のこと。当時の地域別最低賃金平均額は673円。以来、職場や地域で様々な努力が積み重ねられ、十数年の歳月をかけてひとつの通過点へ到達したことは感慨深い。
そこで「ワークルールと労働組合」シリーズの最後のテーマは「最低賃金」。
労働組合は、どういう背景や問題意識の中で最低賃金の大幅引き上げを求めたのか。
どんな議論や攻防があったのか。その歴史を振り返ってみたい。
※略称一覧
最低賃金:最賃 最低賃金法:最賃法 法定最低賃金:法定最賃
地域別最低賃金:地域別最賃 特定(産業別)最低賃金:特定最賃 企業内最低賃金:企業内最賃
中央最低賃金審議会:中賃(厚生労働省に設置。地域別最賃の改定額などについて審議を行い、目安を提示する)
地方最低賃金審議会:地賃(都道府県労働局に設置。中賃の目安を参考に地域別最賃の引き上げ額を答申する)
成長力底上げ戦略推進円卓会議:円卓会議(2007年3月、政労使が参加する会議として設置)
中賃目安の「14円」が底上げの一歩に
『月刊連合』2007年9月号は、「最賃は中小だけの問題じゃない! 中賃目安の『14円』を底上げの一歩にしなきゃ!」というタイトルで、地域別最賃の引き上げ額の目安を検討する「中賃(中央最低賃金審議会)」の答申内容を伝えている。
記事には「時給14円アップしたって、1日分(8時間)で112円。缶コーヒーも買えないヨ」と嘆く写真が添えられているが、今から思えば、この「14円」は確実に最賃大幅引き上げの重要な一歩となったと言えるだろう。
最低賃金はどこでどう決まる?
当時の動きを振り返る前に、最賃制度の概要をおさらいしておこう。
最低賃金の目的は「労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与すること」(最賃法第1条)。
法定最賃には、セーフティネット機能を重視してすべての労働者を対象に都道府県ごとに設定される「地域別最低賃金」と、公正競争確保の機能を重視して労使の合意にもとづき地域・産業ごとに設定できる「特定(産業別)最低賃金」がある。
地域別最賃の額は、中賃が「金額改定の目安」を示し、それを受けて各都道府県の「地賃(地方最低賃金審議会)」が改定額を答申するという二段階方式。中賃も地賃も、構成は、公益、労働者、使用者の三者同数だ。
ちなみに、労働政策審議会※労働条件分科会にも最低賃金部会が置かれているが、こちらは最賃法など、制度そのものの見直しを審議する場であり、金額決定には関与しない。
中賃の「目安」は、地域の実情を考慮してA・B・Cのランクに分けて示される。今年度は、Aが「41円」、Bが「40円」、Cが「39円」だったが、Cランクを中心に地賃で目安額へ大幅に上乗せされ、全国平均では「43円」の引き上げとなった。
改定額を決める際に考慮されるのは、「地域の労働者の ①生計費、②類似の労働者の賃金(賃金上昇率)、③通常の事業の支払能力、の三要素だ。春季生活闘争の結果も重要な要素として反映される。
日本初の最賃は静岡県缶詰協会の「業者間協定」
目安制度がスタートしたのは1978年だが、そこに至る歴史も少し振り返っておこう。
日本の労働組合が「最低賃金制の確立」を要求したのは、今から100年以上前の1919年。大日本労働総同盟友愛会が、8時間労働制や結社の自由とあわせて方針に掲げたのが始まりだ。またILOでは、1928年に「最低賃金決定制度の創設に関する条約(第26号)」が採択されている。
戦後の労働運動もこれを重要な課題に位置づけた。1947年制定の労働基準法に「最低賃金を定めることができる」という規定(第28条)が入ったが、制度化は難航した。
日本初の最低賃金は、1956年に静岡県缶詰協会が締結した「業者間協定」だった。法定最賃を求める声が高まる中、1959年に最賃法が成立。業者間協定もしくは労働協約による最賃を原則とし、これが困難な場合は審議会で定めるとした。これを受けて、全繊同盟(当時)は、労働協約にもとづく最賃を申請し決定に至っている。
1968年にはILO条約批准に向けて「業者間協定方式を廃止し、審議会方式を拡大する」という最賃法改正が行われたが、その制度設計をめぐっても労使の意見が対立。
労働組合は一貫して全国一律の最低賃金を定めた上で、必要に応じて地域別に上乗せをする仕組みを要求していたが、最終的に、地域別最賃については地賃が審議決定する仕組みを維持しつつ、中賃が全国をランク分けして目安を示すという制度が1978年に導入され、定着していった。
「だれでもどこでも時給1000円」
さて、本題に入ろう。
最低賃金をめぐって、2000年代にどんな動きがあったのか。
2001年4月、小泉純一郎内閣が発足し「聖域なき構造改革」に乗り出した。
雇用・労働分野でも規制緩和・民営化政策が進められ、低賃金で不安定雇用の労働者が急増。2000年代半ばには、非正規雇用の比率が3割を超え、年収200万円以下の「ワーキングプア(働く貧困層)」が1000万人を超えるという事態に。全体の賃金の伸びも抑え込まれ、労働分配率は急激に低下していた。
小泉内閣の5年5ヵ月の間に、「一億総中流社会」と言われた日本は、二極化・格差拡大が進行する「格差社会」へと大きく姿を変えていた。
当時の地域別最賃は、全国平均で673円。週40時間働いても月額11万円程度。先進国で最低の水準であり、地域によっては生活保護の水準以下というショッキングな事実も明らかになった。
連合はこれに強い危機感を持ち、2006年秋に「STOP! THE 格差社会」キャンペーンをスタート。「最賃の大幅引き上げ」を最重要課題の1つに位置づけ、2007春季生活闘争では「だれでもどこでも時給1000円」をスローガンに掲げた。
政府も「格差社会」への対応を迫られることになった。
2006年9月、小泉首相から政権を引き継いだ安倍晋三首相は、目の前に広がる格差社会を無視できず、「再チャレンジ支援」と「成長力底上げ」を重点施策として打ち出した。
こうした中で、「労政審」「円卓会議」「中賃」を舞台とする3つの流れが絡み合って、最賃引き上げが注目されていくことになる。
従来の延長線上ではない底上げを求めた円卓会議
2000年代前半の中賃の「目安」を見ると、「0〜5円」という超低水準。
最賃の決定要素は「生計費」「類似の労働者の賃金」「通常の事業の支払能力」だが、使用者側は一貫して「中小企業に支払い能力はない」と「0円」を主張。そのため目安の決定には、主に「従業員30人未満の企業の賃上げ率」が参考にされてきたが、当時は大手でも「ベアゼロ」という情勢。目安は一桁台の攻防になっていた。
このままでは引き上げは難しい。そこで、最賃法の改正が焦点になっていくのだが、実は労政審では、「規制緩和」という観点からすでに最賃法改正が検討されていた。
地域別最賃が定着する中で、使用者側は「屋上屋を重ねる」と産業別最賃の廃止を強く要求。2004年の「規制改革・民間開放推進3か年計画」に産業別最賃の見直しが盛り込まれ、これを受けて厚労省は「最低賃金制度のあり方に関する研究会」を設置。同研究会は2005年に「地域別最賃は、セーフティネットとしての役割を一層強化する一方、産業別最低賃金は抜本的に見直す」とした上で、「最賃は少なくとも生活保護の水準を下回らないことが必要」とする報告書を提出した。
これを受けて労政審は、生活保護との整合性や罰則強化、産業別最賃の特定最賃への再編などを盛り込んだ答申を行い、2007年3月最賃法改正法案が国会に提出された。
この国会審議において、「どこで最賃の水準の議論をするのか」と野党議員から詰め寄られ、政府が設置したのが「成長力底上げ戦略推進円卓会議」(議長=樋口美雄慶應義塾大学教授[当時])。労働者代表として、髙木剛連合会長、桜田高明サービス・流通連合会長、小出幸男JAM会長が参画した。(肩書きは当時)
円卓会議で使用者代表の一人が「5円では1日働いても40円。タバコ代にもならない。…最賃を上げたらつぶれるという企業は改革の努力をしているのか」と、主に中小零細企業の賃上げを根拠とする従来方式を批判。地方版円卓会議も開催され、中小地場企業からは取引関係の適正化を求める声が相次いだ。
髙木会長は「企業の自助努力だけに頼るのではなく、国もきちんと支援していくべきだ」と訴え、連合として「全国最賃は800円とし、地域最賃は1000円をめざし、段階的に引き上げる。中小企業対策とセットで実施する」という方針を確認した。
2007年7月29日には第21回参議院選挙が予定されていた。
安倍内閣は、格差対策として改正最賃法成立と円卓会議の方針決定をアピールしたかったようだが、改正法案は継続審議となり、円卓会議の結論も持ち越されることに。参院選は与野党が逆転する結果となった。
そういう情勢下で開催された中賃に対し、円卓会議は「従来の延長線上ではない、賃金底上げを求める」という異例の要請を行った。
使用者側はまたもや「0円」を主張したが、労働側は「従来の延長線上ではない」目安に向けて「50円」の要求を掲げて審議に臨み、過去最高の「14円」での決着に持ち込んだ。その経緯を取り上げたのが、冒頭の『月刊連合』2007年9月号の記事だ。
中賃の審議を担当した勝尾文三連合労働条件局長(当時)は「非常に不十分な結果」とコメントしているが、これは紛れもなく大きな一歩になった。
その後、秋の臨時国会で改正最賃法が成立し、2008年6月には円卓会議が基本方針に合意。2009年民主党政権が設置した「雇用戦略対話」においては「できる限り早期に全国最低800円を確保し、景気状況に配慮しつつ、全国平均1000円をめざす」という数値目標が合意された。
連合が当時求めていた「全国一律の最賃を決めて地域別に上乗せする」という制度は実現していないが、地域別最賃が生活保護水準を下回るという実態は2014年までにすべて解消された。この15年、リーマン・ショックやコロナ禍で目安が示されなかった年もあったが、ほぼ二桁台の引き上げが行われ、今年度はとうとう「全国加重平均1000円」を超えた。
もちろんこれはゴールではない。ただ、そこに至るまでには、職場での賃上げや企業内最賃協定締結、地域での世論喚起の行動、審議会での粘り強い交渉という労働組合の努力の積み重ねがあったことを、ぜひ多くの人に知ってほしいと思う。
(終わり)
(執筆:落合けい)
※労働政策審議会:厚生労働省に設置された労働法制・労働政策について審議を行う審議会。現在は7つの分科会(労働条件分科会、安全衛生分科会、職業安定分科会、雇用環境・均等分科会、勤労者生活分科会、人材開発分科会、障害者雇用分科会)と16の部会が置かれている。
〈参考〉RENGO ONLINE ユニオンヒストリー 労働法制の決定プロセスと三者構成原則
守るべきワークルールをつくる公労使三者構成の「審議会」とは?
◆参考文献・資料
濱口桂一郎(2018)『日本の労働法政策』労働政策研究・研修機構
『日本労働研究雑誌』2009年12月号 「最低賃金」
『月刊連合』2005年4月号
『月刊連合』2007年9月号
『月刊連合』2010年8月号
『月刊連合』2010年9月号
『月刊連合』2018年7月号
『月刊連合』2019年5月号
[WEBサイト]
厚生労働省 賃金 (賃金引上げ、労働生産性向上)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/chingin/index.html
厚生労働省 最低賃金特設サイト
https://pc.saiteichingin.info
令和5年度地域別最低賃金改定状況
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/index.html