- (1)1993年6月、衆参両院における「地方分権の推進に関する決議」が可決され、これを契機として地方分権改革の取り組みがスタートした。1995年5月には「地方分権推進法」が成立し、それを受けて発足した地方分権推進委員会の5次にわたる勧告にもとづき、1998年5月に「地方分権推進計画」が閣議決定され、2000年4月に「地方分権推進一括法」が施行された(第一次地方分権改革)。これにより、これまで国と地方を「上下」関係にしていた機関委任事務制度が廃止となり、地方自治体の事務は自治事務と法定受託事務に整理され、法律上は「対等・協力」関係となった。
- (2)2004年から2006年にかけて、税財政制度改革として「国から地方自治体への税源移譲」「国庫補助負担金改革」「地方交付税改革」の3つの改革が一体的に行われたが(三位一体の改革)、地方自治体への権限や税財源の移譲などが十分に進んでいないことなどを受けて、2006年12月に「地方分権改革推進法」が成立し、第二次地方分権改革の取り組みがスタートした。同法にもとづいて発足した地方分権改革推進委員会は、第1次~第4次にわたる勧告を行い、これらを踏まえて「地域の自主性及び自立性を高めるための改革の推進を図るための関係法律の整備に関する法律」(第1次~第4次一括法)が制定され、これまで国が義務づけてきた基準や施策などを、地方自治体が地域特性やニーズに応じて自ら決定し実施できるようになった。
- (3)この間、民主党政権においては、地域主権改革を一丁目一番地の改革課題とした上で、2010年6月に閣議決定した地域主権戦略大綱の中で「日本国憲法の理念の下に、住民に身近な行政は、地方公共団体が自主的かつ総合的に広く担うようにするとともに、地域住民が自らの判断と責任において地域の諸課題に取り組むことができるようにするための改革」と定義し、2011年の第1次一括法、第2次一括法に加え、地方六団体(注1)の念願であった「国と地方の協議に関する法律」を成立させ、国と地方自治体との協議の場が法制化されることになった。その後、第2次安倍政権において第3次一括法(2013年)および第4次一括法(2014年)が成立し、これをもって地方分権改革推進委員会の勧告事項は一通り検討されたとして、第二次地方分権改革は一区切りとなった。
- (4)その一方で、規制緩和や権限移譲は第1次~第4次一括法に盛り込まれた事項のみに限られることや、事務の移譲に見合った税源移譲が行われていない等の課題を踏まえ、今後の地方分権改革を推進する新たな手法として、2014年度から、これまでの委員会勧告方式に代えて、権限移譲や規制緩和を地方から国に対して提案する「地方分権改革に関する提案募集制度」が導入された。その後、各年度における「地方からの提案等に関する対応方針」の閣議決定にもとづき、移譲された事務・権限が円滑に執行できるよう、国は確実な財源措置を含め必要な支援を行うとするとともに、国から地方自治体、都道府県から指定都市への事務・権限の移譲や、地方自治体に対する義務付け・枠付けの見直し等について、関係法律(第5次、第6次、第7次、第8次一括法)の整備が進められ、第198通常国会においては、第9次一括法が審議されている。
- (5)「働くことを軸とする安心社会」の実現に向けては、地方分権改革を進め、地方自治体の機能を高めることは不可欠の課題である。なぜならば、働くことを支える公共サービスは、人々に身近なところで、それぞれのニーズを汲み取りながら設計され、提供される必要があるからである。 国と地方自治体それぞれが分担すべき役割を明確にし、地方自治体の自主性・自立性を高めるとともに、地域住民の意思を反映することで、個性豊かで活力に満ちた地域社会の実現を図るとともに、公平・公正かつ効率的な行政運営を求めながらも、住民のための公共サービスの質を落とすことなく、生存権や生命の安全、ナショナルミニマムの確保を堅持しうるバランスのとれた改革が必要である。
- (6)連合は引き続き、国と地方の役割・権限の見直し、財源保障の充実を通じ、人口減少・少子高齢化に対応する、地域の自主性を尊重した公共サービスの提供ができる体制の拡充を求めていく。
- (注1)地方六団体 ~地方自治体の首長の連合組織である全国知事会・全国市長会・全国町村会の執行3団体と、地方議会の議長の連合組織である全国都道府県議会議長会・全国市議会議長会・全国町村議会議長会の議会3団体を合わせた6つの団体の総称。これらの団体はいずれも地方自治法第263条の3に規定されている全国的連合組織に位置づけられており、地方自治に関する事項について総務大臣を通じて内閣に申し出を行なったり、国会に意見書を提出したりすることができると定められている