「連合アタッシェ」に聞く(インド編)
PDCAの綿密な「P」より、まずは「D」
「やってみる」ことの大事さを学ぶ

連合は外務省との人事交流の一環として、労働組合のメンバーを各国大使館に派遣している。「連合アタッシェ」と呼ばれる派遣員は、海外でどのような役割を果たしているのだろうか。
第5回目は、インドで日系企業支援などを担当していた木谷聡さん(日立システムズ労働組合から派遣)の話を聞いた。

連合アタッシェとは
連合を通じて労働組合の役職員を、各国の在外公館に派遣する制度で、1981年に創設された。アタッシェ制度は各省庁の職員や民間企業の社員らにも導入されており、該当者は外務省で語学や外交の研修を受けた後、原則3年の任期で各国に送り出されている。

日本企業の労働相談に国際機関との窓口、さまざまな業務を担当

-インドに派遣された経緯を教えてください。
職場の労働組合書記長をしていた時、産業別労働組合(電機連合)からアタッシェの募集があり、立候補しました。海外で暮らすことへの不安はありましたが、それよりも「怖いもの見たさ」が勝ったように思います。赴任国に特に大きなこだわりはなかったのですが、12年前に研修で出張し、現地の風景をイメージしやすかったインドを第一希望にしました。研修の時、何冊か本を読んで社会構造などについてもある程度把握してはいたのですが、実際に暮らしてみると、特に生活面で日本とは違うことが多く、慣れるまで時間がかかりました。私にとって初めての海外生活だったこともあるかもしれませんが、出張や旅行と住むことには大きな差があるのだと、経験を通じて学びました。

-赴任されてからは、どのようなお仕事をしましたか。
経済班に配属され、インドに進出している日系企業の進出状況の調査や日本人社員などから寄せられる労働相談の対応、女性のエンパワーメントに取り組む現地のNPO・NGOの情報収集など、さまざまな業務を担当しました。
インドではインド人と人間関係を築き、個人の裁量を発揮してもらったり情報を提供してもらったりすることが欠かせません。NPO やNGOの情報などについても口コミで教えてもらうことがよくありました。このためレセプションやミーティングに顔を出し、ネットワークを作ることも大切でした。
今思い出しても在インド日本大使館の職場は雰囲気が非常に良く、同僚にも恵まれて働きやすかったと思います。日本語を話せる現地職員は大使館内に3人程度で、経済班には配属されていなかったため、会話やメールは英語が基本でした。現地職員の多くが日本語を話せる在外公館も多いようで、この話を他のアタッシェにすると驚かれることもあります。

-印象に残っているお仕事はありますか。
労働相談の内容には、インドでビジネスをする企業の苦労や課題感がうかがえるような内容も多く、勉強になりました。人と人との関係で物事が決まることが多いためか、そこにお金が絡んでトラブルになるケースなども見られました。また日本人の経営層の方から寄せられる悩みを通じて、現地職員のマインドや商習慣を十分に理解することの難しさも感じました。
ただ、寄せられる相談の中には、弁護士事務所や商工会など他の組織に相談しても解決に至らず、最終的に大使館に駆け込んでくるような難題も多く、お役に立てず歯がゆい思いをする場面もありました。

言語も民族も多様なインド 相互理解のため議論を尽くす

-アタッシェ勤務を通じて得た学びや、日本で生かしたいことはありますか。
日本人はPDCAで言う「PLAN(計画)」を緻密に立てようとするあまり、実行に進むまで時間がかかることがあると思います。一方、私の主観ですが、インド人は言うなれば、PをスキップしてDO(実行)から入り、まずやってみて納期までに何とか形にするといったやり方が主流だと感じました。計画をスキップしているように見えますが、頭の中では大まかな計画が立てられ、実行しながらその計画を更新し続けているようにも見えます。インド社会は変化のスピードがとても速いため、計画に時間を使わずに実行に移すことで、社会の流れに遅れないようにしているのかもしれません。
例えば除幕式のようなイベントがあると、式典が始まる数時間前に大工さんが予定地に来て、ゼロから設備を作ろうとする。完全な状態までたどり着けなくても、テープカットはできるようステージを組み上げて細部にはこだわらずに、式典の目的を果たすといったことがしばしば起きます。日本人も計画は大まかに立てる程度にして、不都合が発生したらそのたびに修正すればいい、くらいの意気込みで物事を進めてもいいのかもしれないと思いました。
また、インドで英語を話せる人は国民の一部に限られ、多くの言語や民族が混在しています。一人として同じ考えの人がいないと思えるほど、多様な人々が一緒に働くため、職場で議論を尽くし、互いの考えや価値観をすり合わせている姿が印象的でした。
私も含めて日本人は、自分の意見があっても口に出すことをためらうことがあると思います。しかし実は一人ひとり考えは違うはずなので、もっと互いに意見を出し合い、対話した方がいいという考えが強くなりました。

-インドに赴任して、自分の中に変化はありましたか。
仕事や生活の中で日本の「あたり前」がインドではそうではなく、自分の考える範囲がいかに狭かったか、いかに先入観にとらわれていたかに気付かされました。
例えばインドは貧富の差が大きく、多くの路上生活者がいます。日本では、彼ら彼女らを「支援すべき存在」と見ると思いますが、インドには本人たちのありようを自然な姿として受け入れ、助けが必要であれば求めてくるので、そのときに支援する、という見方も存在します。助けを求めていないのであれば、困っていない、という考え方もあります。どちらが正しいというわけではなく、「ホームレス=救うべき人」という先入観に囚われていた自分に気づかされました。
日本の常識が世界の常識ではないと分かると、ならばインド以外の国はどうなのだろう、という疑問もわき、いろいろと調べるようにもなります。例えば「政教分離」の原則がある日本は、宗教的な要素が政治や国の枠組みに関わることはまれですが、インドでは祝日が宗教と紐づいています。それに気づいて他国を調べてみると、宗教が政治と密接に関係する国は、先進国でもたくさんありました。このように、自分のあたり前を崩すことによって、知識欲も刺激されました。

貢献すべき相手が「組合」から「社会」へ 経験を伝えたい

-インドでの生活はいかがでしたか。
首都であるニューデリーは12月から 2月まで大気汚染が激しく、空気がひどい時は、前を走る車が霞んで見えないほどです。大気汚染が原因かどうかは分かりませんが、私を含め複数の大使館員が、頭痛に悩まされました。自宅では空気清浄機を各部屋に置いていましたが、在留邦人の中には、 1部屋に 2台の空気清浄機を置いている人もいました。
最も苦労したのは食事で、水が合わなかったのか、常にお腹の調子が悪い状態が続きました。不思議なことに、出張や旅行でインド国外に出ると調子が良くなりました。大使館周辺にはレストランが少ないので、最初は昼食時、日本食、韓国料理やイタリアンの宅配を頼んでいたのですが、お弁当を持参するようにしたことで少し良くはなりました。
長めの休みが取れた時は、積極的にインドからの海外旅行に行き、見識を広めました。大使館で勤務する以前はツアー、アクティビティや食文化を重視していたのですが、赴任後は政治や経済の歴史的な建物や人物、伝統文化やサブカルチャーなどにも興味が広がったように感じています。

-帰国した今、アタッシェの経験についてどのように感じていますか。
日本で受け取る海外関連の情報は、積極的に収集せず自然に受け入れている限りでは、日本とかかわりの深いテーマに偏りがちですし、情報量も限られていると思います。アタッシェとしての日々の業務や、外交文書などを通じて多くの情報を得られ、政治、経済、日本とインドの文化などについて学ぶことができました。またさまざまな省庁から来たアタッシェが「日本の役に立とう」という使命感を持って働く姿を間近で見て、彼ら彼女らが国の行政や外交を支えていることが分かり、1人の国民として心強く感じました。また私自身、貢献すべき相手が「労働組合を含む日本の社会」から「日本とインドを含む世界」に変わり、インドで仕事をしながら日本人の役に立つにはどうするかを考える、という貴重な経験ができました。
日本でインドの話をするとさまざまな反応がある一方で、情報の少なさのためか、日本人にとっては気持ちの上でも遠い国だと感じています。アタッシェとして学んだことを伝えたり、組合活動に活かしたりすることで、誰かのお役に立てればと思います。

(文 有馬知子)