連合リーダーの素顔に迫る Season2
第7回 津崎 暁洋 連合副会長・フード連合会長

Season2 第7回は、第19回連合定期大会で副会長に選出された津崎暁洋フード連合会長にインタビュー。戦前からの歴史を受け継ぐキッコーマン労働組合の出身。「誰かが、ではなく全員で。」をスローガンに組織基盤の強化やジェンダー平等参画を推進。フード連合では、加盟組合の8割を占める中小組合の賃上げ交渉を強力にサポート。サッカーをこよなく愛し、現在も地域のクラブチームに所属するユニオンリーダーの熱き「攻めの姿勢」の原動力に迫ります。

津崎 暁洋(つざき あきひろ)連合副会長・フード連合会長
埼玉県出身。2002年キッコーマン株式会社に入社。営業部門、人事(労政、人事企画、採用・教育)部門を経て、2009年キッコーマン労働組合中央執行委員(専従)。中央副書記長、中央書記長を経て、2015年中央執行委員長(兼キッコーマングループ労連会長、フード連合中央執行委員、フード連合副会長)。この間、連合千葉執行委員、連合千葉流通サービス部会長、千葉県労働者福祉協議会理事、野田地区労働者福祉協議会長、中央労金(千葉)運営委員、こくみん共済coop(千葉)代表委員なども兼任。2025年9月フード連合会長、同年10月連合副会長に就任。
青天の霹靂だった人事部・労政副担当への異動
—労働運動に関わるようになったきっかけは?
1978年生まれの就職氷河期世代。就職活動は、圧迫面接含め(笑)厳しいものがあり葛藤も重ねながら、「信じられる大好きな製品によって世の中に貢献したい」という思いから、世界中の人を幸せにできる可能性を秘めた食品業界を志望し、キッコーマンへの入社を決めました。
最初に配属されたのは量販店の営業でした。バイヤーとの商談だけでなく、直接店舗にも足を運び、現場の声を聞きながら醤油やたれなどの販売拡大に取り組みました。入社5年目、営業職として独り立ちできたと思えた頃、人事部へ異動の辞令を受けました。仕事は、社宅や福利厚生の窓口業務に加えて、労政副担当として労働組合への会社提案(元案)を作成することでした。異動初日に上司から「自身の組合員としての立場を大切にしながらも、経営感覚を携えた企画提案をしてほしい」と懐の深い、しかし難しい指示を受けたことが印象に残っています。奇しくも、労政副担当として労働組合と全力で向き合ったことが、労働運動に足を踏み入れるきっかけのひとつになりました。

入社数年後の営業パーソン時代
人事部3年目の2008年、兵庫県にある高砂工場の宿泊型ライフプランセミナーの講師を務めました。55歳前後の組合員を対象に年金や退職金、雇用延長制度などの情報を伝えるという役目を終えて懇親会へ。1次会がお開きとなった直後、「2次会来るよね」とリーダー格のコワモテの組合員に声をかけられました。会場に行き、1つだけ空いていた席に着くと、集まっていた10人ほどの先輩たちから怒濤の質問攻めが始まりました。「何のために人事部に入ったんや?」「野田工場との違いをどう見ているんや?」「将来、どんな会社にしたいんや?」。お酒は強くありませんが、その時は飲んで本音で向き合うしかないと直感的に思い、沢山飲んで自分の思いをすべて伝えきり、その場を終えました。翌朝、コワモテのリーダーが、何も言わずに私を強く抱きしめてくれましたが、なぜ私を質問攻めにしたのかは、わからずじまい。しかし、東京へ向かう帰路、新幹線が三河安城を通過した頃、突然稲妻が走るように「高砂工場の組合員には会社への強い不安があったのだ」と気づきました。実はその数年前、3つあった醤油の製造工場の1つが分社化となり、従業員は、野田工場への異動か、退職して新会社への再就職かの選択を迫られました。そういう中で「高砂工場が2つ目の分社化の対象になるのではないか?」という疑心暗鬼の念が、人事部で働く私に向けられたのだと…。
高砂でのセミナーの数カ月後、人事部内で採用・教育担当に異動となりましたが、その直後、労働組合から中央執行委員(専従)にと熱心なオファーを受けました。採用・教育は予てより熱望していた仕事でしたが、高砂工場の先輩たちの顔が目に浮かび、働く人たちの思いを正面から受けとめたいと組合専従の道を選びました。
この決断にあたっては、キッコーマンが長年築いてきた労使関係を受け継いでいきたいという思いもありました。戦前の1928~29年、野田醤油労働組合は、待遇改善と組合員の解雇撤回を求めて日本最長の218日間のストライキを展開。争議が先鋭化・長期化する中で、協調会が調停に入り解決をみました。その時、社是「産業魂」において、「企業は社会の公器であり消費者や株主のためだけでなく地域や従業員のためにも存在する」「二度とこのような事態を招かないためにも労使双方の立場を尊重し議論を尽くす」という労使の認識合わせもなされ、それが100年にわたって守り続けられてきました。この共通理念は、適切で良好な労使関係の持続とは切っても切り離すことができません。春季生活闘争の時期などには、その歴史や重要性を伝える動画の配信も行ってきました。労使交渉が最も白熱する回答指定日、時間内決着となる年も少なくありませんが、日付を跨いで26時過ぎの妥結となってしまうこともありました(笑)。背中にいる組合員の存在の大きさを実感するとともに、労働組合の尊厳に重きを置くことができる経営陣にも頭が下がります。

野田労働争議の様子と社是「産業魂」
過酷な業務の中で身につけた「突破力」
—人事部から労働組合へ。戸惑いはありませんでしたか?
最初の半年くらいは葛藤がありました。労政副担当として自分が作った「会社提案」が中央執行委員会で議論されたりする。委員長が「なんでこんな提案をするんだろう?」と首をかしげると、私も「そうですよね」と…(笑)。
1期目は、工場支部を担当し職場での意見交換に力を入れるとともに、教育広報、組織対策、春季生活闘争、政治などを担当。加えて諸事情から急遽、関連団体の役員も引き受けることに。千葉フード連合、連合千葉野田流山地域協議会、野田労福協の3つの事務局を担いつつ、単組の業務にも対応する。寝る間も惜しんで働きましたが、生まれたばかりの長男をお風呂に入れながら、寝落ちしそうになったこともあったほど、ハードな日々でした。でも、「つらかった」というだけで終わりたくない。人間、本当に時間がない時は、どう仕事をやりくりするかを必死で考えます。私も意思決定権者と直談判したり、(メールに偏らずに)対面や電話による短時間でのコンセンサスを積み上げたりするなど様々な工夫をしました。ここでの、前例にとらわれないチャレンジの数々は、業務効率化や生産性向上にもつながり、結果として「突破力」を身に付けさせていただいたように思います。
「なんでもっと早く相談してくれなかったんだ」
—その後、副書記長、書記長を務めた後、2015年に中央執行委員長に。「史上最年少」の委員長として取り組んだことは?
私が委員長になって執行部は一気に若年化しました。現場組合員との距離は縮まりましたが、労使交渉では緊張を強いられる場面も。今思えば、会社側の「愛の鞭」だったのかもしれません。
まず取り組んだのは、組合費引き上げ。書記長時代、組合員の自然減による財政悪化に伴い、5名の専従役員を4名に減員する数年前の決定が施行に移されました。ただでさえ、私を含め3人で実務をまわす難しさに直面するなか、距離が縮まった組合員とのより細やかな接点活動も求められ、公表できないほどの時間外労働で東奔西走する日々。委員長就任直後は、私も実務を分担しつつ、組合員セミナーの開催頻度の見直しや、機関誌の発行回数を減らすなど「ちりつも」にも取り組みましたが焼け石に水。専従者は極限状態となり、組合費を値上げしてでも専従5人体制に戻したいと考えるに至りました。定期大会に向けた職場オルグで増員を提案したところ、反対されると思いきや、多くの組合員から「現状の組合課題を前向きに突破していくためには、組合員全員の覚悟と決断が必要」「専従者が頑張ってくれているのはわかっている。なんでもっと早く相談してくれなかったんだ」。全会一致で議案が可決された時は、涙がこぼれるほど嬉しかったです。
また、ジェンダー平等参画にも取り組み、中央執行委員13名中5名前後を女性(うち専従者5名中2名前後を女性)役員が担う体制を維持してきました。女性組合員に話を聞くと、組合活動に参画したい気持ちはあるが、「任期中に産休・育休を取得すると、他の役員に大きな負担をかけることになる」との不安があることが分かりました。そこで専従者が産休・育休を取得する際には、新たな専従者を代替配置する運用の導入や、育児短時間制度利用者が非専従役員を担えるよう中央執行委員会における協議時間を前倒しするなどの見直しを進めました。実感として、女性役員が増えると性別や年齢にかかわらず発言が活性化し、着想も拡がります。論議の深まりは幅広に会社制度の改編を進めることに繋がり、時間単位年休制度や配偶者帯同休職制度、勤務間インターバル制度に加え、同性パートナーを配偶者に準じて扱う制度などの導入も実現することができました。
65歳定年制の導入も実現しました。再雇用によるシニア社員制度が運用されていましたが、「現役時代と同じ仕事・役割なのに処遇が大幅に低下する」という不満の声が上がっていました。そこで組合は2018年に「60歳以降の雇用に関する委員会(=労働組合独自の委員会)」を設置し、近い将来、会社提案があった場合、(会社提案がなく)組合要求する場合、どちらの状況にも対応できるよう、現場の声や他社事例を共有し先んじて議論を深めておく戦略を採りました。その後、会社から提案がなされたわけですが、前段の議論の効果もあり、2020年に労使合意に至りました。2025春季生活闘争では、近年の物価上昇を反映させた退職金の引き上げも要求し、その方向性について労使合意がなされました。
「誰かが、ではなく全員で。」
—16年間の単組役員時代を振り返って思うことは?
失われた30年とその後の物価上昇局面を、現場の最前線で体験できたことは貴重な巡り合わせでした。2000年代の春季生活闘争はベースアップゼロが当たり前で福利厚生の改善も至難の業。分社化をはじめとする経営基盤強化策や、労働安全衛生、ハラスメント対応など、「ゼロをマイナスにさせないこと」の大切さや難しさを痛感する日々の中で、「もしも労働組合がなくなったら、○○ができなくなることがある」という視点も大切だと気づかされました。
組合創立70周年記念事業の一つとして2017年にはユニオン・スローガンを公募し、組合員投票で「誰かが、ではなく全員で。」に決定。ここ数年、物価上昇と賃上げの好循環をノルムとして定着させるべく運動を進めてこられたのは、スローガン通り、交渉結果の責任を自分事化できる職場のリーダーが増えてきたからだと実感しています。また、このスローガンが生まれて間もない頃だったと思いますが、当時の野田工場支部の書記長(現中央執行委員長)の働きかけで「現場の組合員全員の想いを執行部に届けて、春闘交渉を背中からサポートしよう」と(昔やっていた)檄布の取り組みが華々しく再開されたことも思い出深いです。最終的には、6支部全ての取り組みに発展し、毎年1,000人近い組合員の氏名やメッセージが敷き詰められた壁一面の檄布に囲まれて、春闘のヤマ場の交渉に尽力する中央執行部の緊張感はかなり独特だと思います(笑)。

左上:全国の職場から寄せられた檄布 中央下:執行部、春闘勝利に向けて! 右上:檄布に囲まれた中央闘争委員会
地域における社会貢献活動も忘れられません。コロナ禍真っ只中、組織内議員(野田市議)から「休業を余儀なくされた市民から市役所に支援を求める電話が相次いでいるようだ」と連絡がありました。「何かできることはないか」と考え、直ぐに野田市長と対談の場を持ちました。市長室で話し合ったのは、野田市が把握している市民の困窮状況、そして、地域に根差した食品企業労組としてサポートできる可能性の範囲についてでした。数日後、野田市より生活困窮者に対する食料支援の正式要請がなされました。間髪入れず、野田労福協の幹事会を開催し、加盟組合の総意としてカンパ金の拠出を行うことに加え、三組織(敷島製パン労組利根支部、雪印メグミルク労組野田工場支部、キッコーマン労組)の製品提供による子どもたちへの食料支援についてもスピーディーな意思決定がなされました。おそらく、日頃から地域での様々な連携関係が築かれていなければ、実現できなかった取り組みだったと考えています。
最後に、単組が、組合員の関心や関与の向上に資する様々な取り組みの定点観測として活用してきたのが、組合員意識実態調査「ON-I-ON2」(※調査機関:国際経済労働研究所)です。直近の調査では「(組合員の)組合関与部門」の全体ランキングにおいて、前回調査時(5年前)のトップ10圏外から第4位にまで急上昇。この劇的な数値改善は、この間、組合員が一丸となって挑んできた各種取り組みの有効性を示唆するとともに、組合員の更なる関心・関与向上に向けた再スタートの合図でもあります。現執行部におかれても、今を生きる組合員たちとの最適解に向けて、「誰かが、ではなく全員で」 挑戦を続けてもらいたいと思います。
ボスではなくリーダーであれ
—ユニオンリーダーとして心がけてきたことは?
「ボスではなくリーダーであれ」というセルフリッジス(Selfridges/イギリスの老舗百貨店創業者)氏が提唱したリーダーシップを心がけています。ボスは権威に頼るがリーダーは心に頼る、ボスは部下を追い立てるがリーダーは部下を導くという言葉に感銘を受け、①命令より対話を増やす、②部下の失敗を責めるより改善策を一緒に考える、③成果だけでなく成長を支援する、④ 「私」ではなく「私たち」の視点で組織をまとめる、⑤自ら率先して行動し、背中で示す、ということを実践してきました。これは、労働組合や労働組合役員の信頼を高めることにもつながると思っています。
ボスとリーダーの違い-884x599.jpg)
—2025年にフード連合会長に就任されました。
40代で産別のトップというのは「早すぎる」との思いもありましたが、委員長として10年一区切り、ともに成長してきた単組の組合役員の仲間たちに後を託すこととし、会長就任を決断しました。2026春季生活闘争では、大手と中小の賃金格差を縮小させることができました。その原動力は、個々の単組での労使交渉。経営側は、現場の声をもっと知りたいと考えるなか、人材確保に向けたメッセージの発信が重要だという認識が労使で共有されたことも、結果につながったと評価しています。しかし、格差を縮小できたとはいえ、依然として格差が生じていることには変わりありません。物価上昇と賃上げの両立を確かなものにすべく、300組合中8割以上が中小労組であるからこそ求められる労働運動をフード連合の仲間とともに突き詰めていきたいと思います。産別としてのチャレンジは春闘に限りません。組織拡大、組織強化、産業政策、ジェンダー平等・多様性、労働者自主福祉運動、国際労働運動…、多くのキーワードに向けて、12万人の組合員が一丸となって取り組んでいくことができるよう運動推進の旗振り役を務めてまいります。



左上:フード連合BBQ大会(千葉地区) 右上:フード連合ガーナスタディツアー
中央下:フード連合職員一同、一丸となって頑張ります!
—労働運動のなかで大きな転機となった出来事は?
2019年、連合・教育文化協会が主催する「私の提言」(第16回)に応募し、佳作賞を受賞しました。タイトルは「『現代型労働組合活動』のすゝめ~誰かが、ではなく全員で~」。苦楽を共にした単組の仲間たちとのハイライトを言葉に残したいという思いから一気に書き上げたものですが、受賞の影響は大きく、連合寄付講座、生産性本部や地方連合会などから講演のオファーをいただくようになりました。2026年夏には、母校である中央大学で「産別における春闘」をテーマに寄付講座への出講を予定しています。
サッカーのポジションはフォワードだけど…
—休日の過ごし方は?
幼稚園でサッカーを始め、小中高に続き、大学でも同好会で活動。卒業後もクラブチームなどに所属し、入社3年目くらいまでは年間100試合に出場していました。
長男がサッカーを始めてからは、そのコーチを務めており、自身のサッカーは自粛していましたが、コロナ禍が明けてから活動を再開。一昨年には東京都内の区のシニアリーグ(over-40)で優勝。昨年末、右足首の靭帯を再形成すべくメスを入れたので、現在は復帰戦に向けて絶賛リハビリ中です。ちなみにサッカーで例えるなら、ユニオンリーダーは「監督ではなくキャプテン」。一緒に走りながら汗をかき、チームの仲間が縦横無尽に走り回れるよう指示を出し、組合員を「観客ではなくサポーター」にしていくことが求められると思っています。サッカーの試合では点を取ること(フォワード)に集中していますが、労働運動においては、舵取り役(ボランチ)も務めてまいる所存です。
—趣味は?
妻、長男(大学1年)、次男(高校1年)、長女(中学2年)の5人家族ですが、年に1度はキャンプに出かけ、富士山の麓や北軽井沢などの避暑地でBBQや温泉を楽しんでいます。実は家族全員カラオケも大好き。次男と一緒に、3時間ぶっとおしで同じ歌だけを練習し続けたこともあります(笑)。

ワーク・ライフ・バランスから、ワーク・ライフ・シナジーへ
—ワーク・ライフ・バランスは?
組合活動が忙しいからこそ家族の時間を大切にしたいという気持ちは人一倍強いです。時間軸だけでワーク・ライフ・バランスを考えると無理があるので、ワーク・ライフ・シナジーという考え方にたどり着きました。家事・育児・介護などの経験が仕事に生かせることは多いし、仕事で培った力を家事の効率化につなげることもできる。どちらかがどちらかを犠牲にするのではなく、ワークとライフの相乗効果の最大化をめざしたいと思っています。最近嬉しかったことは、4月から大学入学を機に仙台で一人暮らしを始めた長男に、数少ない手料理レシピのなかから、おすすめを伝授できたことです。
実は今年、結婚20周年を迎えます。妻とは「大のディズニーリゾート好き」という共通項があり、結婚後は浦安の社宅に住み、年間パスポートでディズニーに通いました。出会った頃の気持ちを思い出してもらえるよう、結婚20年記念のサプライズ企画をこっそり準備中です。
—尊敬している人は?
労働運動の先人たち、そしてフード連合加盟の 12万人のエッセンシャルワーカーの皆さんを尊敬しています。
もう1人挙げると、2年前に逝去した父ですね。九州男児で曲がったことが大嫌い。子どものころはよく叱られ、反論できない自分にも苛立ちを覚えたこともありましたが、大人になって一緒にお酒を飲めるようになってから、信じられないほどの優しさで私を見守ってくれていたことがわかりました。心を半分閉ざしたままではないカタチで、良い会話を積み重ねることができて良かったです。病床では、意識朦朧になりながらも、私の未来を案じ続けてくれた。その数日後、私は、私の活躍を心から応援してくれる最高のサポーターを失ったのですが、今は、父のように子どもたちを温かく見守っていきたいと思っています。
—座右の銘は?
「蒔かぬ種は生えぬ」。「努力なくして(種を蒔かなければ)、結果(花や実などの収穫)は出ない」という意味ですが、努力したからといって、必ずしも結果に結びつくとは限らない世の中だからこそ、個人の努力の先にある、水や日光などの環境も必要不可欠。人を育てる組織風土の醸成も大切にしていきたいですね。
—好きな食べものは?
学生時代のアルバイト先の近くにあったお店の焼肉です。「立川で焼肉といえば慶州苑」と言われる名店で、月に稼いだバイト代より焼肉に使ったお金のほうが多いこともありました。今も時々通っています。醤油を使った料理でおススメは、えのきの肉巻。えのきとチーズをバラ肉でくるくるまいてフライパンで焼き、醤油・みりん・砂糖をジャ!とからめる。簡単で美味しいですよ。
—これから組合役員になる人へのメッセージを
多様性や変化への対応が求められる時代、会社が期待する人材と組合が求める人材は、重なり合う部分が大きくなっています。迷いもあるかもしれませんが、組合役員には、労働者のリーダーだからこそ到達できる、経営層とは異なる景色や人間関係があります。組合員の困りごとに寄り添い、難解な課題を解決してきた行動力や経験値があります。会社や業界の垣根を超えた出会いがあります。労働組合から「一緒にやりませんか?」という声をかけられたら、ぜひ飛び込んでみてほしいと思います。

(構成:落合けい)