東日本大震災から15年、福島沿岸部の人々は今
~続く立ち入り制限、人口流出も加速~

2011年に発生した東日本大震災から、3月11日で15年が経過しました。しかし地震と津波、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故という3重の被害を受けた福島県沿岸部では、いまだに一部地域の立ち入りが制限され、人口流出も加速しています。南相馬市役所職員として震災直後から被災者対応に当たり、その後も復興に関わってきた連合福島の澤田精一会長に、15年間の変化について聞きました。

約2万3千人が避難生活 原発被災地の現状
ー被災直後の状況を振り返って、特に記憶に残っていることは何でしょうか。
震災当時は市役所にいましたが、経験したことのない揺れに強い恐怖を感じました。幸い、家族や親族に被害はありませんでしたが、地震と津波に襲われて壊滅的な被害を受けた町の光景は、今も忘れられません。
私自身は震災直後から、市内の小学校で避難所の設営と運営に当たり、しばらくは昼夜兼行で対応する日々が続きました。最も記憶に残っているのは、家族や親族を津波で亡くした職員が、つらい状況のなかでも被災者のために業務を続けていたことです。彼ら彼女らの姿を見るだけで、心が痛みました。

ー15年が経過し、復興の進捗について率直にどのような印象を持っていますか。
福島県の沿岸地域、特に地震と津波と原発事故という複合災害に遭った市町村では、一部地域の立ち入りが制限され、復旧作業も手付かずの場所が少なくありません。住民が戻りたくても生活できる環境ではなく、復興には長い時間がかかる見通しです。
一方、福島市などは日常が戻り、震災を思い起こさせるものはほとんど見られません。このように、福島県内でも沿岸地域とそれ以外の場所で、復興の度合いや震災に対する思いの強さに温度差が生まれていますし、こうした差が震災の記憶の風化にもつながってしまうのではないか、と懸念しています。
ー原発被災地の現状を教えてください。
福島県内では2026年2月1日時点で、約2万3千人もの人が自宅を離れ、避難生活を強いられています。復興庁が大熊町、浪江町など原発事故で被災した4町の住民を対象に毎年実施している調査によると、どの町でも避難者の概ね半数前後が「戻らないと決めている」と回答しました。
高齢者を中心に「戻りたい」という声も聞かれますが、受け入れる自治体側の基盤が、十分に整っていないという状況もあります。例えば農産物の価格は、風評被害で大打撃を受けた震災当時に比べれば回復したものの、全国水準には追いついていません。このため震災前に農業を営んでいた人が、帰還して同じように生計を立てようとしても、なかなか難しい状況があります。また水産業も、福島県の2024年の漁獲量は被災前の3割程度に留まり、一部の国・地域では福島県で水揚げされた水産物の輸入規制も行われています。人々が生活基盤を取り戻すためには、農水産業の風評被害を完全に払しょくし、震災前の水準に戻す必要があります。
女性を中心に人口流出が深刻化 新規就農・起業の動きも
ー最も課題に感じていることは何でしょうか。
労働組合の役員や経営者団体からは、人口流出が進み「賃上げをしても人が集まらない」ことが最大の悩みだという声を多く聞きます。原発被災地の自治体も、職員のなり手がおらず圧倒的な人手不足が続いています。
特に加速しているのが女性の流出です。男女間の給与格差も原因ですが、さらに福島県はサービス業の職場が少ない一方、製造業や復興に伴う建設業の職場が多く、女性にとって働きやすい職場が少ないことも一因です。原発事故の際、女性たちが放射性物質に対する不安を強めていち早く避難し、帰還にも消極的だという事情もあります。
連合福島としてはトイレや更衣室といった設備面の整備や、働き方改革などを進めている職場にヒアリングし、好事例を他の組合に共有することなどに取り組んでいます。今後も経営者団体や自治体とも協力して、女性・若者にとって働きやすい職場づくりに力を入れていきます。
ー地域を再生するための施策も数多く実施されています。取り組みの成果は出始めているのでしょうか。
各市町村が中心となって、新たな産業や仕事を誘致し、新規の移住者を増やすための政策を展開しています。インキュベーション関連の支援制度を充実させたことで、起業家などが県外から移住する動きも見られます。
原発に近い地域でも、新規就農者が農業法人を設立するなどして、大規模化に取り組んでいます。こうした地域では、自治体も大規模農業に適した形で農地を整備し、新規就農者を受け入れる基盤づくりに積極的に取り組んでいます。今後も就農希望者が地主から農地を借りる際の仲介や、農機の購入支援、農作物の販路開拓などのサポートを、引き続き進めることが大事だと考えています。
ただ医療従事者などからは、移住者が地元住民とのコミュニケーションに課題を抱え、メンタルを損なうケースなどもあることが指摘されています。移住後の相談対応などのフォローアップも必要です。
マイナスイメージを逆手に 人材輩出できる地域へ
ーこの15年間、連合福島の取り組みはどのように変化してきましたか。
震災直後は、全国の労働組合の仲間たちに、生きるために必要な支援を求めることから活動がスタートしました。仲間たちからボランティアや物資の送付など、多大なご支援をいただけたからこそ復興が進んだと、本当に感謝しています。
また震災後も、全国で地震や大雨などの災害は多発し、福島県内でも被害が出ています。このため震災の経験を教訓に、次の災害に備えた防災体制の整備なども進めるようになりました。さらに福島第一原発で除染・廃炉の工程が始まってからは、使用者側や行政に対して、作業に従事する労働者の安全衛生の確保、被ばく管理などの要請も続けています。また、近年は福島県全体の復興創生に取り組む「オール福島」の一員として、女性・若者にとって魅力的な職場づくりを通じて、人口減少に歯止めを掛けるといった役割も果たそうとしています。

ー地域としては復興に向けて、どのようなことに取り組むべきでしょうか。
福島県沿岸地域の産業復興のための国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト構想」が始動し、2023年には浪江町に「福島国際研究教育機構(F-REI)」が設立されました。F-REIは最先端の技術発信をめざす研究機関ですが、残念ながら県内の住民にとってはまだまだ遠い存在です。将来的には外から研究者を集めるだけでなく、教育を通じて被災地から研究・開発人材を輩出できる体制をつくり出し、成果を県外、国内外に発信できればと考えています。
また全国の原発の老朽化が進む中、すでに廃炉作業が進められている福島県は、廃炉技術やノウハウに関する「先進地域」ともなりつつあります。「福島=被災地」というマイナスのイメージを逆手に取り、人材と知見が蓄積された地域として再生していくことを願っています。
ー震災の記憶が風化しないよう、連合として取り組んでいることはありますか。
震災から長い月日が経ち、労働組合の役員や被災地自体の職員には、震災後に入職した人も増えています。このため連合福島では、震災の時に全国の組合員から寄せられた支援のありがたさ、そして労働者が団結することの大切さを、次世代へ伝える取り組みに力を入れようとしています。組合員と家族の命と生活を守るという視点では、防災減災の大切さを訴えることも大事だと考えています。
また近年の予算編成などを見ていると、官僚など中央にいる人たちの間で、震災の風化が進んでいるのではないかと感じることがあります。しかしお話ししてきたように、復興にはまだまだ時間がかかり、予算も必要です。「震災は終わっていない」ことを、ぜひ認識していただきたいです。


ー被災者として、全国の人たちに伝えたいことはありますか。
私は、常に頭の片隅で「今この瞬間にも災害が起きるかもしれない」と思っています。例えば東京に出張して電車に乗っても、「ここで地震にあったらどうしようか」と考えます。実際に震災の揺れを経験し、亡くなった人を見てきたからこそ「起きたらどうなるか」と、想像を巡らせることができるのです。
多くの人は「私は大丈夫」と、災害をどこか他人事のように思っているかもしれません。しかし自分も被害者になりうると認識し、自分と家族を守るための行動を起こしてほしい。私も被災当事者として、災害を『自分ごと』として考えることの大事さを、多くの人に伝えたいと思っています。

(執筆:有馬知子)