能登半島地震から2年
復旧は一段落、地域の「にぎわい」回復が課題に

能登半島地震の発災から、2026年1月1日で2年を迎えた。被災地では家屋の公費解体など復旧のフェーズが一段落し、恒久的な住まいの確保や産業の活性化など、“にぎわい”を取り戻す復興の段階に移っている。連合石川の高村伸幸事務局長に、現状や被災経験から見えてきた課題などを聞いた。

進まぬ住民の帰還 高齢で自宅再建難しく
能登半島地震とその9カ月後に同じ地域を襲った豪雨災害で、輪島市、珠洲市など奥能登地方は甚大な被害を受けた。地震発生から2年が経ち、住宅の公費解体はほぼ終了して更地化が進んでいる。中能登町に自宅がある高村さんは、「地元でも少しずつ家屋が再建され始め、スーパーなどのにぎわいも地震前の様子に戻ってきました」と話す。
しかし、一見日常生活を取り戻したように見える一方で、仮設住宅で暮らす人は少なくない。2025年11月現在も、1万9000人あまりが応急仮設住宅での生活を余儀なくされており、このうち5000人は、金沢市や新潟県などの「みなし仮設住宅」で暮らしている。
「一度町を離れた住民が戻ってくるかどうかが、被災地の課題だと考えています。奥能登は昔から地域の結束力が強い地域ですが、故郷を離れて暮らすうちに2年もの月日が経ってしまった。その間に被災者は年も重ね、帰還がますます難しくなっています」
国は自宅再建などに向け、最大300万円の臨時特例給付金を設け、石川県と市町も「能登創生住まい支援金」として新築・購入費として最大200万円、修繕費として最大100万円を支援するなど、補助金も用意されてはいる。七尾市、穴水町などでは復興公営住宅の建設が始まり、中能登町でも年度内に着工する予定だ。
それでも「60代、70代で家を失った人が、ローンを組んで自宅を再建するのは難しい。長く故郷を離れて暮らす高齢者の中には、復興住宅への入居をためらう人がいるかもしれません」と高村さんは指摘する。

観光復活は道半ば 建設費高騰が壁に
復興をさらに難しくしているのが、建設費用の高騰だ。資材価格や労務費の上昇に加えて、都市部から遠い奥能登地域では、資材などの運搬費用も上乗せされてしまうのだという。さらに人手不足のため、建設のスケジュールも遅れがちだ。
「珠洲市や輪島市では、坪単価100~150万円の建設費用がかかることも珍しくありません。20坪の平屋に2000万円以上の費用がかかるようでは、たとえ行政の補助金があっても再建を断念せざるを得ない人も多いのではないでしょうか」
また奥能登地域の経済を支える観光産業も、復活にはまだまだ時間がかかりそうだ。代表的な温泉地である和倉温泉(七尾市)も、営業再開にこぎつけた旅館は片手で数えられるほどだという。また前述した建設費用の高騰もあり、経営者が今から莫大な投資をして、地震前と同規模の旅館を再建するかどうかは不透明だ。中には再建にあたり、施設を集約すると発表した旅館もある。
「和倉温泉では大規模な旅館の多くが甚大な被害を受け、取り壊しすら決まっていない旅館も少なくありません。温泉地として再建するには、5~10年かかる可能性もあります」
さらに奥能登地域のビジネスホテルや小規模な宿泊施設も、復旧工事などを担う建設業者でほぼ埋まっており、観光客を受け入れる余力は乏しいという。 皮肉にも地震から間もない2024年3月には、北陸新幹線が金沢から敦賀まで延伸され、インバウンド需要も追い風となり、金沢市には多くの観光客が訪れている。しかし奥能登地域は受け入れ態勢が整わず、ビジネスチャンスを逃している形だ。

交通インフラやトイレの「備え」が重要 被災経験から学ぶ
地震発災当時、高村さんは中能登町の自宅から車で10分ほどの義母の家にいた。
「地震が来た時、私は偶然屋外にいたのですが、駐車していたワンボックスカーが跳ねるように揺れていました。妻の実家も古く、潰れるんじゃないかとひやひやしました」
その後、家族や義母を連れて自宅に戻り、高村さんだけが父親の住む七尾市の実家へ向かった。実家は玄関などがめちゃめちゃに壊れ、父親も倒れてきたタンスで頭にけがを負っていたため、急ぎ市内の病院を受診した。義実家から自宅、自宅から実家、実家から病院へという移動の道も、地震のために大きな段差ができていた。このため迂回したり、スコップでがれきを脇へ寄せたりしながら進まざるを得ず、普段の2倍、3倍の時間がかかったという。
地震発災後、奥能登と域外をつなぐ幹線道路も不通になり、支援物資や負傷者の運搬が滞った。幹線道路の復旧後も、大きな段差やがれきを踏むなどしてタイヤがパンクし進めなくなった車が路肩に寄せられ、渋滞の原因になった。
「能登半島は、域外に避難できる幹線道路が限られます。事前に土建会社と自治体が協定を結び、災害が起きたら土建会社が出動して、土嚢などを使ってとにかく道路を通れる状態にすることが重要だと感じました」
一方、避難生活で最も困ったのは、トイレが使えなくなったことだ。自宅ではビニール袋で即席の非常用トイレを作ってしのいだが、駅や公園などの公衆トイレはすぐに汚れがひどくなり、たまりかねて高村さんが近所の人に声を掛け、みんなで掃除をした。
「首都直下地震など人の多い大都会で地震が発生したら、トイレの問題はもっと深刻になるでしょう。公共施設の一部にはマンホールトイレのような、災害時も利用できるトイレが設置されていますが、こうした設備をもっと増やすべきだと思います」
能登半島地震発生時、石川県にはトイレトレーラーやトイレトラックを保有する自治体がなく、他県に頼らざるを得なかった。連合石川は2025年10月、石川県に対して価格転嫁や賃上げなどを要望する文書を提出したが、その中にはトイレトレーラーなどの早急な導入も盛り込んだ。
ボランティアの「プロ」育成を 混乱した現場
地震から1カ月ほど経つと、石川県が被災地へのボランティア派遣を開始し、連合石川からも組合員数名を派遣するようになった。しかし毎日、金沢から被災地までバスで通わなければならず、悪路のため往復に4時間かかった。
「移動時間が長いうえに冬で日暮れが早いこともあり、現地では2時間半ほどしか活動できなかった。ボランティアは『被災者のお役に立ちたい』と意気込んで現地入りするのですが、肩透かしを食うことも多かったです」
3月に入ると、連合本部から大規模な救援ボランティアが入り、現地に拠点を構えて活動し始めた。しかし多くの被災者が金沢などに避難して現地におらず、倒壊家屋の片づけをしようにも、許可を取るべき相手が見つからない。地元に残った住民に、「困りごとはありませんか」と聞いて回るニーズ調査に活動を切り替えたが、住民は「もっとひどい被害を受けた人がいるから、そっちを助けてあげて」と、なかなか支援を頼ろうとしなかったという。
さらに、現地でボランティアと復旧作業のマッチングを担う社会福祉協議会も、不慣れな仕事の上に支援物資の配分など他の業務が重なり、混乱する場面が多かった。
「社会福祉協議会のスタッフは平素、災害ボランティアと依頼作業のマッチングなどしたことがないのだから、不慣れでも当たり前です。過酷な状況下で、日夜懸命にご対応された社会福祉協議会の皆さんには敬意と感謝の気持ちしかありません。今後、中央で復旧の『プロ集団』を育成し、災害時に派遣してくれる仕組みができれば、活動がスムーズになるのではと思いました」
ただ最近になって少しずつ、明るい兆しも見えてきた。地元の祭りが復活したのだ。みなし仮設に避難している住民が参加するため一時的に地元に戻ってくるといったことも起き始めた。また、高村さんの実家近くに昔からあった「町中華」も営業を再開したという。
「再開後も昔と同じ味で、ちょっと感動しました。これからも試行錯誤しながら復興を進め、少しずつ日常を取り戻していくしかないと思っています」

(執筆:有馬知子)
【連合救援ボランティアゆかりの地をたどる】

①輪島市
1.輪島市社会福祉協議会
連合救援ボランティアチームがお世話になった輪島市社会福祉協議会を訪問し、殿田恵子事務局長と荒木正稔 介護福祉課長 兼 介護安心センター所長 兼 輪島市災害たすけあいセンター副センター長より、復興状況、被災者の生活等について、以下のようなご説明をいただきました。
- 輪島市災害ボランティアセンターは2025年10月末で一区切りをつけ、現在はニーズに応じて不定期に活動している。少しずつ住宅再建され仮設住宅(みなし仮設住宅)から退去する方が見られ、社協では目下、被災者見守り・相談支援事業の一環で、支援の引継ぎなど状況把握に追われているところである。
- 地震以降、能登の人口は1割減少。もともと高齢化で人口減少が続いていたが、そのスピードが10年前倒しで進んでいる。
- 避難世帯の帰還について、とりわけお子さんがいる世帯は、教育環境や友人関係の面で、金沢市などの避難先に定住され、自宅への帰還は進んでいない。輪島市としては、働く世帯に戻ってきてほしいが…。
一方、自宅を再建して戻った人から、「ご近所さんがまだ戻ってきていないため、仮設住宅にいた方がコミュニティに入りやすい」との声も寄せられる。自宅に戻った人たちの交流をサポートすることでコミュニティの活性化につなげていきたい。 - 輪島朝市は現在、「出張朝市」という形でショッピングセンター内に出店している。輪島朝市通り周辺は更地となっているが、今春から道路や住宅の建築工事が始まると聞いており、ようやく復興の兆しが見えてきた。
- 復興面では、制度は手厚くなっているが、個人商店をはじめ個人事業主にとって手続きは煩雑。「提出書類に図面を求められるが、被災により図面がなく手続きが進まない」との声もある。
- 道路の復旧は、幹線道路優先で工事が進められている。荒木氏ご自宅の場合、幹線道路から外れているため、車が乗り入れできないまま。震災以降、昔の作業用林道を使用していたが、奥能登豪雨で林道もダメになり、自宅から駐車場まで歩く距離が延びてしまった。
- 現状、工事関係者が多く、街はにぎやか。しかし、その人たちが引き揚げてしまうと、にぎわいが失われるのでは、と懸念している。

2.輪島朝市通り
大規模火災で焼失した輪島朝市通りは現在、更地となり、伸びた雑草の長さが2年の歳月を感じさせました。復興計画が進み、この場所に早くにぎわいが戻ることを祈るばかりです。

3.出張輪島朝市
輪島市内のショッピングセンター「ワイプラザ輪島店」にて、出張輪島朝市は営業中です。出店しているのは30店舗ほどで、野菜や海産物、輪島塗の工芸品、地酒など、地元の名産品が売られています。

4.輪島市災害ボランティアセンター
輪島市災害ボランティアセンターは「ワイプラザ輪島店」駐車場に設置され、連合救援ボランティアは毎朝ここから活動場所へ出発していきました。

②ファミリーマート 穴水インター店
連合救援ボランティアが被災地に向かう際、必ず立ち寄ったコンビニです。これより先、水洗トイレがなかったため、貴重なトイレ休憩スポットでした。(その節は大変お世話になりました!)

③和倉温泉
連合救援ボランティアの宿泊地「ホテル海望」と「のと楽」を訪問しました。「ホテル海望」は工事休業中でしたが、「のと楽」は元気に営業中でした。


上段 :ロビー
下段左:和倉温泉PRキャラクター「わくたまくん」の砂像
下段右:ロビーから望む七尾湾、能登島大橋
和倉温泉では休業中や解体中の旅館・ホテルは多く見受けられる一方、営業を再開した施設やお店も徐々に増えてきている様子でした。皆さん、ぜひ和倉温泉へ遊びに来てください。
④七尾市災害ボランティアセンター

七尾市災害ボランティアセンターが設置されていた七尾市文化ホール(写真右の建物)
⑤馳浩石川県知事より感謝状贈呈
2025年12月9日、馳浩 石川県知事が、能登半島地震・奥能登豪雨に対して支援した300超の団体を県庁に招き、感謝状の贈呈式を行いました。馳知事は1団体ずつ感謝状の手渡しと記念撮影を行い、連合と連合石川がそれぞれ贈呈を受けました。

下段左:馳知事(左)と連合を代表して感謝状を受け取った杉山寿英 連合運動推進局局長(右)
下段右::馳知事(左)と小水康史 連合石川会長(右)