連合リーダーの素顔に迫る Season2
第1回 永島智子 連合会長代行・UAゼンセン会長

待望のリーダーズボイスSeason2の第1回は、昨年10月の第19回連合定期大会で会長代行に選出された永島智子UAゼンセン会長にインタビュー。組合員数190万人を擁する連合最大の構成組織であるUAゼンセンは、組合員の6割以上が女性であり、その8割が短時間組合員。最近は外国籍の組合員も増加中。単組時代から、パートタイマー・非正規雇用労働者の組織化と処遇改善をライフワークとしてきたという永島会長代行。「決めたことは必ずやり切る」という、その突破力の源泉に迫ります。

永島 智子(ながしま ともこ) 連合会長代行・UAゼンセン会長
大阪府出身。1993年同志社大学文学部を卒業し、株式会社ニチイ(1996年「マイカル」に社名変更)入社。2000年マイカルユニオン中央執行委員、2006年同中央副書記長、2008年マイカルユニオン中央書記長。企業統合を経て2011年イオンリテールワーカーズユニオン中央執行書記長、2016年同中央執行委員長、2018年イオングループ労働組合連合会会長。2020年UAゼンセン副会長・流通部門長、2024年UAゼンセン会長に就任。2025年より、連合会長代行、UNIアジア太平洋地域組織会長を兼任。

バイヤーになりたくて流通業に

—労働運動を始めたきっかけは?
1993年に大学を卒業し、大阪に本社のある総合スーパー・株式会社ニチイに入社しました。バイヤーになりたくて流通業を志望したのですが、採用担当者の対応が好印象で女性が活躍できる風土があると感じたニチイを選びました。

配属されたのは人事・総務・財務部門で、店舗の閉店後に売上金や伝票を受け付けるまでが仕事。ニチイ労働組合は活発に活動していましたが、私は業務の関係でほとんど参加できませんでした。しばらくして労働組合の文化体育委員会に誘われました。主な活動は労使主催の大運動会。企画やら会場設営やらの活躍ぶりを見て「役員に」と声を掛けられる、いわば「若手の登竜門」でした。私はお手伝い程度だったのですが、ここで組合役員の皆さんと顔見知りになり、学生時代からゴルフを続けていることを話すと、「それなら一緒に行きましょう」と…。

一緒にゴルフを楽しんでいるうちに先輩メンバーから「今度、バイヤーになることになったので、組合の仕事を引き継いでほしい」と頼まれました。彼女は非専従の中執で、私もいつかバイヤーになるぞと心に誓い、後任を引き受けました。それが労働運動を始めたきっかけです。

洋上研修「生産性の船」に参加

—1996年に社名がニチイからマイカルに、労働組合もマイカルユニオンに改称されましたが、専従役員になられたのは?
2000年です。組合活動の経験がほとんどないまま役員(非専従)になり、すべての会議に真面目に出席しました。そんな新人役員は相当めずらしかったんだと思います。1999年に日本生産性本部主催の「生産性の船」に乗らないかと声を掛けられました。リーダー養成を目的とする洋上研修で、「豪華客船で香港やシンガポールをまわる」と聞いて「行きます!」と。

充実したプログラムで鍛えられ、達成感をもって帰阪すると、三役から「専従役員になってほしい」と…。実はこの時、会社からも商品部への異動を打診されていて、丁重にお断りしたのですが、「洋上研修にいくらかかったと思ってるの?」と詰め寄られ、相談した職場の上司からは「会社の経営状況を自分の目で見て会社と組合を良くしてほしい」と背中を押され、専従役員になることを決断しました。

マイカルユニオン時代

ニュース速報で知らされた経営破綻

—専従になられてから単組の活動で最も印象に残っていることは?
マイカルは積極的に店舗拡大を進めていましたが、2000年頃には急激に業績が悪化。その年の春季交渉は要求書を提出したもののゼロ回答、ゼンセン同盟にマイカル合理化対策委員会を設置、そういうタイミングで私は専従役員になりました。年末には、社長が組合事務所に来てグループで1700人規模の希望退職を通知。委員長は、それなら経営責任をとって社長自ら辞任すべきと迫った。その張りつめた空気は、今も忘れられません。

年が明けて2001年、希望退職募集が始まりましたが、業績悪化に歯止めはかからず、9月14日にマイカルは経営破綻しました。その2日前の9月12日がゼンセン同盟の大会で会場は北海道。破綻が避けられない場合は事前に労働組合に通知するという約束を再三確認した上で、執行部は北海道に向かいました。ところが、大会終了後、流通部会の女性委員会の場で、私を含めマイカルユニオン執行部の電話が一斉に鳴り出し、テレビで「マイカル破綻」というテロップが流れたのです。会社の破綻をニュース速報で知るなんて、組合員への大きな裏切りでした。

—再建に向けては?
経営内部には社長派と専務派の確執があって、日本進出をねらう外資系大手スーパーの支援を受けて再建をめざす専務が社長解任のクーデターを起こし、民事再生を申請。しかし、売上規模約1兆7000億円、業界4位の総合スーパーが民事再生で再建できるわけがありません。また、外資の支援を受けたら、多数の店舗が切り捨てられ、雇用が守られない可能性が高く、労働組合は「絶対反対」の立場でした。

連日、団体交渉が行われましたが、経営側は逃げの姿勢で再建は進まず、二次破綻の危機に陥る中、2001年11月22日、イオンが会社更生法下での支援を発表。その条件の1つが、労働組合の協力でした。ゼンセン同盟がイオンの支援に尽力してくださり、産別の力の大きさを痛感しました。さらに「再建に向けて頑張れ」とゼンセンの仲間から激励していただき、本当にありがたく励みになりました。

マイカルは、会社更正法に切り替えて再建計画をスタート。労使で再建に取り組み、2005年末に当初計画より7年前倒しで更生手続きを完了しました。私は、2008年にマイカルユニオンの書記長に就任し、このままマイカルとして再生していけると思っていた矢先の2010年8月、委員長がイオンの岡田社長に呼ばれ、2011年3月1日にイオンと企業統合(吸収合併)したいと告げられました。

様々な困難を乗り越えて企業統合、組合統合

—労働組合も統合することになりました。
マイカルには、健康保険組合も福祉会も存続していましたから、それを半年で清算するのは難仕事でした。私は書記長として、イオン本社のある千葉、東京と大阪を頻繁に往復し、何とか2011年3月1日に企業統合を果たせたのですが、その10日後に東日本大震災が発生しました。3月1日付で全国規模の人事異動を行っていたため、東北地方の多くの店舗には着任間もない人も多く、現場は大混乱をする中、会社は1日も早い店舗の営業再開をめざし、組合は被災状況の確認、従業員の安否確認に当たりました。

震災をきっかけに、様々な困難を乗り越えて、同年6月に「イオンリテールワーカーズユニオン」が発足しました。 マイカルユニオンの組合員数は約2万3000人でしたが、結成時のイオンリテールワーカーズユニオンは10万人を超える大組織。その書記長に就任することになりましたが、統合大会の会場を埋め尽くす代議員の数に圧倒され、責任の大きさを痛感しました。

イオンリテールワーカーズユニオン結成50周年記念パーティー(2019年、写真中央が永島会長代行)
※前身組合結成時から数えて50周年

グローバル枠組み協定(GFA)を締結

—マイカルユニオン、イオンリテールワーカーズユニオン通算で書記長8年、イオンリテールワーカーズユニオン委員長を4年。その間の活動内容は?
人事処遇制度の統合と国際活動に力を注ぎました。当時、イオンは海外、特に中国、ASEAN各国で積極的に店舗を展開していました。海外出向者の課題解決はもちろん、海外店舗の組織化にも取り組むことを決め、国際局を設置。2014年6月にオープンしたカンボジア1号店で組織化を行い、同年11月に イオン株式会社、イオングループ労連、UNIグローバルユニオン、UAゼンセンの4者で「グローバル枠組み協定(GFA)」を締結しました。GFAの魅力は、現地で起きていることが瞬時に把握できること。現在も年1回、4者で「GFA検証会」を実施するなど、トラブルを未然に防ぎ、社会対話を進める上で有効に機能しています。

—そして、2020年にUAゼンセン副会長・流通部門長に…。
産別の活動には、流通部会、その後の流通部門や本部の労働条件委員会のメンバーとして長く関わり、2019年の参議院選挙では、イオンリテールワーカーズユニオンの専従役員だった田村まみさんを擁立して選挙活動にも奔走。

左上写真:議員事務所にて、田村まみ参議院議員(写真右)と2ショット(2019年)
右下写真:イオンリテールワーカーズユニオン執行部で、田村議員(前列中央)を囲んで記念撮影(2019年)

その後、流通部門長(UAゼンセン副会長)に就任しました。就任当初は、コロナ禍で思うように活動できなかったのですが、2023年からは大幅な賃上げに取り組む中、2024年、2025年と社会的機運を高め、結果を出すことができました。本当に組合活動を続けてきて良かったという思いです。

UAゼンセン流通部門10周年記念番組に出演(2022年)

決めたことはやり遂げる

—労働組合で身についたスキルは?
決めたことは、やり遂げること。1つが組織拡大です。マイカルユニオンの組織部長の時、短時間雇用労働者の組織化を必ずやると心に決めました。そして更生計画が完了した直後、「専従役員10人で全店オルグを1カ月でやる」と決め、非専従役員の助けも借りながら、本当に1カ月で組織化をやり切った。この経験は、その後の組合活動においても大きな力になりました。

もう1つのライフワークは、「同一労働同一賃金」です。それをやり遂げることが、私が今ここにいる理由でもあると思っています。徐々に環境は整いつつありますが、なお課題も残されています。中でも「年収の壁」は、これ以上放置できない問題です。労働力人口が減少していく中で、「働き控え」は誰にとっても望ましいことではありません。労働組合の責任として、これを変えていくという意思を明確に示し、組合員の理解と賛同を得て、政治の場できちんと解決していきたいと考えています。

—座右の銘は?
ゼンセン同盟会長の宇佐美忠信さんの「足は職場に、胸には祖国を、眼は世界に」、連合の初代事務局長を務めた山田精吾さんの「志は高く、目線は低く」。つねに現場組合員に寄り添いながら、同時にその生活を守るために国のあり方やグローバルな情勢にも目を向ける。今、世界が不安定化し、国際労働運動の意義が再認識される局面にあって、改めてこの言葉を心に刻みたいですし、組合役員の皆さんにも、そのような気持ちで頑張ってほしいと思います。

—尊敬する人は?
ニチイ労働組合の結成に携わり、UIゼンセン同盟の最後の会長を務めた、落合清四さん(2024年3月逝去)です。いつも、労働組合・産別のあるべき姿、日本という国が抱える問題から世界情勢に至るまで、独特の語り口でいろんな話を聞かせてくださいました。私にとって貴重な時間でした。

落合清四さん(写真右端、2024年3月31日ご逝去)、ニチイ創業者・西端春枝さん(写真右から2人目、2020年6月ご逝去)との思い出の1枚(2019年)

実は可愛いものが大好き!

—休日の過ごし方は?
旅行が好きで、3日休みが取れれば、温泉やアジアのリゾート地へ。バリ島が特にお気に入りです。半日休みならエステやネイルでリフレッシュ。とはいえ、なかなか休みが取れないので、最近は出張の移動時間を有効活用しています。

—ご自身の意外な一面は?
こうと決めたら、真正面から突破していくタイプだと思われていますが、「身近で接してみると、力みがなく、軽やかな印象で驚いた」と言われることも。実はマスコットキャラクターのような可愛いものも大好きなんです。

—連合会長代行としてひと言。
UAゼンセンは、パートタイマーの賃上げと組織化に全力で取り組んできましたが、労働組合組織率は16.0%。組合がない職場まで賃上げを波及させるには、個別企業の労使交渉だけでは限界があり、特定最賃新設や政労使対話、政策・制度要求など、広く社会全体で賃上げを進めるアプローチが求められています。そこで必要なのは、連合の力。連合の存在意義はますます高まっています。UAゼンセンも連合の最大の構成組織として、その責任を果たしていきたいと考えています。

(構成:落合けい)