賃上げ広げるのが労働組合の役割 新たなベースアップの形も提示を
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2026年春季生活闘争は、過去3年間の大幅な賃上げの流れを持続させ、「賃金は上がり続けるものだ」という新たなノルムを確立できるかどうかを占う正念場と位置づけられる。人的資本管理や賃金制度を長年研究する法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科の山田久教授に、労働組合がどのような姿勢で賃金交渉に臨むべきかを聞いた。
山田久(やまだ・ひさし)
法政大学大学院イノベーション・マネジメント研究科教授
連合「未来づくり春闘」評価委員会委員
1987年京都大学経済学部卒業、住友銀行(現三井住友銀行)入行。1993年(株)日本総合研究所に出向、調査部長兼チーフエコノミスト等を経て、2019年副理事長。2015年京都大学博士(経済学)。2023年4月より現職。
著書に『賃上げ立国論』(日本経済新聞出版社)、『同一労働同一賃金の衝撃―「働き方改革」のカギを握る新ルール』(日本経済新聞出版社)など。

賃上げの必要性は政労使で共有 経営側の対応にはばらつきも
-近年の大幅賃上げの要因や背景を、どのように分析していますか。
過去3年は年を追うごとに賃上げ幅が高まり、2024年からは2年連続で5%を上回りました。これによって2000年代以降の「月例給は上がらなくて当たり前」という通説はほぼ払しょくされたと言ってよく、目標の第一段階は達成できたと思います。
日本は長い間、賃金も物価も上がらないという世界的にも特殊な状態が続きました。労働組合も人員に余剰感があったことに加え、正社員中心で雇用維持が優先されがちだったという事情もあり、賃上げ要求に慎重にならざるを得ませんでした。こうした中で多くの労働組合が月例給のベースアップ(ベア)要求を見送ってきたことが、デフレを長期化させた側面もあります。 しかし今や様相は一変し、構造的な人手不足と円安の進行によって、あらゆる面でコストが上がる時代になりました。政労使が一致して賃上げの必要性を認識するようになったことも、追い風になっています。
-2025年7~9月期はGDPがマイナス成長に転じ、日中関係の不安定化やトランプ関税の影響といった懸念材料も浮上しています。交渉に影響はあるでしょうか。
確かに経済の先行きに対する不透明感はありますが、見識のある経営者であれば、これらを理由にベアを見送れば人材を獲得できなくなり、企業存続すら危ういことを承知しているはずです。このため賃上げの流れそのものは変わらないでしょう。
だからといって「労働組合が何もしなくとも自ずと賃金は上がる」という考えは間違いです。一部企業は人材獲得に向け、率先して大幅な賃上げを実施していますが、一方で若手に手厚く配分した結果、ミドル層の賃金が低下した企業もあるなど、大手企業の間でも対応にばらつきが見られます。また厚労省の調査によると、企業規模100~299人の平均賃金の伸び率は2025年、3.6%と前年に比べて0.1ポイント低下しました。一方、同じ規模で連合加盟の労働組合の賃上げ率は4.76%と、前年比0.14ポイント上昇しています。この結果を見ても、労働組合が賃上げを波及させる役割を果たしたことは明白ですし、引き続き企業間のばらつきを是正し、すべての労働者に賃上げをもたらせるよう努めるべきです。
労使交渉で価格転嫁促す 特定最賃も活用を
-価格転嫁についてはどのように考えますか。
製品・サービスを提供するコストは上がっているにもかかわらず、価格に十分に転嫁しない商慣行は依然として残っています。政府も法改正などを通じて価格転嫁を進めようとしていますが、ミクロの面で大手の労働組合から経営側への働きかけも不可欠です。
財務省の法人企業統計調査によると、2024年度の大手企業の利益は高い水準にありますが、労働分配率は1970年代以来の低水準となっています。これは企業の賃上げ余力だけでなく、下請けの価格転嫁を受け入れる余地があることも示しています。ですから個別の労働組合も、組合員だけの賃上げを求めるのではなく、下請け企業の社員も十分な賃金を確保できるよう、経営側に適切な価格転嫁を求めるべきです。
現在のように国際的な貿易の分断が懸念される時代には、企業は中核事業を国内に残し、輸出入が滞るリスクから経営を守らなければいけません。国内のサプライチェーンを健全に保つことが、結果的に自分たちの職場のレジリエンスを高めることにつながるのです。
-賃金水準を底上げする策の一つとして、特定の産業や職業に設定する「特定最低賃金(産業別最低賃金)」の活用を提案しています。あまり普及していない特定最賃に着目したのはなぜでしょうか。
構造的な人手不足の中で、地域間の人材争奪戦は激化しています。しかし都道府県別の最低賃金(地域別最賃)を引き上げるには全産業の合意が必要で、上げ幅にも限界があります。このため特定の産業に、地域別最賃を上回る特定最賃を導入し「面」での競争力を高めてはどうかと考えています。
この時に重要なのは、産業全体でブランド力向上や人材育成に取り組む仕組みもセットで導入することです。これによって特定最賃は、単なる賃上げではなく、その産業の生産性を高め地域経済を活性化させるツールになり得ます。労働組合も、横のつながりが生まれ交渉力が強まるといったメリットを期待できます。 ただし、実際に導入を進めるには、制度の適用条件を緩和するなどして使い勝手を改善する必要もあります。連合には特定最賃の意義を社会に発信するとともに、政府に制度の改善も働きかけていただきたいと考えています。

「賃上げ率5%」は死守 新しいベアのあり方も提示を
-2026年の春季生活闘争で、労働組合が果たすべき役割をどのように考えますか。
まず連合が2026春季生活闘争方針で掲げたように「賃上げ率5%以上」の旗を死守するという断固たる姿勢を示すことが重要です。そのうえで、目標を達成している組織は前年を超える引き上げを、達成できなかった組織は5%の獲得をめざして交渉することになるでしょう。価格転嫁についても広い視野を持ち、個別交渉の中で経営側に転嫁を働きかけることが大切です。
今回の交渉が、賃金構造について話し合う場になることも期待しています。というのもデフレ時代には、経営側はベアを見送る一方、賞与を通じて利益を社員に還元してきました。物価が上昇に転じ、賃上げが定着する局面へと変わる中では、月例給と賞与の配分を見直すことが必要になってくるでしょう。
また年功賃金の見直しが進み、賃金が個別に決まる傾向が強まる中で、労働組合にはかつてのような一律のベアに変わる「新たなベア」を打ち出すことも求められています。新たなベアは「物価上昇分」と「生産性向上分」に分けて考えるのが望ましいでしょう。物価上昇分については、マクロの経済状況や加盟組合の意見を踏まえて、連合が数値を示し、全労働組合が議論の前提として共有する。一方で生産性については、労働者の貢献分を賃金に上乗せするという基本方針を共有したうえで、分配のあり方などは、個別労使が職場の事情にあわせて決めるべきです。
-中長期的に労働組合に期待することはありますか。
経営者は、四半期決算ごとに投資家の評価を仰ぐ立場にあるため、短期的思考に陥りがちですが、労働組合は10年、20年という長いスパンで物事を考えることができます。ですから長期的な視野を持って、日本企業の競争力の源泉である「現場」の力を高められるような人事・賃金制度のあり方を議論し、経営側に伝えることを期待しています。
また欧米の例のように、労働組合が「生産性」を合理化や人員削減、労働強化と結びつけてむやみに否定してしまうと、組織の形骸化や経済の停滞を招きかねません。生産性をポジティブにとらえて経営者側とともに向上に取り組みつつ、労働者にとって必要なセーフティネットを構築する、という姿勢も大事だと考えています。
さらに日本のナショナルセンターである連合に対しては、よりロジカルに議論を展開できるよう、理論武装を進めてほしいとも願っています。例えばスウェーデンの労働組合は一流のエコノミストを擁し、交渉の論理的な根拠を構築しています。連合もデータなどを示して論理的に説明する力をさらに高めることで、政府・経営側とより対等な立場で議論できるようになると思います。
(執筆:有馬知子)