「未来志向」と「科学志向」で賃上げのノルム定着へ!
~正念場となる2026春季生活闘争~【後編】

「未来づくり春闘」とは、連合が2022年にスタートさせたデフレマインドからの脱却と持続的な賃上げをめざす、連合の新しい取り組みだ。2023年以降の春季生活闘争で着実に成果を上げるなか、連合はその意義と今後の課題を明らかにすべく、有識者による「評価委員会」を設置。2024年9月には、6つの具体的提言を盛り込んだ報告書を公表した。
後編では、6つの提言のポイントを紹介する。
◆「未来づくり春闘」評価委員会報告書
https://www.jtuc-rengo.or.jp/activity/roudou/shuntou/mirai_report.html
6つの提言のポイント
では、6つの課題に対する具体的な提言内容を見ていこう。
提言1 賃金要求基準のあり方
① 過去のインフレ実績ではなく、将来のインフレ見通しを要求基準に反映させる。
② 実質賃金に関するキャッチアップ条項を導入する。
③ 人手不足要因を要求基準に反映させる。
④ 積極的な情報発信により労働者の中長期的な賃金予想を安定させる。
目標の共有と情報の共有
渡辺努副委員長は「現在の賃金要求の設定方法は、科学的根拠が不明確で納得性に乏しく、賃金目標を公表することで将来予想を安定させるという発想が乏しい。また、賃上げをめぐる格差拡大の背景には、企業間の労働環境や賃金制度の違いが大きくなっていること、企業間で賃上げが伝播する力が弱まっていることがある。格差を完全になくすことはできないが、過度な格差はしっかりと抑制していく必要があると考えた」と議論を振り返る。
そして「求められるのは、情報と目標の共有を通じた広い意味での協調だ。目標が共有できれば、どういう賃金水準や労働環境を実現していくのかというイメージが明確になり、未来の姿を組合員の間で共有できる。これが協調を生み、春闘の波及力を高めていくことにつながる」と説く。
では、何を目標とするのか。
「1つの例は、中央銀行の中長期的なインフレ率の目標値だ。例えば日銀は『物価安定の目標』を消費者物価の前年比上昇率2%と定めている。その科学的根拠が示されているから、企業や消費者は『2%という目標は妥当』だと納得して受け入れる。そうすると、その数字を前提に設備投資や消費について意思決定を行うようになり、目標の2%自体が強固なものになるという好循環が生じる。この仕組みを春闘の要求基準にも活かしてはどうか」と渡辺努副委員長。その具体的な方法が、提言1の4項目だ。
注目は、過年度物価上昇率ではなく、将来の物価上昇見通し(日銀の目標2%)をベンチマークとし、そこに生産性向上分や人手不足対応分、さらには実質賃金の低下分を上乗せする形で要求基準を組み立てるという提言。「物価の後追いとなる賃金要求では、人々に前向きな賃金上昇への期待を抱かせることは難しい」からだ。
しかし、将来の物価上昇見通しを基準としても、予期せぬ事態でそれを上回るインフレが生じることもあり得る。そこで、その対処方法として提言されたのが「キャッチアップ条項の導入」だ。例えば、2026春季生活闘争で一定の賃上げを実現したが、2026年中に予想外の要因で物価が上昇して実質賃金が低下した場合、翌2027春季生活闘争でその実質賃金低下分をキャッチアップすることを、あらかじめ2026春季生活闘争の要求に組み込んでルール化しておくというものだ。
魅力的な提言だが、予想外に物価が下がった場合はどうするのか。
「賃上げのステージの転換期にある現時点では、実質賃金が下振れた場合にのみキャッチアップするという非対称の扱いでいいのではないか」というのが渡辺努副委員長の見解だ。
また人手不足要因については「私の見立てでは労働の需要と供給が均衡する実質賃金(自然実質賃金)と実際の実質賃金の水準は3%ぐらい乖離している可能性がある。それを精緻に計算した上で、人手不足要因として定量的に要求基準の中に組み込んでいくべきだ」と説いている。
提言2 労働組合がもっているデータの活用と分析能力の向上
○労働組合は、個人別賃金を把握・分析し、賃上げによって生活向上が実現したか点検すべき。
○賃金データの共同利用、労働組合の分析能力の強化に取り組むべき。
データの収集・分析能力の強化は交渉の力になる
提言2は、賃金上昇率の把握精度をいかに高めるかという課題に応える提言だ。
神林龍委員は「個人別賃金の把握・分析は目標を共有する上でも重要だ。平均の賃金上昇率と一人ひとりの賃金上昇率は異なる。平均で2%上がっても、みんなが2%上がっているわけではない。春闘要求が妥当な目標だと納得して受け入れられるには、まず一人ひとりの状況をきちんと見なければいけない。また、評価委員会で企業規模や地域間での賃金の上がり方のばらつきを分析したところ、最大の要因は企業規模間の違いであることがわかった。そういう情報を適切に発信していける環境も整備してほしい」と訴える。
上野有子委員は「労働者の賃金がどのくらい上がっているのかは、実は公的統計データから把握することができない。しかし、労働組合は多くの情報を持っている。その資源を活用してほしい。例えば組合費のデータから賃金の分布を把握することは可能だし、生計費の動向などは労働組合自ら調査を実施してリアルなデータを集めることもできる。データの収集・分析能力をもっと高めていけば、交渉の大きな力になる」と投げかける。
提言3 中小企業の課題と経営者への働きかけ
○中小企業団体などに対して、経営指導員などによる助言や支援活動の際に、持続的な賃上げを組み込んだ経営計画を策定するよう連合から要請する。
○政府や金融機関などに対して、自治体や金融機関の支店等に設置されている経営相談窓口等において、生産性向上対策とそのために活用できる政府の支援策等をワンストップで相談に乗り、必要に応じ伴走型でフォローできる体制をさらに強化するよう連合から要請する。
安心して賃上げできる経営環境を
過去2年、全体の賃上げ率は5%を超えたが、中小組合は4%台。中小企業は価格転嫁や適正取引の推進が道半ばの状況にある場合も多く、賃上げ原資が限られる中で、『防衛的な』賃上げを迫られることも少なくないのが現状だ。
高橋徳行委員は「日本の労働者の約7割が中小企業で働いている。ここが動かなければ日本の賃金は変わらない。持続的な賃上げに向けて、価格転嫁に加え、賃上げを組み込んだ経営計画策定を支援することが必要だ」と説く。
そのために提言されたのが「ワンストップ相談窓口による伴走型支援の強化」だ。
「中小企業の経営者が経営相談できるアクセスポイントは、自治体や金融機関、商工会議所や商工会など多数あるが、それをもう少し有効に活用できないかというのが提言の趣旨だ。中小企業の労働分配率はすでに8割近く、余力は乏しい。賃上げを継続していくには、生産性向上の支援が不可欠だ。現在、中小企業支援策として様々なメニューが用意されているが、窓口で相談できるのは、その1つひとつの使い方にとどまっている。相談体制をステップアップして、複数の支援策を組み合わせる形で、賃上げを盛り込んだ経営計画の策定を支援していくべきだ」と高橋徳行委員。
神林龍委員からは「その場合、労使交渉においては、生産性上昇による賃上げとインフレによる賃上げを明確に区別しておくことが必要だ」とのアドバイスも。
提言4 労働組合が果たすべき役割(労働組合のない企業への影響力の拡大)
○労働組合は、①積極的な情報発信、②社会的合意形成と機運の醸成、③相談活動等の強化によって労働組合のない企業への影響力を強めるべき。
労働組合っぽい活動へのコミットも
厚生労働省「賃金引上げ等の実態に関する調査」(2025年)によると、労働組合の有無によって賃上げ率に約1ポイントの差があるが、労働組合組織率は16%台にとどまり、労働組合が何をやっているのか知らないという人も多いと言われている。
玄田委員長は「労働組合による交渉が賃上げにつながっていることを社会に分かりやすく発信することで、賃上げの社会的波及力を高め、労働組合に参加する仲間を増やしていくことを期待したい。すでに取り組んでいる労働組合は多いと思うが、それが多くの人に伝わっているかどうかは別問題。賃上げが社会的に注目されていることを追い風として、この提言を改めて進めてほしい」と投げかけた。
また、神林委員は「組織率16%という数字だけでは測れない現状がある」と指摘。「日本の組織率は、実は上がっているのではないかという研究がある。連合総研や各大学などの民間データを見ると、2010年代後半から『労働組合に入っている』と答える人の割合が反転上昇し、政府統計と大きな乖離が起きている。その要因を分析したところ、政府統計の計測方法が既存の労働組合をもとにしており、新しい組合や新しい組合的な活動をとらえにくいこと加えて、働く現場では、正式な労働組合ではないが、具体的な職場の問題について話し合う『労働組合っぽい活動』が広がっていることがうかがえた。働く人たちは、労働組合っぽい活動を欲している。そこにもっとコミットしてほしい」。
高橋委員は「中小企業の労働組合組織率は非常に低いが、経営改善がうまくいっている企業は、従業員と経営者の相互信頼にもとづくコミュニケーションが確保されていて、労働組合機能の一部を代替していると感じる」とコメントした。
提言5 特定最低賃金の活用
○申出要件、新設ルール、審議プロセスの見直しによって特定最低賃金を活用しやすくし、産業活性化と産業別・職種別の賃金相場形成をはかるべき。
『生産性三原則』と『労使自治の原則』
政府は、2020 年代に最低賃金1,500円(全国加重平均)の達成を目標に掲げているが、中小企業の負担感は高まっている。そこで、評価委員会は、今後の最低賃金引き上げをいかに持続可能なものとしていくかという観点から、特定最低賃金の活用を提言。
「特定最低賃金」とは、関係労使の申し出にもとづき、各都道府県の最低賃金審議会の調査審議を経て地域別最賃より高いレベルで導入される、特定の産業または職業について設定される最低賃金だ。
山田久委員は「歴史的には、労使協定の中で産業別や地域別の最低賃金額が決定され、それでカバーされない人たちのために国の制度がつくられた経緯がある。しかし、日本では企業別の労使関係が主流であるため、産業別最低賃金が広がらず、地域別最低賃金の機能が高まっている。しかし、最近のように政府主導で地域別最賃の大幅な引き上げが続くと経営側の反発は強まるだろう。賃金決定において重要なのは、生産性を上げて賃金を上げるという『生産性三原則』と、労使が自主的に協議する『労使自治の原則』。そこで、この特定最賃を使いながら、もう一度労使自治による賃金決定システムを強化できないかと考えた」と説明する。
しかし、特定最賃については、「屋上屋を架す」と経営側が強い拒否反応を示してきたのではなかったか。「それは人余りの時代であり、中小経営者に労働組合への拒否感が強かったからだ。ところが、ここ数年で状況は決定的に変わった。人手不足が深刻化し、賃金を上げないと人材が確保できない。企業間で賃上げを競いあえば疲弊するが、産業全体の賃金水準を上げれば、そこに人が集まってくる。特定最賃には、労働協約ケースと公正競争ケースの2つがあるが、後者なら組織率が低くても政労使の連携で新しい仕組みをつくっていける。労働組合の側から特定最賃とセットで中小企業の経営支援策の活用を提案していけば、経営側も前向きになれる。まず、連合が中小企業団体との間で対話を始めてほしい」と山田委員は投げかける。
提言6 2026 春季生活闘争に向けたスタンス
○物価を1%程度上回る賃上げ継続という「賃上げノルム」の定着に向けた政労使での共通認識の形成
○過剰な人手不足から緩やかな人手不足への転換を可能にする実質賃金上昇への貢献
○生活向上を実感できる賃上げの実現とそのための将来見通しの明確化
○長期不況や賃金停滞を生んだ「賃金は上がらない」というデフレマインド再燃の回避
○適切な価格転嫁・適正取引など、中小企業が賃上げ可能となる環境整備の働きかけ
最後の提言6は、1から5の提言を2026春季生活闘争に向けたスタンスとして整理したもの。玄田委員長は「将来見通しの合意を形成するプロセスこそが春闘の本質。だとすれば、未来志向で将来見通しを前面に押し出すことは、春闘の原点に戻るということ。個別の労使交渉では、企業の業績がどうなるかというミクロ的な将来見通しが交渉の中心になりがちだが、賃上げの新しいステージを定着させるには、マクロ的な将来の見通しに関する合意形成が今まで以上に重要になる。働く人たちにとって給料が増える喜びは、他にない喜びだ。しかも、自分が一生懸命働き、みんなで頑張ったことの結果として給料が増えた時の喜びは格別だ。賃金が上がるチャンスは、誰にでも開かれていて、頑張れば来年も上がるとみんなが思える社会をつくる。デフレマインドには二度と戻らない「ノーモア・デフレマインド」の決意を社会全体で共有し、賃上げのノルム定着への決意を持って2026春季生活闘争に臨んでほしい」と締めくくった。

9月19日に都内で開催された連合「未来づくり春闘」評価委員会シンポジウム
(構成:落合けい)