「女性差別撤廃」とは人権を守ること
今こそ「ジェンダー平等」を運動のまんなかに!

「ジェンダー平等・女性差別撤廃」をめぐる課題が内外で注目を集めている。
昨年10月、国連「女性差別撤廃委員会(CEDAW)」1は日本政府の報告書に対する総括所見を公表。その勧告には、今国会での審議が期待される「選択的夫婦別氏制度導入」も含まれる。同じく昨年10月、連合は「ジェンダー平等推進計画」のフェーズ1を終え、「203050(2030年に女性参画率50%)」を最終目標とするフェーズ2をスタート。フェーズ1の5つの達成目標のうち「女性役員を選出」した構成組織は3分の2にとどまり、推進目標も課題が残る結果となったことから、運動のさらなる強化が求められている。
日本のテレビ界・芸能界では性加害問題が続出し、人権を軽視した文化や風土の見直しを迫られているが、海の向こうのアメリカではトランプ新大統領が時計の針を逆行させるような政策転換を次々と打ち出している。 「ジェンダー平等」は、世界的潮流であり、着実に前進してきたはずだが、それを根付かせることは簡単ではなく、不断の取り組みが欠かせない。改めて、なぜ「ジェンダー平等」推進が必要なのか。労働組合はどう行動すればいいのか。11年間にわたってCEDAWの委員・委員長を務めた林陽子弁護士と芳野友子会長が語りあった。
(季刊RENGO 2025年春号転載)

はやし・ようこ
1983年弁護士登録。外国人女性のためのシェルターでの法的支援、性暴力被害者のためのホットライン(相談電話)活動などに参加。2008年国連「女性差別撤廃委員会」委員、2015年同委員長に就任(〜2017年)。2018年G7ジェンダー平等諮問委員会委員。2023年公益財団法人「市川房枝記念会女性と政治センター」理事長に就任。編著に『女性差別撤廃条約と私たち』(信山社)、『どうする、日本のジェンダー平等戦略』(信山社)など。


ジェンダー平等の原点 −国際女性年と女性差別撤廃条約
一歳の差別は 一切の差別に通ずる
則松 CEDAWの勧告をめぐって様々な動きがありますが、本日はその委員・委員長を歴任された林陽子先生に対談をお願いしました。最初にご自身のジェンダー平等を求める運動の原点は何だったのか、お話しいただけますか?
林 私が高校生の時、「女性55歳、男性60歳の定年は不当」と訴える裁判(日産自動車女子差別定年制事件)を起こした女性に対し、東京地裁は地位保全の仮処分を認めない決定を出したことが広く報道されました。男性3人の合議体の裁判官が出したその理由は、「女性の55歳の生理的年齢は男性の70歳位に相当する」という、耳を疑うものでした。
この事件は、その後、中島通子弁護士が原告弁護団に参加し、「一歳の差別は一切の差別に通ずる」というスローガンを掲げて、地裁、高裁で原告側が勝利。1981年には最高裁で判決が確定し、均等法に「定年差別」が規定される1つの原動力になりました。
私は、この事件をきっかけに裁判に関心を持ち、法学部に進学。大学に入学した年は国際女性年(1975年)で、できたばかりの「行動する女たちの会」に参加。1979年に国連で女性差別撤廃条約が採択されると、その批准に向けた課題、女性差別の根底にある性別役割分業などについて学びました。
1983年に弁護士登録し、労働事件を多く扱う事務所に入りましたが、原告はほぼ男性。もっと女性の事件に関わりたいと悩んでいた時、ナイロビで開催された第3回世界女性会議にNGOとして参加する機会を得ました。当時、日本で女性弁護士が担当する事件は労働事件や家事事件が多かったのですが、世界では、ジェンダー平等の課題として、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖の健康・権利)や女性への暴力、平和と武力紛争など幅広いテーマが議論されていることを知って衝撃を受け、また、女性の法律家たちがその中で役割を担っていることに励まされました。女性の人権を守るためにできることはたくさんあると目を見開かされ、外国人女性のシェルターや性暴力ホットラインで「押しかけボランティア」を始めたんです。そういう経験が、私の運動の原点です。
則松 世界的な動きともつながっていたんですね。芳野会長は、就任以来「連合運動のすべてにジェンダー平等の視点を」と呼びかけてきましたが、その原点とは?
芳野 私は、均等法が施行された1986年から労働組合活動に関わりました。連合の雇用平等法制定の運動には直接関わっていませんが、職場でも家庭でも地域でも、女性の位置づけが大きく変化しようとしていた時期で、労働組合も毎週のように学習会を開催していました。私は、連合東京の女性委員会に参加し、白熱した議論についていけるよう女性差別について猛勉強したことを覚えています。働く上で何が女性差別なのかを改めて理解しましたし、女性が働き続けることはなぜこんなに大変なのかと憤りも感じました。
連合は、結成時の基本文書に「労働運動をはじめあらゆる分野に女性の積極的な参加を進め、男女平等な社会の実現をはかる」と明示しましたが、当時の労働運動は「男性中心」で、女性の課題は連合全体の課題に位置づけられなかった。そこで、労働組合の女性役員たちは意思決定の場への女性の参画が重要だという問題意識を強く持つようになり、1991年に「第一次女性参加促進計画」を策定。以来、現在の「連合ジェンダー平等推進計画」フェーズ2に至るまで数値目標を掲げて女性参画に取り組んできました。
この運動を後押ししてくれたのは、1995年の北京会議(第4回世界女性会議)です。ジェンダー平等へのプロセスとして「ジェンダー主流化」と「エンパワーメント」が示され、女性の権利を「人権」として再認識し、「女性に対する暴力」を独立の問題として扱うことが提起されました。
労働組合にも性別役割分業意識が根強く存在し、主流の役職は女性には荷が重すぎると言われました。女性の課題がメインに位置づけられないために、それを担当する女性役員は労働運動の主流から取り残されていくのだと理解しました。だから、会長に就任した時、「連合運動のすべてにジェンダー平等の視点を」というところから始めなければと…。それが私の原点です。
CEDAWの総括所見のポイント
「選択的夫婦別姓」について 4度目の勧告
則松 昨年10月、日本政府に対しCEDAWから総括所見が示されました。その内容について解説していただけますか。
林 女性差別撤廃条約の締約国(189ヵ国)は、4年に1度、報告書を提出することになっていますが、現行のCEDAWの体制では対応しきれず、滞留も生じています。2020年に予定された審査がコロナ禍で延期されたこともあり、日本への勧告は、今回で6回目ですが、2016年以来8年ぶりとなりました。
私は、かねてから日本には包括的差別禁止法と国内人権救済機関が必要だと訴えてきましたが、今回の勧告は、まず「女性に対する差別の包括的かつ明確な定義が存在しない」ことを指摘し、国内人権機関については「国連人権高等弁務官事務所の技術援助を求めるべき」という異例の助言が付されています。また、個人通報制度、調査制度が盛り込まれた「選択議定書」(1999年採択)についても「批准の検討に時間がかかりすぎている」と指摘しました。
その上で、夫婦同氏を義務づける民法を「差別的規定」と表現し、度重なる指摘を受けながら、いまだ対処されていないことに懸念を示しました。リプロダクティブ・ヘルス/ライツの分野では、堕胎罪や人工妊娠中絶における配偶者の同意要件を撤廃すること、安全な避妊法へのアクセスなどの項目が入りましたが、これらはNGOのロビーイングの成果です。政治参画に関しては、候補者男女均等法の強化、供託金の減額が勧告されました。
報告書審査の制度が変わり、日本の次回の審査は8年後の2032年となりますが、フォローアップ事項が4つあって、これは2年以内に実現したかどうかを報告することが義務づけられています。
日本政府報告書に対するCEDAWの総括所見の主な勧告(2024年10月)
●選択的夫婦別姓制度の導入
●人工妊娠中絶における配偶者同意要件の削除
●同性婚を認める
●国会議員に立候補する際の供託金の削減
●候補者男女均等法を改正し罰則を設ける
●性同一性障害の特例法のもと不妊手術を受けた人への賠償
●沖縄の米軍による性的暴力の防止と加害者の適切な処罰
●同一価値労働同一賃金の徹底
●皇位継承を男系男子に限定している皇室典範の改正
芳野 選択的夫婦別氏、配偶者の中絶同意条項の撤廃、安全な避妊へのアクセス、選挙の供託金減額ですね。
林 これまでのフォローアップ事項を見ると、女性の再婚禁止期間廃止や婚外子の相続差別の禁止、婚姻年齢の男女同一などは法改正が実現していますが、選択的夫婦別氏は動かない。
芳野 連合は「1994-95年度 政策・制度 要求と提言」に「夫婦の同氏の定め(民法750条)を改正し、夫婦が別氏を称することができるようにすること」を盛り込みましたが、30年が経過した今も実現できていません。
今国会では法案が審議される機運が高まっていますが、懸念される動きもあります。1月29日、日本政府(外務省)が皇位継承に関するCEDAWの勧告に抗議し、国連への任意拠出金の使途からCEDAWを除外すると通告したと聞いて本当に驚き、ただちに「拠出停止に強く抗議する談話」を発しました。
林 それは、私も非常に警戒しています。トランプ米国大統領は、就任早々パリ協定やWHOから脱退し、多様性や包摂を重視する政策を否定しています。こういう時代であるからこそ、日本が国際協調主義を掲げて世界をリードしてほしいと思います。
人権や民主主義、平等・公正という価値を大切に思う人たちが横につながり、その流れを押しとどめる必要がありますが、労働組合のみなさんと連携して選択的夫婦別氏の実現に取り組むことができたら本当に心強いです。
北京会議と2000年代のバックラッシュ
男女共同参画計画や条例が標的に
則松 日本のジェンダーギャップ指数は先進国で最下位の水準。なぜ、これほど遅れをとってしまったのでしょうか。
林 ヨーロッパなどのジェンダー平等先進国も、1990年代半ばまでは、女性議員の比率はそれほど高くありませんでしたが、北京会議の成果を受け、各国でパリテ(男女同数)法やクオータ制が導入され、政策決定の場に出て行った女性たちが法や制度を変えてきました。
北京会議には、日本からも多くの女性が参加し、その成果を反映させようと動きました。ところが1990年代の終わり頃から、近隣諸国との緊張関係が高まり、「バックラッシュ」が始まります。男女共同参画社会基本法は成立させることができましたが、基本計画策定に向けた公聴会やセミナーには超保守グループが押しかけて最前列に陣取り、「日本の女性が子どもを産まなくなったのは、男女共同参画社会基本法のせいだ」と持論をまくしたてるようなことが起こりました。
芳野 連合の学習会でもそういう経験をしました。基本法成立を受けて、全国の地方連合会は都道府県の条例制定に取り組んでいて、私も東京都女性問題協議会に参画していました。東京都は全国に先駆けて「職場における男女差別苦情処理委員会」を設置しており、この事業がベースとなって男女平等参画基本条例づくりへと進んでいきますが、そうした動きの中で素案内容が後退してしまいました。条例は制定されましたが、ウィメンズプラザは閉鎖されました。その後、市区町村での条例制定が始まりましたが、荒川区や三鷹市では激しいバックラッシュが起きて、条例を通すために全力で運動したことを覚えています。2009年に民主党政権ができて、法務大臣が「選択的夫婦別氏を実現し、CEDAWの選択議定書を批准する」と表明しましたが、政権運営が混迷するなかでトーンダウンを余儀なくされました。

連合「ジェンダー平等推進計画」と人権への視点
働いて生きるという「労働」は人権の根幹
則松 連合「ジェンダー平等推進計画」のフェーズ2をどう進めますか。
芳野 国際会議に行くと景色が違います。女性の参画率は最低でも40%。どんな運動も、女性の参画をまず確認してから本題に入る。でも、これは自然と達成されたわけではなく、議論と努力を積み重ねてきた結果なんです。
フェーズ2の最終目標は「2030年に女性参画率50%」。連合本部の女性役員比率は40%を達成しましたが、これを5割に近づけていくには、構成組織や加盟組合の女性役員をもっと増やしていかないといけない。そこで、必達目標、推進目標を改めて整理しました。まずトップリーダーがジェンダー平等に対するメッセージを発信し、運動方針にも明記する。毎年「職場の実態」を把握する。ジェンダー平等推進のための会議体を設置するとともに、女性役員の育成に特化した研修やフォロー体制を整備する。このステップを踏んで、女性役員の選出、三役への登用を着実に進めていきたいと考えています。
林 なぜジェンダー平等を推進するのか、繰り返し共有することが大事ですよね。
CEDAWで各国の報告書に目を通してきましたが、例えばスウェーデンやカナダでは「女性も男性も生涯にわたり経済的に自立した人生を送れるよう、教育と職業訓練を実施する」ことがジェンダー平等の第1の目標に位置づけられている。ところが、日本の男女共同参画計画には「働きたい人が働きやすい社会」という表現があって、「働いていても、専業主婦でも、自ら選んだライフスタイルによって差別されないこと」が重視されている。私は、この考え方こそがジェンダー平等を阻害する役割を果たしていると思うようになりました。病気や障がいで働けない人の生活を保障するのは当然ですが、「働いて生きる」ことは、性別を問わず人権の根幹をなすもの。労働組合には「働くこと」の価値を大切にしたジェンダー平等を進めてほしいと思います。 芳野 私たちは労働組合なのだから「労働と人権」の視点をもっと明確にするべきと考え、連合ジェンダー平等推進計画には「男女不平等は、人権の尊重、個人の尊厳にかかわる由々しき問題であり、取り組みを進めることで、それらを基底に置いた社会を実現しなければなりません」と書きました。これに本気で取り組みたいと思っています。
仕事の世界にいるすべての人に目を向けて
則松 労働組合に期待されることは?
林 経済界は伝統的な雇用を縮小するシステムをつくり上げ、働き方が多様化しています。労働組合には、雇用労働者だけでなく、仕事の世界にいるすべての人が人間らしく働ける環境づくりに取り組んでほしいと思います。
また、女性の人権は包括的なものであり、差別の背景には根強いジェンダー・ステレオタイプが存在します。ジェンダー平等社会を実現していくには、長時間労働や第3号被保険者、夫婦同氏など社会制度やライフスタイルも含めた見直しが必要です。労働組合が女性運動と連携して、こうした課題に正面から取り組んでくれることを期待しています。
芳野 1990年代後半から非正規雇用で働く人たちが急増しました。連合は労働相談を強化するとともに、最低賃金引き上げや「職場から始めよう運動(同じ職場にいる非正規雇用で働く労働者の組織化や処遇改善)」に取り組んできました。また、フリーランスなど「雇用でない働き方」の拡大に対しては「フリーランスサポートクラブ『Wor-Q(ワーク)』」を開設して情報の提供や共済の展開を行い、昨年11月にはフリーランス法にもとづくフリーランスのための労災保険「フリホケ」もスタートさせたところです。
私は、均等法第一世代で、女性差別撤廃条約について一生懸命勉強しましたし、北京会議の熱気も記憶に刻まれています。均等法改正にも全力で取り組みました。でも、今の若い世代は、その歴史や運動を知らないし、女性差別なんてないと思っている人も少なくない。選択的夫婦別氏制度や第3号被保険者制度の見直しに表立って反対する人もいなくなりました。
でも、労働組合の役員には、心の底から「ジェンダー平等」が必要だと思ってもらいたい。だから、女性差別撤廃に向けて、これまでどういう積み重ねがあって、今があるのか、CEDAWの勧告にはどんな意味があるのか、きちんと知ってほしいと思い、林先生に対談をお願いしたんです。今日の助言を活かしながら、職場でも、家庭でも、地域でも、「ジェンダー平等」を前に進めていきたいと思います。
則松 本日はありがとうございました。