詳しく聞いてみた!
労働組合は変わっていいの?どこをどう変えればいいの?
働く人たちのシンクタンクである連合総研(公益財団法人連合総合生活開発研究所)。
そのWEBサイトに5月16日と6月19日の2回に分けて、「理解・共感・参加を推進する労働組合の未来に関する研究会」(座長:玄田有史東京大学社会科学研究所教授/以下、「労働組合の未来」研究会)の報告書がアップされた。タイトルは『労働組合の「未来」を創る―理解・共感・参加を広げる16のアプローチ―』。
どんなアプローチなのか、もっと知りたいと研究会に参加した5人の研究者にインタビュー! 第4回は、第Ⅰ部4章「労働組合は変わったほうがいい?だとすれば、どこをどうやって? ―構成員の多様化、対抗性・政治性、歴史と変革のバランス―」を執筆した富永京子立命館大学産業社会学部准教授。社会運動と比較すると、労働組合運動には注目すべき特徴があると言う。労働組合は変わっていいのか、どこをどう変えればいいのか、詳しく聞いてみた。
※連合総研「理解・共感・参加を推進する労働組合の未来」に関する調査研究
報告書全文 https://www.rengo-soken.or.jp/info/union/
富永京子(とみなが きょうこ) 立命館大産業社会学部准教授
東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了。専攻は社会運動論。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。
著書に『みんなの「わがまま」入門』(左右社)、『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』(晶文社)など。
自発性・主体性なき参加に注目
—研究会に参加された時の労働組合についての課題認識は?
私は、社会課題の解決や社会制度の改善を目的とする「社会運動」を研究してきました。最近では気候変動や反戦、LGBTQの人権に関する運動などが注目されますが、実は労働組合運動も社会運動の重要な分野に位置付けられてきました。
ただ、私は、社会運動と目される運動と労働組合運動は、やっていることは近いけれども、内実はかなり遠いという問題意識を持っていました。
労働組合の役員に「なぜ、組合活動に参加したのか」とたずねると、ほぼ全員「先輩に声をかけられたから」と答える。主体的に参加したのではなく「イヤイヤやってきた」と言うんです。
これは、社会運動を研究してきた私にとって非常に注目すべき発見でした。
「自発性・主体性」を重んじる社会運動は、イヤイヤ参加することは不可能です。義務感や付き合いで参加することはあるだろうけど、基本的には運動の目標や主張に賛同して参加することが前提であり、実際そのように表明する。でも、労働組合のように、最初はよく分からなくても、誘われるままに参加したら、だんだんその意義に気付くというルートもあるのかと思いました。
社会運動の研究者も同様に、主体的・自発的な参加しか「参加」と認めていないから、国会前で10000人規模のデモが行われると大きく取り上げるのに、連合が毎年メーデー中央集会に3万人を「動員」していることには関心が薄い。
労働組合の組織率は低下の一途をたどっているとはいえ、組合員数は1000万人近い規模を維持し、社会を支える中間団体として機能しています。
労働組合運動は社会運動の一分野にもかかわらず、私も含め、社会運動の研究者は労働組合をよく見ていなかったのではないかと反省しました。そして、社会運動との比較において労働組合に向き合いたいと研究会に参加しました。
組合員の「組合離れ」や「無関心」
—社会運動との対比から分かったことは?
私が社会運動に関心を持ったのは、日本社会に社会運動への強い「忌避感」があったためです。背景には「過激で攻撃的で政治的に偏り、多様な担い手の参加を想定していない」というイメージがありました。そこで親しみやすい運動への改革が進められ、サウンドデモなどの新しい運動戦術も取り入れられていきました。
一方、組合員の「組合離れ」や「無関心」に直面した労働組合は、1980〜90年代にユニオン・アイデンティティ(以下、UI)運動に取り組みます。社会運動がマイナスイメージを払拭しようとしたように、労働組合もまた、スローガンやロゴ、組合旗を親しみやすいものに変え、組合用語を見直し、組合員が家族とともに楽しめるレクリエーションを多数企画しました。
社会運動と労働組合運動は、組織機構がまったく異なるにもかかわらず、特に若い世代に忌避感を持たれているという認識から、イメージを変えようという努力が行われてきたことに、私は興味をひかれました。
そして、労働組合は、その運動の何を「古い」と捉え、何を改革しようとしたのかを知りたいと、UIを知る組合役員にインタビューを行い、その証言を手がかりに「労働組合は変わったほうがいい?」のかを考えてみたんです。
—UIとは何だったのでしょうか?
UIの本質は、組合員のニーズにいかに応えるかと、労働組合をもっと親しみやすく、という二つの軸にありました。変容する組合員のニーズに対応しようという動きと同時に、もっと開かれた、すべての労働者のための運動にしようという流れが生まれ、それが企業別労働組合ではUI運動になっていったのだと思います。
1960-70年代においてメディアなどで強調された社会運動や労働運動の過激さや攻撃性が、それ以降の世代の忌避感をもたらしたという意味で、社会運動の改革と労働組合のUIは、同じ時代背景を持つ動きであったと思います。70年代以降の社会運動は、貧困や労働問題に限らず人々の権利を幅広く要求する「新しい社会運動」と呼ばれていますが、高度経済成長を経た成熟社会においては、人々のニーズが賃金から生活環境や余暇にシフトするという認識も重なり合っていました。
「是々非々」が許容される
—社会運動との対比から見えてきた労働組合の特徴とは?
労働組合は、良くも悪くも「中の人=組合員」に意識が集中していて、組織基盤が強固で歴史や伝統が重んじられる。組合費で運営しているから、当然といえば当然です。一方、補助金や寄付金といった外部支持に資源を依拠する社会運動は、外に向けた発信を重視することになる。
その点で労働組合は、社会運動体より企業組織に近いというのが私の印象でした。組織の枠組みと蓄積が強いためか、組合役員の皆さんは先人や歴史を重んじるというのも印象としてあります。それぞれの役員がいろんな課題を解決しているのに、自分たちの成果だとあまり主張しない。
また、労働組合には、豊かになることへの抵抗感がないことも注目すべき特徴です。社会運動は資本主義への批判が基底にあり、豊かになることへの抵抗感が強い。例えば、G7(先進国首脳会議)に対して、社会運動の多くは抗議行動を展開しますが、労働組合はG7にあわせてL7[i]を開催し、政策要求をとりまとめて要請・提言を行っています。各国政府は、抗議ではなく提言の対象。この違いは大きい。
これは扱う政治課題によっても異なるので一言で表現しづらい部分ですが、使用者との合意形成のあり方も、社会運動と政府・企業の関係とはやや違うという印象です。おそらく労働組合によって度合いは異なるのでしょうが、「妥結」や「合意」が現実的な選択肢として立ち現れた上でいかに対抗するかという考えが強いのかなと。
個人の主体性に頼りすぎることなく、現実的な問題解決の方針を探っていくという労働組合運動のスタイルは、私にとって新鮮で、日本の社会運動に対するイメージとはまた異なる示唆があるのではないかと希望を持ちました。
若者がアクセスしやすいルートを
—若い世代へのアプローチは?
私が研究を始めた頃、社会運動に強い忌避感を持っていた「若者」はすでにミドル世代となり、「Z世代」と言われる現在の若年層は社会課題への関心が高い。
連合の意識調査[ii]でも示されたこの変化を受けとめるならば、「社会運動や労働運動は若者に訴求していない」という私たちの固定的観念こそ、変えなければいけないし、労働組合がアプローチすべきは、「若者が親しみやすい運動」というより「若者がアクセスしやすいルート」を多数用意することだと思います。あとは、「主体性・自発性」が重要だとする考え方を少しゆるめる上でも有効かもしれない。
例えば投票ひとつとっても、主体性や自発性を重要視し「自分の頭で、自分の利害から考えなければ」と思う人は少なくないと思う。ただ、そんなに何でもかんでも自分ひとりの頭で考えて決めるということには限度があるとも思うんです。
例えば勤務先の組合が属する産業別労働組合に組織内議員がいて、この人が当選すればとりあえず自分たちは悪いようにはならないだろう、だからとりあえず投票するか、というのでもいいのかなと。利害を集約する中間団体としての労働組合の機能は、個人化・多様化のもとで物事を考えすぎている私たちに組織的基盤を与えてくれると期待しています。
もう1つ若い世代に伝えてほしいのは、なぜ労働組合が必要なのかという根源的な問題です。最近、心理的安全性(psychological safety:組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態のこと)といった概念が経営層でも強くなっていて、「労働組合なんていらない」という考えもある。これは労働組合を敵視しているわけではなくて、何でも言い合えるフレンドリーな関係性さえあれば、経営層が直接従業員から話を聞ける。それなら労働組合は必要ないと…。
でも、経営層がそう言っても、一般の労働者が何でも言えるわけがない。会社の中に労働組合という対立構造を仮想的につくる仕組みがあることによって、働く人たちは発言し、要求し、交渉することができるんです。
最近の就活生から聞いた言葉で興味深かったものに、応募した会社の社員を「社員様」と呼ぶということがありました。自分は採用して「いただく」、働かせて「いただく」立場であり、無力な存在だと思い込んでいる。対等な労使関係を前提とせず、対抗という観念を持たないまま、労働市場に参入することの弊害は大きい。
無力であるという思い込みから抜け出すには、やはり労働組合という場が必要なのかなと思います。
会社に対して「ワーワー言ってる」と批判されたら、「ワーワーしないと言えないことがある。対立構造の中でしか言えないことがある」と返せばいい。労働組合は労働者としての自分を大切にする場でもあるという意義を若い世代に伝えてほしいと思います。
「こんなことをやっている」と言うだけでいい
—その上で労働組合のどこをどうやって変えればいいのでしょう?
労働組合運動の見た目をとっつきやすくとか、そういうことはあまり重要じゃないと思う。ただ、ここを変えるといいのかなと思うのは、言葉と成果発信の二点です。
言葉とは組合用語のことですが、私も研究会に参加した当初は「単組って何?分会って何?」と戸惑いました。組織文化に染まって世間とのギャップに気付かなくなると、発信が届きにくい。歴史や先人の思いが込められた言葉だと考えると変えづらいのも分かるのですが……。
その上で、重要なのは発信の内容です。これはある程度社会運動の参加者にも共通することですが、結局政府や企業は運動の成果で政策が変わったと言ってくれないので「これが自分の運動の成果だ」と発信することに臆病になりますよね。これに比べると、まだ労働組合って使用者との関係上にあるわけだから自分の成果が主張しやすい。それにもかかわらず、運動の成果を自分たちがやったと言いたがらない。なぜこんなに奥ゆかしいのか本当に不思議です。
だって、言わないと分からないでしょう。
春季生活闘争の結果だって、労働組合が高い水準の要求を出して、根拠を示して交渉したから良い結果に結びついたのだと、組合員にも社会全体にも、もっとアピールしていい。
UAゼンセンは、10年近く前からカスタマー・ハラスメント問題を提起してきて、今年、東京都でカスハラ防止条例が制定されることになりました。航空連合では、客室乗務員へのセクハラや盗撮問題を提起し対策を進めてきました。
職場の組合員のニーズを探り、個々人のライフプランのサポートやキャリア支援に乗り出している企業別労働組合もあります。
だから、「こんなことをやっているよ」と言うだけでいいんです。
「賃上げ」は重要ですが、今は労働者の人権に関する身近な問題のほうが訴求性は高いのかもしれないとも思います。職場の困り事の解決が認知されれば、もっと多くの困り事(声)が集まり、理解・共感・参加が広がっていく。そんなふうに労働組合運動を変えていってほしいと願っています。
[i] L7:G7サミットに対し働く者の主張などを反映させることを目的として毎年開催されるもので、サミットの前にG7各国のナショナルセンターや国際労働組合総連合(ITUC)、OECD労働組合諮問委員会(TUAC)などの代表が一堂に会し、政策議論や首脳への要請などを実施している。
[ii] 連合「多様な社会運動と労働組合に関する意識調査2021」および「Z世代が考える社会を良くするための社会運動調査2022」
(執筆:落合けい)