「御茶ノ水駅・神田駿河台」清水事務局長のFree Walk【14】

御茶ノ水駅はJR中央本線と総武本線の分岐駅で、東京メトロ丸ノ内線も乗り入れるなど、通学・通勤の乗降客は1日平均約13万人にも及ぶ主要駅となっている。連合会館は、御茶ノ水駅から南へ歩いて10分ほどで、東京メトロ千代田線の新御茶ノ水駅の直上にある。付近は神田駿河台と呼ばれ、ロシア正教の教会(日本ハリストス正教会)であるニコライ堂(東京復活大聖堂)が有名だ。明治大学や日本大学などが学び舎を構え、「日本のカルチエ・ラタン」とも呼ばれる学生街として知られている。ギターなどの楽器店やスキーなどのスポーツ用品店も多く、カレー屋も多い。また、1881(明治14)年に開設された歴史ある有名な井上眼科病院や1894(明治27)年に産婦人科の個人病院として設立、後に産婆学校も併設され多くの助産婦を養成した浜田病院(私が生まれた病院)が、今も多くの人に世代を越えて利用されている。

御茶ノ水駅から観る神田川とJR線・東京メトロ丸ノ内線

 聖橋を渡った御茶ノ水駅の北側には、湯島聖堂がある。湯島聖堂は、1690(元禄3)年、5代将軍徳川綱吉が、上野にあった幕府の儒学者・林羅山の屋敷内の孔子廟(先聖殿)をこの地に移したことが始まりだ。綱吉は先聖殿を「大成殿」と改称し、自ら額の字を執筆した。その後、儒教の新しい学問体系として朱子学が幕府の官学となり、1797(寛政9)年には、11代将軍家斉が幕府直轄の昌平坂学問所(昌平黌)を設置した。昌平坂は孔子の生地である「昌平郷」から名付けられたものだ。学問所は明治維新後、政府に引き継がれ、東京師範学校(後の東京教育大学、現在の筑波大学)や東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)が設置され、東京帝国大学(現在の東京大学)の建学へと繋がっていく。湯島聖堂を囲む森には「日本の学校教育発祥の地」の掲示がある。受験シーズンには、参拝の受験生が合格祈願の鉛筆を買っていく姿が見られる。

上:平和への祈り・ニコライ堂
左下:湯島聖堂・5代将軍徳川綱吉執筆の「大成殿」の額
右下:湯島聖堂・入口の「仰高門」で説明を受ける外国人来訪者

湯島聖堂と道を挟んで神田明神(神田神社)があり、正月には商売繁盛を祈願する多くの経営者や会社員が初詣に来る。日本の三大祭りや江戸三大祭りに数えられる隔年で行われる5月の神田祭にも多くの人が訪れる。境内には、1960年代から80年代に大川橋蔵主演で寛永通宝の投げ銭で一世を風靡した『銭形平次』が、神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、その記念碑もあり、子どもの頃に夢中でテレビを観たことを思い出した。2005年から秋葉原で活動をスタートし、“総選挙”や“推しメン”などで大いに流行ったアイドルグループAKB48のメンバーが、新成人のつどいに詣でる神社としても注目されたことが懐かしい。

左:神田明神・百度石
右:神田明神・本殿裏手の銭形平次の碑

幕末の江戸にタイムスリップした医師を主人公に、医療時代劇として2009年から放映されたテレビドラマ『JIN-仁-』が人気を博したが、舞台はまさに江戸の町を見下ろす御茶ノ水の台地であり、現在も順天堂大学や東京医科歯科大学などの最先端医療の発信基地となっている。御茶ノ水(駿河台)の台地は、もともと「神田山」と呼ばれる丘陵だった。江戸幕府を開いた徳川家康は、新たな町づくりのため、神田山を切り崩し、江戸城の南に広がる日比谷入江(現在の日比谷公園・新橋周辺)の埋め立てを行った。
江戸時代から明治にかけて、教育と医療、宗教などの中心として人々が集い、賑わった場所が現在の御茶ノ水と神田駿河台にも繋がっていると改めて感じた散策だった。

神田明神・本殿