キャリア見直す「人生体験ゲーム」考案
働き続けてもらうためのサポートとは
松江市職員ユニオン 丹羽野真也さん、近藤憲さん
労働組合だからこそ、組合員にやりがいを感じながら働き続けてもらうための支援をしたい。そんな思いを抱いた松江市職員ユニオンの組合役員2人が、組合員に職場や人生で起こりうる出来事を疑似体験してもらうことで、将来のキャリアを考える「公務員版人生体験ゲーム」を考案した。2人に労働組合が、ゲームを通じてキャリアサポートを担うことの意味を聞いてみた。
コロナ禍の業務過多がきっかけに
ゲームを考案したのは、松江市職員ユニオンで2022年まで書記長を務めた丹羽野真也さんと、執行役員だった近藤憲さん。ゲームを作ったきっかけは、コロナ禍だったという。未曽有の事態に行政組織の仕事は激増。一方で、本人や家族が感染し、出勤自粛を余儀なくされる職員も続出した。
「想像を絶する業務過多と、考えられないくらいの病休者が出る中、毎晩『明日出勤できる職員は誰か』を探すような異常事態でした。職員はみな責任感が強く、目の前の仕事を必死でこなしましたが、それでも到底追い付きませんでした」
特に保健・福祉の現場では、時間外労働が3カ月連続で200時間を超えるような職員も現れた。近藤さんは当時、非専従で職場にいたが、土木技師でありながら畑違いの保健所などへの応援にも駆り出された。
「このままでは死者が出る」と危機感を強めたユニオンが市長と交渉し、事態は多少改善された。しかし一部職員の時間外労働が、月100時間を超える状態はかなり長い間続いたという。また交渉に当たって組合員にアンケートを実施すると「母が何日も幼いわが子に会えず、子どもは泣いている」といった悲痛な声も寄せられた。
丹羽野さんは「組合員の苦悩を聞くと、われわれはいったい何のためにいるのか、と思わずにはいられなかった。結局、できることはほとんどなかったという後悔が残りました」と振り返る。
配属先の仕事と、めざすキャリアの共通点を探す
何十年という職業人生を続けていれば、誰もがいくつかの困難な局面に直面する。コロナ禍で多くの人が苦しんでいる姿を目の当たりにした丹羽野さんは「組合員が心身の健康を保ち、やりがいを持って働くためには、労働組合も悩みや価値観など内的な部分に踏み込み、キャリアの実現をサポートするべきだ」と痛感させられた。そこで2022年9月、キャリアコンサルタントの国家資格を取得した。
一方、近藤さんも組合役員として組合員の相談に乗っていたが「関わり方がよく分からず、解決の役に立てたという手ごたえも感じられない」という悩みを抱えていた。そんな時、丹羽野さんから資格の話を聞いて「組合員に内実のある支援をできるようになりたい」と、同じ資格を取得した。
キャリアコンサルタントには「転職支援」のイメージが強いが、2人はむしろ「働き続けてもらうためにこそ、キャリアを支援しています」と強調する。
「労働組合の役割は、組合員が働きやすい環境を整えることです。私たちが組合員の人生や価値観を踏まえた上で、望むキャリアの実現をお手伝いできれば、本人も生き生きと働けて、同時にパフォーマンスも高められると考えました」と、丹羽野さんは話す。
行政機関の正職員は、数年ごとに部署をローテーションすることが多く、必ずしも希望とは合わない部署に配属されることもある。しかしそんな時こそ、職場の仕事と自分の望むキャリアとの共通点を見つけ出し、やる気を高める支援が重要になってくるという。
「そのためにも、組合員一人ひとりが『自分の本当の望みを知る』ことが不可欠なのです」(丹羽野さん)
「組合カード」が窮地を救う
キャリア支援と言っても、座学の研修は組合員の関心を引きづらい。「聞くだけの会を開くのではなく、自分ごととして考えてもらうためのツールを作ろう」と2023年2月くらいからゲームを作り始めた。ゲームを使った研修は、若手組合員の勉強会などでも行われており、組織にも受け入れられやすいだろう、という思いもあった。
ゲームは「仕事」、「学習」、「愛(家族)」、「余暇」の4要素のバランスを考えることが基本だ。現在の自分と、5年後のありたい自分のバランスをそれぞれ考えた上で、自分のできることを書いた「スキルカード」を使って、5年後の姿に近づけていく。ゲームを通じて、今の自分と「なりたい自分」との距離や、理想に近づくためにはどんなスキルが必要かが見えてくる。
組合ならではの特徴が、4つの軸のどこかが「ゼロ」になった時、つまりピンチに陥った時に「組合カード」を使ってゼロになる前のスコアに戻せることだ。組合カードは何度でも使える。
「誰もが窮地に陥る可能性はあります。そんな時は何度でも組合を頼ってほしいし、助けを求める力も、大事な能力のひとつだということも分かってほしい」(丹羽野さん)
2023年7月に若手の研修でゲームをお披露目し、その後は東京の自治労本部や自治労福岡県本部など、複数の地域で研修を開催した。ある研修では、ゲームを体験したベテランの組合役員がぽつりと「このまま突っ走っていたら、俺は過労死するかもしれないな」と話したという。このほかにも「やりたいことだけをしていても、理想には近づけないと思った」「組合の大切さを学べた」などの感想が寄せられた。
「ミドルシニアにとっては、自分と向き合い今後のキャリアを考える良い機会となっているようです。一方で若手に対しては、労働組合がキャリアを支援するという活動そのものが、組合のイメージアップや組織化につながると期待しています」と、丹羽野さんは語った。
公務員の「なり手不足」は深刻 人事制度の見直しも必要
ただ、労働組合だけでキャリア支援をするのは限界があり、人事権を持つ行政当局への働き掛けも不可欠だと、丹羽野さんは指摘する。
「急増する離職に歯止めを掛けるには、組合だけでなく行政当局も個人のキャリアをどう実現するかという視点を持ち、配置や処遇のあり方を見直す必要があります」
総務省の調査によると、地方公務員の採用倍率は2022年度、5.2倍と過去最低となり、多くの自治体は今、なり手不足に悩まされている。島根県内の市町村には、数十人単位で職員が減り、部署が丸ごとひとつなくなってしまった行政組織もあるという。
「かつて地方で県庁、市役所職員と言えば『安定した仕事に就けて良かった』と言われましたが、今は状況が一変しています」(丹羽野さん)
近藤さんも「コロナ禍以降が顕著ですが、過去5年ほどで職場の余裕は急速に失われてきました」と話す。団塊世代が大量に職場を去ったこともあり、職員1人当たりの業務量が急増。忙しすぎて先輩と後輩、上司と部下との会話も減ってしまった。
「かつては日常のコミュニケーションの中で、自然にキャリアの相談などもできていましたが、今は話を聞いてもらう余裕すら失われつつあります。職員を増やそうと募集を掛けても、なかなか集まらないのが現状です」(近藤さん)
また若い世代は、自らキャリアを構築したいという思いが強く、会社主導で配属先が決まる、いわゆる「配属ガチャ」を敬遠しがちだ。このため民間企業は、公募制度や職種別採用など、社員主導のキャリア形成を促す仕組みを導入しつつある。
2人の働き掛けによって、松江市の行政当局はこのほど女性職員向けの研修にゲームを導入した。「行政には絶対に必要な業務があることも確かですが、担い手がいなくなっては元も子もありません。ゲームをきっかけに、当局も職員の内発的動機を高めることの大切さを認識し、人事制度の見直しなどに取り組んでほしい」と、丹羽野さんは訴える。
2人は、組合の内と外から行政職員のキャリアをサポートしたいと考え、2024年3月末で市を退職、独立する。「自分たちの『ホーム』はあくまで労働組合。組合出身の私たちだからこそ、職場で組合が果たす役割や大切さも伝えていけるはずです」と丹羽野さん。近藤さんも「当局も組合も、職員が幸せに輝いて働ける環境を作りたいという方向性は同じ。組合、行政という枠組みを超え、さまざまな組織にアプローチしたいと考えています」と語った。
(執筆:有馬知子)