今どきネタ、時々昔話
第6回 学園祭ミスコン事情
秋といえば、学園祭。コロナ禍でオンラインやハイブリッドでの開催を余儀なくされてきたが、今年はほぼ全面リアルでの開催になっているようだ。
学園祭といえば、思い出されるのは「ミスコン」である。えっ?と驚かれるかもしれないが、もちろん私が「ミスコン」に出場したという話ではない。
オンナはクリスマスケーキ
40年ほど前、大学生だった私が矢面に立たされたのは、学園祭での「ミスコン開催の中止」を求める話し合いだった。
1962年生まれのプレ均等法世代。1975年の「国際婦人年」当時は、食べ盛りの中学生。「私作る人 僕食べる人」というインスタントラーメンのCMもリアルで観ていて、その商品を作って食べた記憶もある。しばらくして、そのCMが「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(以下、「行動を起こす女たちの会」)から「性別役割分担の固定化につながる」と抗議を受けたというニュースをみて、そうか!と思ってしまったのだ。
その頃の「性別役割分担意識」は今よりずっと強かった。中学になると、女子は家庭科、男子は技術科と別修だったし、近くの高校には、普通科の他に「家政科」や「被服科」があって実質的に女子限定の進路だった。
「オンナはクリスマスケーキ」という例えもあった。24歳が結婚適齢期のピークで、25歳を過ぎたら売れ残り。だから、女性は、高校や短大を出て、地元の優良企業に就職し、数年働いて結婚するというのが推奨ルートだった。教員や医師など専門職の志望者を除いて、私が生まれ育った地方都市では女子が4年制大学に進学するのはレアだったが、親を説得し、1981年に都内の大学に入学した。
「ねえ、○○研がミスコンやるってよ」
大学では、クラスの友人と一緒に歴史関係の愛好会に入ったのだが、そこの先輩が「婦人問題研究会」(略称「婦問研」)というサークルと兼サーしていて、遊びに行ったら、そのまま居着いてしまった。『女性解放思想の歩み』(水田珠枝著)とか、「労働基準法研究会報告」とかを読んだりしていて、「目からウロコ」の連続。
国連女性差別撤廃条約に日本政府が署名し、その国内法整備として男女雇用平等法制定や家庭科の男女共修が課題に上がっていた。
当時は、採用差別は当たり前で、女子は自宅通勤に限るなんていう条件を付ける企業もあった。女性問題の学習会があちこちで開催され、学生でも参加できた。あこがれの「行動する女たちの会」のイベントにも出かけて、おおいに刺激を受けた。
そんなある日、顔見知りの、新聞サークルの部長(男子)が婦問研の部室に駆け込んできた。いろんなアンテナを持っている学内の情報通だ。
「ねえ、○○研が、学園祭でミスコンやるってよ。抗議しなくていいの」
「えっ? 私が?」
「当事者の女性が抗議しなきゃ意味ないじゃん」
というわけで婦問研として○○研に申し入れを行ない、開催の趣旨を問い質し、「性の商品化」につながるミスコンの中止を求めたのだった。
「ミスコン粉砕!」と乗り込まれることを恐れたのか、私の話に納得してくれたのかは定かではないが、結果として大々的な開催は見送られたように記憶している。
「ブスの僻(ひが)みじゃないの」なんて言葉もかけられたが、当時の大学ミスコンは水着審査などが行われるケースもあり、やはり黙っているわけにはいかなかった。
ミスコンは「多様な人格への敬意」と相反する
最近のミスコン事情はどうなっているのだろうと思っていたら、貴重な情報が満載の本に出会った。
前回、「高校球児の母」だった話を書いたが、その後は「受験生(浪人生)の母」になった。定員の厳格化、大学共通テストの導入や急激なデジタル化など、大学受験の激変にも翻弄されたので、つい手に取ったのが『早慶MARCH大激変—「大学序列」の最前線』(小林哲夫著、朝日新書、2023年3月)。
タイトルはまったくの受験情報本だが、幅広い視点から各大学のスタンスが分析されていて、いい意味で予想を裏切る充実した内容だったのだ。
ロシアのウクライナ侵略や旧統一教会問題への対応、コロナ禍における学生支援などに続いて、かなりのページが割かれていたのが、「第5章 ジェンダー平等への取り組み」。女子学生増加の背景などがていねいに分析された後、なんと「大学ミスコンの温度差」という節が置かれていたのだ。
同書の鋭い分析から、ミスコンをめぐる動きを整理するといくつかの流れが見て取れた。
1つは、ジェンダー平等や性の多様性尊重、ルッキズム(外見主義)批判を受けて、ミス/ミスターコンテストにしたり、審査基準を変更して存続しているケース。主催者は「多様化への対応」をアピールしているが、説得力あるものとはなっていないようだ。
2つめは、ミスコンに関わった学生団体が性加害などの不祥事を起こしたことから、大学名を冠するミスコンを禁止したり、大学が「運営団体は本学の公認学生団体ではない」と断りを入れるようになったケース。
それでも、有志を名乗る団体が勝手に大学名を冠するコンテストを開催する例は後を絶たず、最近では学生相手に市場を拡大する脱毛クリニックなどがスポンサーになっているケースもあるという。
そして3つめが、大学としてコンテストの開催を認めないと宣言したケース。
法政大学は、2019年11月、WEBサイトで大学施設を利用したコンテストを認めないと宣言。「本学では、2016年に『ダイバーシティ宣言』を行ないましたが、ダイバーシティの基調をなすのは、『多様な人格への敬意』にほかなりません。『ミス/ミスターコンテスト』のように主観にもとづいて人を順位付けする行為は、『多様な人格への敬意』と相反するものであり、容認できるものではありません。(略)いかなる主催団体においても「ミス/ミスターコンテスト」等のイベントについては、本学施設を利用しての開催は一切容認されないものであることをご承知おきください」と発信した。
大学新聞に掲載された田中優子総長(当時)のインタビューも引用されている。
「そもそも生き物は男と女しかいないわけではない。ダイバーシティ宣言の中にも『LGBT』という言葉が据えられているように、性の多様性は社会の中でもはっきりしてきたことだ。それなのに、なぜ「ミスとミスター」なのか。また美醜についての判断は文化によるものである。…容姿だけではない様々な基準での審査は面白いかもしれないが、しょせん人の生きてきたすべてを比べることはできない。…ランク付けはいかなる場合でも非常に注意深く対応しなくてはならない」。
恥ずかしながら、宣言が出されたことを知らなかったのだが、本当にすっきりした。「女性がトップになる」というのは、こういうことなんだとも思った。
田中優子総長には、『月刊連合』2015年4月号の「法政大学連合大学院開講記念 特別対談」で古賀伸明連合会長(当時)と語り合っていただいた。背筋がすっと伸びた着物姿と「連帯社会を形成する社会運動の担い手の育成に貢献したい」という言葉が印象に残っている。
同じく「第5章 ジェンダー平等」には、「性暴力をなくす、性的同意を啓発する」「『男性学』の提起」「LGBTQへの支援」という節もあって、大学や学生の様々な取り組みが紹介されている。第6章では、女性教員の活躍も取り上げられているのだが、なんとそこに『季刊RENGO』の大人気連載「若菜センセイに叱られる!?」の著者である首藤若菜立教大学教授のお名前が! ぜひご一読をお勧めしたい。
一人ひとりの人権や個性を尊重するために
企業も労働組合も大学も、本気で「ジェンダー平等」に取り組まなければ、世界に取り残される時代。そんなふうに指摘されることも多い。
ただ、ちょっと待てよとも思う。
朝ドラ『らんまん』(NHK、2023年4〜9月放送)でこんなシーンがあった。
鹿鳴館の開設を任された実業家が「鹿鳴館は目的ではない。ただの手段です。わが国を認めさせ、屈辱の不平等条約を撤廃し、今度はわが国こそが他国へ出ていくのです」と訴える。それに対し、舞踏の練習を拒んできた妻が「男と女が対等とおっしゃるけれど、すぐそばにいる女さえ目に入っていない。この国の行く末を描くのに、女の考えは聞こうともしない」と突き放す。
そうなのだ。ジェンダー平等は、国際的なランキングを上げることが目的ではなく今を生きる一人ひとりの人権や個性を尊重するための取り組みでなければと思う。
★落合けい(おちあい けい)
元「月刊連合」編集者、現「季刊RENGO」編集者
大学卒業後、会社勤めを経て地域ユニオンの相談員に。担当した倒産争議を支援してくれたベテランオルガナイザーと、当時の月刊連合編集長が知り合いだったというご縁で編集スタッフとなる。
※引用文献
小林哲夫(2023)『早慶MARCH大激変—「大学序列」の最前線』、朝日新書。