[3]労働契約法制
解雇権濫用法理の法制化
労働基準法第18条2項の誕生秘話

前回は、雇用労働分野の規制緩和推進の動きと、連合ワークルール3法(労働契約法・パート・有期契約労働法、労働者代表法の法案要綱骨子)に焦点を当てた。
その3法を携えて、連合はどのようにワークルールづくりに関わっていったのか。
今回取り上げるのは、解雇ルールなどの労働契約法制だ。労働契約法第16条には「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」と規定されている。解雇権濫用法理を法制化した画期的な条文だが、その実現に向けてどんな攻防があったのか。引き続き長谷川裕子元連合総合労働局長の証言を交えながら、歴史をたどってみよう。

解雇権濫用法理を法制化する改正労働基準法成立

「月刊連合」2003年8月号

「月刊連合」2003年8月号の特集は「プロテクトX 労働基準法『改正』をめぐる攻防180日—なぜ『使用者は労働者を解雇することができる』が消えたのか?」。
同年6月、解雇権濫用法理を法制化する改正労働基準法(第18条2項)が与野党の修正協議を経て成立。修正に深く関わった城島正光衆議院議員、古川景一弁護士、小山正樹労政審委員、そして長谷川裕子連合労働法制局長の座談会を掲載している。その中で、古川弁護士は「今回の修正を実現できたのは、連合がワークルール3法を確立していたことが、基礎の力になった。少なくとも解雇や有期の部分では、論点を整理し、本来立法がどうあるべきかを政策的に煮詰めて、なおかつ組織としての合意ができていた」と評価している。
どういう経緯があったのか。少しさかのぼってみていこう。

日本の解雇規制は強すぎる?

2001年4月、内閣府に総合規制改革会議が設置され、その数週間後に小泉純一郎内閣が発足。連合が「ワークルール3法」を提起したのは、その年の10月だった。
総合規制改革会議は、経済財政諮問会議とともに「小泉構造改革」の司令塔に位置付けられ、「労働時間の弾力化」「派遣労働の適用拡大」「解雇の金銭解決」「有期契約期間の延長」などを繰り返し提言。「日本の解雇規制は強すぎて、企業の成長を妨げている」と主張した。

ワークルール3法パンフレット

本当に日本の解雇規制は強かったのか。
1896(明治29)年に民法が制定され、「雇用契約」(第623条)の条項が規定された。「雇用は、当事者の一方が相手方に対して労働に従事することを約し、相手方がこれに対してその報酬を与えることを約することによって、その効力を生ずる」というもので、「労務に服すること」と「報酬を与える」ことに主眼が置かれていた。
1947年に制定された労働基準法では、「労働契約」に関して、解雇の予告、解雇の制限、労働契約期間の上限(1年)、就業規則の作成手続きが規定された。この時、民法の雇用契約規定を廃止し、労働基準法に一本化すべきとの意見もあったが、労働基準法は適用除外となる事業もあることから、そのまま残されたという。

明治時代につくられた民法の規定は、年季奉公や徒弟制度などを想定したもの。当時、「前借金(ぜんしゃくきん)などに縛られて、低賃金・劣悪な労働環境で長期に働かされる労働者が多く存在した。契約期間終了まで辞めることは許されないという実態に対し、法制化にあたって重視されたのは、労働者の「辞める自由」。それゆえ、労働基準法は、契約期間の上限を1年とし、原則は期間の定めのない雇用とした。こうした経緯で、日本の解雇法制は、民法で解雇自由の原則を規定し、労働基準法でその手続きや制限を規定するという組み立てになったのである。

裁判闘争を通じた解雇権濫用法理の確立

連合ワークルール実現2.17緊急集会(2003年2月)

しかし、経済環境や働き方が変化する中で「不当な解雇」が問題となってくる。
裁判では、「民法の規定上使用者に解雇権がある」ことを認めつつも、その行使について民法第1条3項(「権利の濫用は、これを許さない」)の一般規定を適用して、不当な解雇を制限するという判例が積み重ねられていった。1975年には最高裁でも「客観的に合理的な理由を欠き社会通年上相当なものとして是認できないときには、解雇権の濫用として無効」とする判断が示され(日本食塩製造事件)、「解雇権濫用法理」が確立した。また、経営上の理由による解雇をめぐる裁判では、「整理解雇の4要件」(①人員整理の必要性、②解雇回避努力義務の履行、③被解雇者選定の合理性、④解雇手続の妥当性)と呼ばれる整理解雇法理も蓄積されていった。

こうして解雇自由の原則は維持しつつ、判例法で解雇の規制が強化されていったのだが、裁判はお金も時間もかかる。法制化すればトラブルを未然に防ぐこともできる。
1990年代には、労働契約法制の整備が課題として認識されるようになった。厚生労働省は研究会を設置して論点を整理。連合は労働契約法案要綱の策定に取り組んだ。

そして2001年、総合規制改革会議は、「解雇の基準やルールを立法で示すことを検討するべき」とした上で、「解雇の際の救済手段として、職場復帰だけでなく、金銭賠償方式という選択肢を導入することの可能性を検討すべき」と提言。2003年通常国会で改正法を成立させるというスケジュールも示された。

労基法改悪反対総決起集会後のデモ行動(2003年5月)

これを受けて2002年2月、労政審・労働条件分科会で審議がスタート。改正法成立に至るまで、その渦中で奮闘した長谷川裕子元連合総合労働局長の話を聞こう。

政府の最大の目的であった解雇の金銭解決制度は、ずさんな制度設計に使用者側からも批判が出て、審議会の段階で削除された。だから、この時の法改正のポイントは、解雇権濫用法理を条文化するというシンプルなものだったんです。
ところが、政府原案の条文をみると「使用者は労働者を解雇することができる。ただし…」という書き方になっている。修正を求めましたが、そのまま国会に提出され、法曹界から「使用者に原則として自由な解雇権限を付与したとの解釈を招く危険性がある」と強い批判が巻き起こりました。
解雇権濫用法理は、働く人たちが苦難の裁判闘争を通じて積み上げてきたもの。それが歪められるような法制化を許したら、一生悔いが残る。私は「国会で修正してやろう!」とすぐに動き始めました。

雇用対策強化、雇用保険・労働法制改悪反対3.20院内集会(2003年3月)

まず、日本労働弁護団の古川景一弁護士に協力をお願いし、民主党(当時)の城島正光衆議院議員、労政審委員をメンバーに勉強会を開催。古川弁護士が解雇権濫用法理とは何かをかみ砕いて教えてくれて、法律知識の理解を深めました。

「質問主意書」により、政府見解を引き出す!

改悪反対を訴えた連合のCM

決起集会、国会前行動を組織し、テレビCMを打ち、国会議員へのロビー活動にも奔走しました。民主党も、法務省と厚生労働省の担当局からヒアリングを行うなど精力的に動いてくれたんですが、その中で両者の見解に相違があることがわかってきたんです。そんな時、民主党のある議員が「長谷川さん、『質問主意書』※が使えますよ。質問主意書を出して、政府見解を引き出した方がいい」とアドバイスしてくれた。古川弁護士と相談して「これはいける!」と判断し、3月19日に城島議員が質問主意書を議長に提出。国会審議では、城島議員の鋭い質問に対し、労使のどちらが解雇の合理性を立証するのか、就業規則に記載された解雇事由との関係をどう考えるのかなどをめぐって、労働基準局長と厚生労働大臣の答弁が食い違う事態になった。それで、衆院採決の1週間前という段階で与野党が修正協議に入ったんです。与党側も政府原案の矛盾を認識していて、「使用者は労働者を解雇することができる。ただし、」の文言を削除することで合意しました。また、改正案には、有期雇用の上限を3年に延長することが盛り込まれていましたが、期間終了前に労働者が退職すると契約違反に問われる可能性がある。そこで、国会審議を通じて「1年経過後の退職の自由」を認めさせるという修正を勝ち取ることもできたんです。

労働基準法、労働者派遣法の改悪に反対する4.17集会(2003年4月)

総合規制改革会議から「結論ありき」の規制緩和が指示される中で、審議会の機能が低下したとか、労働側委員は本当に労働者を代表しているのかとか、批判されました。でも、連合はすべての働く人たちのための政策・制度実現のために結成されたナショナルセンター。どんな状況でも全力を尽くそうと…。
審議会は重要だけれども、審議会でダメなら国会がある。世論を味方にすれば、情勢は変えられる。国会で大臣答弁を引き出し、附帯決議に検討の必要性を入れ込むことができれば、次につながる。国会議員だって、特に連合の推薦議員は、「働く人のために」という思いをもっている。与党だって「働く人」の声は無視できない。そういう国会対応についても学ぶことができました。

連合が攻勢をかけた労働契約法制定

連合緊急ミニ・シンポ「労働契約法研究会『中間とりまとめ』を読む」(2005年7月)

2003年の改正労働基準法には「労働条件の変更、出向、転籍など、労働契約について包括的な法律を策定する」という附帯決議が付され、労働契約法制定の動きが本格化する。連合はどう臨んだのか。

2005年7月に「今後の労働契約法制の在り方に関する研究会」の中間報告が出ましたが、これがひどい内容で、連合として反対を表明しました。10月から労働条件分科会の審議がスタートしましたが、労使の意見の隔たりは大きく、2ヵ月ほど審議が中断。しかし、2006年には労働審判制が施行されることもあり、連合は、今起きている問題を解決するためのトータルな労働契約法の制定という観点から攻勢をかけていきました。
法案が提出されたのは、2007年の通常国会。ここでも激しい攻防があり、夏の参院選で与野党逆転が起きる中、秋の臨時国会で19条からなる小さな労働契約法が成立しました。労働基準法第18条2項の解雇権濫用法理はこちらに移され、均衡の考慮やワーク・ライフ・バランスの規定も入れ込むことができました。
当時の労働契約法制の議論を通じて、私は労働組合も変わるべきだと思いました。有期や派遣、請負などの雇用形態がつくられましたが、現在はその弊害のほうが大きくなっている。「雇用を守る」とはどういうことなのか、労働組合には今一度考えてほしいと思っています。

「月刊連合」2005年8月号

(執筆:落合けい)

※質問主意書:国会法にもとづき、国会議員が内閣に対して質問する文書。国会議員は、質問内容を記した文書(質問主意書)を議長に提出し、議長が内閣に送付する。内閣は質問主意書を受け取った日から7日以内に文書で答弁しなければならないとされている。

◆証言
長谷川裕子 元連合総合労働局長
(はせがわ ゆうこ)
宮城県生まれ。1974年郵政省採用。全逓中央本部婦人部長、同中央執行委員を経て、1999年連合本部へ。労働法制局長、雇用法制対策局長、総合労働局長を務める。
2009年連合参与。中央労働委員会委員、労働保険審議会参与等を歴任。

◆参考文献・資料
濱口桂一郎(2018)『日本の労働法政策』労働政策研究・研修機構
中村圭介・連合総合生活開発研究所編(2005)『衰退か再生か—労働組合活性化への道』勁草書房
『日本労働研究雑誌』2008年特別号(雇用システムの変化と労働法の再編)労働政策研究・研修機構)
『月刊連合』1993年9月号
『月刊連合』2003年8月号
『月刊連合』2005年8月号
『月刊連合』2006年10月号
『月刊連合』2008年2月号